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寝ても覚めても

ずっと悩んでいたことがある。
「頑張れば頑張るだけ、頑張らなくちゃいけなくなる」ことだ。

私はかなり頑張って生きてきた。
特技は努力だと思う。
勉強にバレエに役員に部活に、授業に課題にアルバイトに就活に、どれも全身全霊で取り組んできた。
どんな時も、今頑張ればあとが楽になる。今だけ頑張れば、あとは楽しいことが待っている。だから今頑張ろう。
そう思って、努力してきた。
だけどどんな時も、現実はそんなに甘くなかった。
頑張って頑張って頑張って獲得したその先にはいつも、頑張ることが待っていた。

大学受験の時なんて特にそうだった。
トップレベルの大学に入れば、授業はゆるくて、髪の毛を染めて、アルバイトをして、好きな時に好きなことをして、サークルに入って、みんなとワイワイ楽しめる。
だからどんなに辛い時も勉強を頑張れた。休み時間だって、移動時間だって、ご飯を食べる時だって勉強したし、睡眠時間も削って、死に物狂いで勉強した。
そうしてやっとの思いで受かった大学に入学したら、毎日朝から夜まで家で1人で画面に向き合わされ、課題に追われた。
サークルははじまらないし、アルバイトは削られるし。
楽しみにしていた設計課題が始まったかと思ったら、週2は徹夜しないと課題が終わらないし、そうやって満身創痍で提出した模型を、一瞬でバキバキに壊されて。

私の考えが甘かっただけのことで、獲得したその先が大事だと忠告してくれる大人はもちろんたくさんいたけれど、それでもあまりにも、人生で休める期間がなさすぎる、と思っていた。全力で頑張り続ける人生に、疲れてしまったのだと思う。


最近になって、この悩みを解決する言葉が見つかった。
それは、「頑張ったら頑張っただけ、頑張ろう」ということだ。
結局こういう結論に至るところに、少しの儚さを感じるけれど、私はこうして前を向いた。

長い頑張れない期間を通して、自己分析をしたことで気づいたことがある。
私は、頑張る自分が好き。
頑張らないと自分のことを嫌いになる。
だから私には、頑張ることが必要だ。
ということだ。
もっとどんな自分でも許せて、頑張らなくても何も焦らなくて、幸せでいられる私だったらよかったのだけれど、やっぱり私は頑張って生きてきたから、頑張ることでしか自分を認められないらしい。
そのかわり、私いま頑張っているな、という感覚は人より敏感で、そういう時は気分も明るくいられる。
私が私らしくあるために、私が強く生きていくためには頑張ることが必要だ。
そうやって頑張り続けることが、頑張ってきた過去の自分を裏切らないことにもなる。
だから、「頑張ったら頑張っただけ、頑張ろう」である。

それでも子供の時みたいに、目の前にあること全てを頑張るには、目の前にあることが大きすぎるし、気力も時間も体力も足りない。
だから、取捨選択と優先順位付けが大事だ。
自分に今最も必要なことは何か。自分が今1番力を注ぐべきところはどこか。
きちんと把握して、きちんと整理する。
余分な努力は大事なところに回すし、過剰な努力は必要ない。
その目標に過不足なく努力する調整が大切だ。

このことに気がついてからは、不必要なところで努力をしないこともできるようになった。
とても意識をしなければならないし、それには涙を伴うこともある。
だけど無駄を削ぎ落として、自分が必要なところにちょうどぴったり力を注げるようになってからは、随分と生きるのが楽になった。

頑張りすぎないでね、とよく言われたけれど、頑張りすぎないのではなく、頑張るところを選択すること。
これが私に足りないことだった。

私は長い思考期間を経て、やっとこのことに気が付いたのだけれど、要領の良い人は(というかもしかしたら周りの普通に生きてる人はみんな)あっという間にそのことを分かっていて、当たり前のようにしていることなんだろうな。

自分を好きでいるために頑張ること。
頑張るものを取捨選択すること。

参考までに。

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