ことばにエネルギーを乗せる
Twitterは営業用ツールだった。昨年まで出版社にオンサイトで常駐していたが、社屋移転に伴いそこを辞することはわかっていた。そこで新しい取引先を確保したくて、そのためにTwitterを使っていた。
だがXになってアクセスも不安定、先行きも不透明になったので、もうそういう使い方はできないだろう。
かといって、他の短文型SNSに行きたいとも思わない。実名ではもちろん、匿名であっても不特定多数に向かって愚痴を吐くのはわたしのスタイルではない。Xがなくなれば、わたしの名前も一緒に消えるだけだ。
Facebookは、以前はみんなと同じように、食べたものや行ったところを投稿していた。けれども、なんだかばかばかしくなって、「迷ったら書かない」「プライベートなことは書かない」「ことばは自分のなかに溜めておく」と決めてしまった。
そうしたら何も書けなくなったが、いまはそれでよいと思っている。
ことばをだだ漏らしていると、一見ストレス発散になっているようだが、実はそうではない。
「感情を抱き締める」でも書いたが、つらくても苦しくても、泣きながら「聞いて!」と人に甘えてはだめ。自分ひとりでじっと抱き締めていたほうが、自然に抜けていくことがわかった。
それができないときには、自分ひとりに対して書く。頭に血が上って破裂しそうな怒りでも、侮辱されたと感じた不愉快なことも、自分を打ち捨てたくなっても、自分に対してはなんでも書いてよい、「外」に漏らさなければ。
毎朝30分、好きなことをただ書いていく「モーニング・ページ」でこれを実行していると、だんだん「人に感情をぶつける」必要がなくなってきた。
すると、座力がついてきた。集中力と言いかえてもよい。仕事中、休憩すると決めたところまで集中を保って作業できるようになってきた。物事をクリアに見られるようにもなってきた。
TwitterやInstagram、Facebookで「自分語り」をすることが必ずしもマイナスに働く人ばかりではないだろう。だがわたしの場合、ことばをだだ漏らしているとエネルギーも漏れていく。
エネルギーを溜めて、ことばにエネルギーを乗せていく。「書きことば」ではそれがわかってきたし、これからはもっとできるようになる。
そして、話しことばでもそうしていこう。ことばだだ漏らさない。相手に何かを言うときは、エネルギーを乗せて、意味をもって話す。
ストレス発散に相手を使うのはもちろんいけないけれど、それだけではない。とくに仕事のとき、相手はきっとこういうことが聞きたいんだろう、と勝手に先回りして言うのも避ける。
話しことばへのエネルギーの乗せ方がわかるまでは、できる限り口を開かない。ことばをだだ漏らすくらいなら、何も言わないほうがよい。ことばの商売をしている者としては当然である。そしてこれが、苦行ではなくて幸せへの道であることも、いまのわたしは知っているのだ。