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田舎の通学路編|田舎暮らしを記事で体験してみませんか?
朝の澄んだ空気が頬を刺す。通学路に一歩足を踏み入れると、すぐに田舎特有の景色が広がる。
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両脇に広がる田んぼは季節によってその姿を変え、春には一面の水鏡、夏には青々とした稲、秋には黄金色の波、冬には真っ白な霜が降りる。
それを背景に毎日同じ道を歩くのだが、飽きることがないのが不思議だった。
私の通学路は、家から学校まで約30分の道のり。たまに舗装されていない細い道を抜け、時折急な坂道を上り下りする。
途中には小さな橋があり、その下を流れる小川には魚やカエルが泳いでいるのが見える。橋を渡るとき、私たちは決まって川を覗き込んで「今日はどんな生き物がいるかな」と目を凝らした。
小さな発見をするたびに、友達と一緒に声を上げたものだ。
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通学路の途中には、地元の神社もある。大きな鳥居が目印で、その前を通るときには「今日も無事に学校に着き、楽しい一日を過ごせますように」と心の中でそっと祈った。
秋には、その神社の境内にある木々が色鮮やかに紅葉し、足元に落ちた葉っぱがまるでじゅうたんのように広がる。その上を歩くたびに、ふわりと乾いた葉の匂いが立ち上るのが心地よかった。
朝の通学路には、いくつかの楽しみがある。例えば、畑仕事をしているおじさんに「おはよう」と挨拶すると、いつも「今日も頑張れよ!」と手を振ってくれる。
顔見知りの農家の人たちと自然に挨拶を交わすのは、田舎ならではの光景かもしれない。道端に咲く花や野草を眺めながら歩くのも楽しかった。
「これはなんの花だろう?」と考えたり、たまには道端のスミレを摘んで、学校で先生に教えてもらったりもした。
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雨の日には、また別の風景が見られる。田んぼの水面に無数の雨粒が跳ね、その音だけが聞こえるように感じる。
傘をさしながら友達と一緒に歩くその時間も、今思えば楽しい思い出だ。水たまりを避けながら歩いたり、長靴でわざと水たまりを踏んで遊んだり、雨の日の通学路はいつもとは違う冒険のようだった。
(そして遊びすぎていつもの倍くらいの時間をかけて帰っていた)
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帰り道もまた特別だった。夕方のオレンジ色の光に照らされながら歩く帰り道は、朝とはまるで違う雰囲気だ。学校での出来事を話し合ったり、次の遊びの計画を立てたりしながら、時間を忘れて歩いた。
時には畑で遊ぶ子猫を見つけたり、近所のおばあちゃんにおやつをもらったり、帰り道にも小さな幸せが詰まっていた。
通学路は、ただ学校に通うだけの道ではなかった。毎日歩くその道は、自然の変化を感じる場所であり、友達と共有する思い出が積み重なる場所だった。
田舎ならではのゆっくりとした時間の流れの中で、私たちは季節を感じ、地域の人たちと触れ合いながら成長していった。
もし都会で日々忙しなく生活している人が、この道を一緒に歩いたらどう感じるだろうか?
何気ない景色の中に、見逃していた大切なものを見つけるかもしれない。そんな田舎の通学路が、私にとっては日常であり、宝物のような存在だった。
この記事を読んでくださっているあなたも、忘れかけている宝物を探しに田舎の道を歩いてみてはいかかでしょうか?
*記事の中の写真はイメージです*