先日、とおい国に住む友人が「ただいま~」とSNSに書いた。友人は外国に自宅があり、両親やきょうだいに会ったり、日本でのイベントに出席するときに日本に来る。今回もそれが目的だ。
 彼女のように、外国に何年も(何十年も)住んでいたり、その国の国籍を持つ知り合いは多い。生まれ育った日本よりも、いま住んでいる土地での年月のほうが長くなった友もいる。
 そういう人たちは、日本に来る時にはほとんどが「ただいま」「帰ります」「帰国します(しました)」と書いてくる。迎えるほうは「おかえりなさい!」が決まり文句だ。
 今回の彼女も「帰国します」と投稿していて、それを見た側はみな「おかえりなさい!」と返していた。
 わたしもこのやりとりをまったく疑問に思わなかった、数年前までは。
 当時、ある人の本を作っていた。残念ながら出版されなかったのだが、著者は日本で生まれ育ってから香港に移住し、その後アジア各国を飛び回っていまは欧州在住だ。国籍のことは知らないが、日本では二十数年暮らした後、十五年以上海外生活をしているはずだ。
 この人は、日本に来ることを「入る」と書く。「富山に入りました」、「東京入りしました」という感じ。そして、いま住んでいる自分の国に帰るときには「戻りました」と言う。こちらも、「帰る」「帰国する」とは書かないのだ。
 著書を出そうという人なので、ことばにこだわりがあるのは当然。日本にも、現在生活している国に移動するときにも「帰」の字を使わないのは、「日本にまだ親はいるけれど、『帰る』という感覚ではない」と思っているのだろう。そして、他の国からいまの暮らしの拠点、自宅に帰るときも「ここで『帰る』という語をつかうのは違うのではないか」と疑問に思っているに違いない。
 感覚としては、いま住んでいる国に「帰る」のかもしれない。しかし日本の友人にそう書いてしまうと、「ああ、この人はもう日本の国の人ではないのだ」と思われて心的距離が遠くなる可能性がある。そのため、あえて「帰」の字を使わない表現をしているのではないか。
 原稿を書いていたとき、なぜこの人は「帰国する」と言わないのだろうと、ずっと心にひっかかっていた。数年経って、こういうことなのかもしれないと、やっとひとつ理由に思い至ることができた。
 とくにSNS投稿などは、文章が上手い下手など関係ない、内容(何を書くか)だけが問題だとよく言われるが、そんなことはない。漢字一文字であっても、それが与える印象は大きいはずだ。ましてSNSの友達が「書く商売」の人が多ければなおのこと。
 それが分かったのだから、ここnoteにも、「自分なりの理由があって、このときこうした」と言えるようにわたしも書いていかなければ。

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