Vol.5 40代ワーママが働きながら通信制大学入学〜50代で卒業するまで
※これは私が40代後半で通信制大学に入学し、50代にようやく卒業するまでの記録です。話があちこちにそれるかもしれませんが・・・どうぞお付き合いくださいませ。
(前回のお話はこちら)
「読む」「書く」行為が楽しいということ
文学部を選択するくらいなので人よりは多少読書が好き・・・という私でしたが、実際に大学に入って勉強を始めると、「今までとはまた違った『楽しさ』がある」ことに少しずつ気づきました。
それは、「読む」「書く」行為の前提にそれぞれ以下のような「学び」があるからかなと思います。
① 普段の自分が選択しない「本」に出会う意外性の面白さ
② 自分の考えを論理的に説明する「アウトプット」の難しさ
③ そしてそれが「評価される」ということ
① 普段の自分が選択しない「本」に出会う意外性の面白さ
大学の履修で指定される本は「普段の自分なら目に留めないような本に書店で偶然出会う」感覚に少し似ていると思います。
例えば芥川龍之介の作品を1つ取り上げてレポートを書くとなった場合、もちろん指定されているテキストや書籍を読んでテーマを考えるのですが、それだけでは幅が広がらないので、もう少し枠を広げて「出会い」を見つけに行きます。
・そもそも「芥川龍之介」はどのような人物か、どんな生涯を送ったのか
・明治~大正~昭和初期の産業・経済などの時代的背景はどんなか
・日本を取り巻く社会情勢と世界の文学の動向が「作品」や「本人」にどんな影響を与えたか
これは好きな分野であればあるほど、調べても調べてもきりがなく、気づけば沼にはまってしまう・・・と言う面白さがあると思います。
(この例で言えば個人的には「大正文学史(著:臼井吉見、筑摩書房)」が特におすすめです。この時代の主だった作家と作品が把握できると思います)
② 自分の考えを論理的に説明する「アウトプット」の難しさ
社会人、特に管理職になってみて痛感するのが「アウトプットの大切さ」です。小中高~専門学校で淡々と勉強し、社会に出て指示された通りに仕事をしているだけだとなかなか次のステージ(年収アップだったり役職者だったり起業だったり・・)にたどり着けません。
自分の意志で道を拓くには「いかに自分の意見を論理的に他者に説明できるか」という能力が必要で、これは教えてもらったからと言って簡単に習得できるものではないと思っています。
与えられた文字数で序論~本論~結論の構成を作る。事実と憶測は分けてより合理的な説明につなげる・・・これはもう筋トレです。自分で反復練習をひたすら繰り返すことで力が付いてきます。
③ そしてそれが「評価される」ということ
履修の最大の面白さはやはりこれではないでしょうか。特に通信大学の場合、先生と一度も会話を交わすことが無くレポートだけで評価されます。つまり、会ったことが無いので自分の第一印象や性格といった「感情」に左右されることが無いのです。
私の大学では、提出したレポートは評価(S~Cが合格、Dが不合格)と1~2行程度の簡単なコメントがセットになって返却されることがほとんどでしたが、そのコメントがどの評価であっても非常に丁寧で的を得ていて、自分の視点や表現に足りない部分などを指摘してくださっていました。これは卒業した今でもふとした時に読み返して、物事の視点や俯瞰について考えるときの参考にさせていただいてます。
※(Vol.6)へ続く予定です。当初の想定よりずいぶん長いシリーズになってしまっていますが・・・またお時間ある時に、お付き合いくださいませ。