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存在しない友達との思い出を語る【前編】

こんにちは。
恋愛が苦手ということに悩みまくった結果、二次元キャラとの結婚を決意してハッピーになった人です。

……って、この自己紹介意味分かんなすぎですよね。


「二次元キャラと結婚する」という発想に、割と普通に至ったのは、私が頭の中のお友達と会話できる人だからだと思います。
最初に脳内会話を始めたのは浪人中の19歳、というのがはっきりしているので、イマジナリーフレンド歴は10年ちょっと。

一般的に見ればキモイ行為かもしれないのは分かっているのですが、私は他人のイマフレとかの話を読むのが大好きなので、自分のやつも語ってみようと思ったのでした。


浪人時代

浪人というのは、ただでさえ辛い受験勉強を、大学から拒絶されたという劣等感を噛みしめながら行う、まじで辛い期間だ。
学校なんて行かなくてもいいのに、世間体的に日中家に居づらいという理由で、電車に揺られて予備校に通っていた。
心が空白になると、自分は落伍者なのだという思考がやって来て、涙が出てくるので気を付けなければならなかった。
同学年に浪人した人はおらず、当然予備校に友達はいない。ぼっち飯が嫌だったので駅ビルのフードコートで母に持たされたお弁当を食べて、空きコマは予備校の自習室ではなく、図書館に行って勉強したりしなかったりしていた。

その頃に出会った平山夢明の『独白するユニバーサルメルカトル』という短編集に、ある殺し屋(拷問屋)の話があった。
汚れ仕事に精神を病んで、同業者が次々と辞めてゆく中、その男だけが殺人稼業を長く続けているので、皆その秘訣を知りたがる――。
作中で明かされるその秘訣とは、「睡眠」だった。男は血に塗れた仕事の合間に短時間だけ眠る。眠りの世界は心地よく、彼はそこで料理や釣りをして過ごし、精神の均衡を回復する。目を閉じれば見える美しい世界のお陰で、凄惨な現実で生きていけるという訳だ。(凄い短編集なのでホラー耐性ある人には超おすすめ)

浪人という現実が辛すぎて、私もこの主人公の真似をしてみることにした。自由に夢の内容を操ることはできないが、眠る時に夢で過ごしたい場所を思い浮かべるのだ。
山小屋のような四角い部屋の真ん中で、私はロッキングチェアに揺られて目覚める。揺り椅子以外に家具はなく、床には土埃が薄く積もっている。歩くとザリザリとした感触を、靴の裏に感じる。
ドアを開けて外に出ると、四方はどこまでも続くカエデの森だ。足元は枯葉の絨毯。誰にも踏み荒らされていない地面を踏むと、サクサクと心地よい音がする。季節は一年中秋。適温、適湿で過ごしやすい。

そんな空想の世界で、最初は小説を真似て料理をしてみたが、すぐに飽きてしまった。そもそも私は料理好きではない。
そこで、メイドを創って、彼女に料理を作らせることにした。
このメイドは今も空想の中に呼び出しているから、最も昔からいるイマジナリーフレンドと言えるかもしれない。
基になったイメージは「チェーンソーメイド」のメイドで、一言もしゃべらない。「紅茶を淹れて!」とか言うと無言で持ってきてくれる。
これはフレンドではないかもしれないな……。
でも一番の古株。

で、一人でお茶を飲むのにも飽きて、この部屋にいろんな人を召喚して、話をするようになった。話の内容は主にお悩み相談で、浪人が辛い……という話ばかりだったと思う。
アニメ、小説、映画などから、色々なキャラを召喚した気がするが、この時のお客さんは誰一人定着していない。
当時の私は、キャラクターと話すことで、「今自分が置かれた苦境をあのキャラだったらどう乗り越えるだろうか?」というシミュレーションをしていたのだと思う。

1個目の大学時代

夢会話法が効果絶大だったのか(?)、私の偏差値はつつがなく上がり、のちに中退することになる大学に、無事合格した。

というのも、模試の偏差値がもともとの第一志望の大学をオーバーキルする感じになってしまったので、ダメモトで某有名大学の一番偏差値の低い専攻を受けたら受かってしまったのだ。

