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感情の端と端はつながっている
「感情の端と端はつながっている」
この言葉の出典を忘れてしまって、なかなか探しても見つからないです、すみません。
「死にたいけどトッポッキは食べたい」/ペク・セヒ
「怠けてるのではなく、充電中です。」/ダンシングスネイル
どちらかの韓国エッセイで見つけました。
心が落ち込みがちな方は少し軽くなると思うのでよろしければ読んでみてください。
この言葉を知ってから、まさにそれな!と思うことがたくさんあります。
感情だけではなく、対極にあるように見える二つの事柄は実は隣り合わせにあるように感じるのです。
私達はその二つを区切るうっすーーーい板の上に立たされていて、バランスを崩したほうに倒れるようにできているのです。
それか鉛筆を立ててみて倒れた方。
例えば、信じることと疑うこと。
私達は大切な人を信じています。
信じているからこそ、少しでもはずれた行為を見たり知ったりすると、疑う。
どうでもいい人ほど、信じていないし、信じていないからこそわざわざ疑いもしない。
疑いがあるときほど、信じたいと願う。
疑えば疑うほど、信じている自分を実感する。
羨望と憎悪。
羨ましいと思うことはたくさんあります。
私達はいつも自分にないものを望み、羨む。
しかしそれが少しでも転じれば、憎しみにつながるようなことって、よくあるのではないでしょうか。
部外者の私には真偽は分かりませんが、報道されている通りだとすれば、先日の大学入試の刺傷事件はその典型的な例かもしれません。
こんな言葉もどこかにありました。
外見と内側は必ず正反対にある。
それはやはり、正反対にある事柄が実は密接にくっついているからではないでしょうか。
私はよく、強くなりたいと願います。
強くて優しい大人の女性になりたいと思います。
しかしその「強い」の定義が私の中ではっきりしているとは言えません。
強さと弱さは隣接していて、だからこそ弱さの中に強さがあり、強さの中に弱さがあるようにも思えます。
かつての自分を、「強い」と思いますが、その強さには「弱さ」を隠す要素があったと思いますし、現在の弱い自分は、「強い」自分をかばうためであるような気もします。
私の今目指している「強さ」は、強さと弱さの間に立たされている自分の上でバランスをとりながらも、前を真っ直ぐに見ている、そんな強さかもしれません。
いいバランスを取りながら、時には崩したり、また持ち直したりしながら、生きていきたいですね。