山口文憲『読ませる技術 書きたいことを書く前に』感想
著者は「まずい文章というのは誰が見てもまずい」が、「下手な文章を書かないコツはある」という。それを覚えれば、「(モーツァルトにはなれなくても)サリエリになれる」という。努力すれば音楽ならば宮廷楽長、野球なら草野球で町内一のスラッガーになれるのだと。
こう言われれば、「是非、まずい文章を書かないコツを覚えなければ」と思うではないか。どうしたらよいか。まず、何を書くかだ。本書によれば、「うまく書けそう」なことを選ぶポイントとは次のとおり。
次は文章の設計図。つまり文章に必要な要素が6つ挙げられている。
そして、字数のバランスがとれない、とくに文字数はふくらんでしまうものなので、字数が多くなってしまったときには「初めを削れ」というのだ。
ここで思い出したことがある。わたしが小学校6年生のとき、「発見ノート」という宿題があった。毎日、「発見したもの」つまりミニ作文を書いてくる。わたしはよく「終わりを削れ」と先生に言われていた。「最後の一行が余分。書きたい気持ちはわかるけど、それを書かないのが『よい文章』だ」と。
当時はその意味がわからなかったが、文章は余韻を残せ、すべて書きつくすな、読者に委ねよと先生は言っていたのだ。本書の言葉でいうなら「書き手は、オリジナルな素材やアイディアを読者に渡すだけ」でいいということ。
どうも自分は余分に書いてしまう癖があるらしい。(仕事絡みではない)友人の編集者にも「書きすぎる」と何度も言われているのだ。ああ、そうだったのか。
ほかにも本書には、文章のロジックがしっかりしているかのチェック法として「接続詞を入れてみて、本番ではできるだけ外していく」、カギ括弧は「人の会話を取ってくる装置」だから「それまでの文章のなかに異物として挿入するのが本来の使い方」であり「いちばん非文章敵な、論理では表せないところで使うのがいい」といった具体的な文章術が記されている。
そして何よりも「文章を書くということは、基本的にはコンピュータのプログラムを書くのと同じ行為」だというのだ。そうか、そうなのか。
文章を書く「技術と観察力」「知性というか分析力」「(人と違う)物の見方の提示」があるかどうか。どれもわたしに欠けているものばかりだ。もちろんトレーニングは必要だが、まずは「書きすぎ病」を治すところからだ。最初と、そして最後をカットして意味が通じるならばそうする。いますぐ実践だ。