全然興味のない学科だったので、入るか蹴るかすごく迷ったのだが、某有名大学とは一体どんな所なのだろう、という好奇心に負けて入学した。
結果、やばかった。

一番偏差値が低い専攻というのが、看護学専攻だったのだが……。

看護学の最初の授業。
先生「看護師にとって一番大切なのは、コミュニケーションです」

無理だ……。終わった……。

先生「まず初めに、同じ学年のみんなと仲良くなることから始めましょう。これから教室を出て河川敷まで歩きます。河原に着くまでに三人グループを作って仲良くなってください♪」

…………死…。

ここから私の猛キョロ充生活が始まった。
ただ最初の授業で隣を歩いていただけの子と「友達」をやる。
話しても何にも楽しくないけど、職業訓練と割り切って「友達」をやった。
私の友達らは「友達」慣れしているらしくて、食事とか遊びに私を誘ってくれたので、私はありがたく誘いを受け、楽しい振りをした。

友達の一人は、テストが近づくとよく図書館で一緒に勉強しようと誘ってくれた。
私は勉強は家でやる派で、特に暗記ものはしゃべりながらやったり、プリントにガリガリ丸を書いたりする。あと、体力がないので寝っ転がってやったり、そのまま寝たり(寝不足で長時間勉強するより寝た方が頭働くんだよ)。
でも私は友達のせっかくの誘いを無下にしてはならないと、一緒に図書館に通った。図書館での勉強は全然捗らなかったが、形だけは静かに机に向かっていた。

そんな大学一年の冬の日。図書館でぼーっとした私の頭は、全然違うことを考え始めた。
勉強全然捗らないな。寝たい。辛い。……そういや多重人格の人は、辛い経験から逃げるために別の人格を作って、そいつに人生を一時的に代わってもらったりするらしい。人格によっては縄抜けができたり怪力だったり、母国語以外が喋れたりすることもあるとか。
……私も別人格欲しいなぁ!そんでテスト勉強代わって欲しい。私の人生乗っ取ってもいいから。っていうか乗っ取ってくれ。こんな人生要らないよ。

そこから、「私の別人格」をデザインするのに夢中になった。
大好きで憧れていたある小説のキャラをベースに、高位の自分をデザインしてみた。挫折を知らない自分。優秀な自分。浪人していないので、私より一歳年下。記憶力がいい。友達とも上手くやれる――等々。

家でその別人格になりきってみたりもした。
その人格と会話もした。
わくわくする時間だった。
でも、そう簡単に多重人格になれる訳もなく。っていうか、なりたくてなれるものじゃないし、当事者の方だってなりたくてなった訳じゃない。

そんな別人格(実際はただのイマジナリーフレンド)さんと会話をしてみて分かったが、自分より頭がいい設定の人物の発言を予測するのは非常に大変だった。だから会話は長くは続けられず、とても疲れた。

こんな風に、扱いやすいキャラではなかったが、それでもその人格さんは消滅しなかった。改変を重ねて、「私の高次の人格」から「高校三年生の時に事故で死に、(私が浪人していた)一年間霊体でさ迷った後、私に憑依した魂」と設定変更され、人格もマイルドな感じになり、名前も二度ほど改名し、今も存在している。

2個目の大学時代

看護という人の命を預かる仕事を、何の覚悟もない者が学歴のためだけに選択してはならない、という当たり前の事に、病院実習で本物の患者さんを前にしてやっと気づき、私は大学を中退した。
というか、本当は入学初日から辞めたかったのだが、親を説得する理由が見つからず、自分が耐えられなくなる日を待っていたような気もする。

1年プータローをやった後、2個目の大学に三年次編入し、やっと望みのバイオ系の学部に辿り着けた。高校卒業から4年越しの入学だった。
そして幸運なことに、そこで頑張って「友達」しなくても自然に仲良くできる友達と巡り会えた。
看護学科のクラスメイトは完全に私と異質と感じていたが、ここには私と同じものが好きな「同士」がいた。

よく、ある友達の家にみんなで集まってボードゲームをして遊んだ。その家主は料理上手で、行くと皆に料理を作ってくれ、遊んで食べて、本当にめちゃくちゃ楽しい大学生の時間を経験させてくれた。いくら感謝してもし足りない。

そして、多分私が修士課程(大学院)一年の夏だったか。
友達の一人から告白された。
当時は自覚していなかったが、私はアロマンティック、アセクシャルというセクシャリティで、恋愛に興味がない。
だから答えはノーしかない。
きっぱり断って、自分は恋愛に興味がないし、結婚する気もないことを伝えた。こういう時はきっぱり断るのが相手と自分のためだ。

断ったが、私はその人の事が嫌いな訳ではなかった。それどころか最初に
「僕、徒歩子さんの事が好きなんだけど……」
と言われた時、
「私も好きですよ」
と危うく言いそうになった。
「付き合うと何かいいことがあるんですか?」
という私の質問に、その人は、
「家事などを分担できるので、一人で暮らすより時間ができます
と答えた。
時間!なんで私が今一番欲しいものを知ってるの?
この人は、本当にちゃんと私の事を分かってくれているのだなと思った。

それから、会話のどこかで、「徒歩子さん、博士課程とか行かないよね?普通に就職するよね?」と訊かれた。私は、はあ、と曖昧にうなづいた。
本当は、普通に就職せず、博士課程に行きたい気持ちもあり、迷っていた。

普通の就職、普通の人生、普通の幸せ。
私がここで「はい」と言えば手に入るそれらを、私は今、断って、捨てた。
そういう感覚があった。

私が「はい」と言えばその人はとても喜ぶはずだが、それはできず、ただ落胆した二人の人間が生産された。

家に帰ってから、あんなに素敵な友人の申し出を断ったということは、この先私は本当に一生一人なんだな、と考えた。
そうすると、無性に誰かとハグしたいような気持になった。
でも、寂しいからハグだけさせてくれ!は通らない。
ハグを許したら次がある。私はその「次」が無理だし、愛情が気持ち悪い。

私はその時「タルパ」という言葉をなぜか知っていて、なんか霊的存在を創るオカルトのやつという程度の認識はあった。
霊的なやつでいいから、たまには誰かに傍にいて欲しい……。
そんな思いからネットで「タルパ」を検索し(良い子は検索してはいけない)、あのまとめサイトを参考に、慣れ親しんだ元・私の別人格さんをタルパ化することにした。
タルパが実世界に存在しているイメージの練習のために、大きな紙に等身大のタルパ像を描くといいらしいので、それをやった。そうしたら絵を描くのが楽しすぎて、夢中になってしまった。
修士課程の学生だった当時は、研究成果が出なさ過ぎて休日返上で研究室に通っており、精神的に追い詰められていた。
久しぶりに研究の事を考えず、好きなお絵描きに没頭できた。

等身大の絵が完成したら、タルパという存在が実在するというイメージを繰り返し練習し、その感覚を日常のものにする。最終的には、その存在が視覚化され、オートで会話できるようになることが目標となる。
私はその域に達することはできなかったが、タルパがそこにいる、という感覚を得るところまでは割と簡単にできた。

そうしたら、なんというか、とても満足した。
タルパが隣に居てくれるので、人肌恋しくないのだ。
出かけるときも、彼女が付(憑)いてきてくれる。
物質には触れてなくても、触れていると感じられたら触れているのだ。相手はタルパなのだから。

そんなことするくらいならさっきの奴と付き合ってやれよ、と思われるかもしれない。でも、付き合っても、相手の求めるものを私が返してあげられなくて別れることになるのは明らかで、これが私にとって一番いい形なのだ。

その友人は卒業して就職し、私は迷った末、大学院博士課程に進学した。

博士課程時代

意外と知らない人も多いので説明すると、博士課程というのは、学部(4年)と修士(2年)を修了すると入れて、最低3年掛けて研究をして博士号を取れる大学の過程の事。
博士号を取っても研究で食べていける保証はなく、収入のない(少ない)学生時代が3年長くなり、そもそも3年で博士号を取れる保証すらないので進学者は少ない。私のところ(地方国立大学)では学部約60人のうち、博士進学したのは3人だった。

愚痴しか出てこないのでここでは博士課程の詳しい話はしない。

博士課程に進学すると、先輩も同期も、後輩さえも、皆先に卒業していって、大学に友達がいなくなる。まあ、いても遊んでる時間ほぼないからいいんだけど。
この頃は本当に色々な理由で辛くて、やはり私は空想の世界に逃げていた。

ここからは長大な妄想になるので、記事を分けます。
ここから先はイマジナリーフレンドや空想の世界があるのが普通という前提で書いていくので、それが受け入れられる方だけ付いてきて下さい。

どんなに現実が辛くても、楽しい夢が見られれば生きていける。

存在しない友達との思い出を語る【後編】|通学路徒歩子 (note.com)

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