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冬に

10月の嘘のような陽気が過ぎ去り、唐突に冬がやってきた。数日ぐらい秋があったような気もするが、季節の激しい移り変わりに困惑する。
子供の時分、季節としての冬は好きな方だった。みんなで部屋の中で暖まろうとする空気感や、クリスマスや降雪といったイベントを見ていると、外の寒さとは裏腹に、それを忘れようとする賑やかな季節という印象があった。
心の根っこにその気持ちは残っているが、今は冬が近付くと身構える。意識が変わったのは、十数年前にひどく落ち込み、生きる希望を無くした冬を過ごしてからだ。それ以来、冬になると気力、集中力、意欲が低下してパフォーマンスが著しく落ちる。最初は精神衛生も生活習慣もめちゃくちゃになった。正午すぎまで布団から出られず、寝る前は不安を一つ一つ思い浮かべては泣く。なぜ自分は生きているのか考えて、他人に迷惑をかけずにいなくなる方法を調べた。そんな時期を乗り越えて今年もまた、土足で上がってきた冬を前に気力と集中力が長続きしない状態に見舞われている。

ばりばり季節性うつの症状なので、今でも医療機関にもお世話になっている。とはいえ、命を繋ぐためではなく、経過観察と冬季の服薬調整が主な受診理由だ。幸いにも数年前から精神面の健康は取り組めていて、それなりに自己理解と対策は進んでいる。「冬をどう乗り越えていくか」も折り込み済みで、多くの助けを得つつも自分なりに考えて行動に移した。その結果、朝はしっかり起きられるし入眠の障害もない。不安を紐解いて枕を濡らすこともない。
そのため、血圧などに問題を抱えている人に近い感覚で医者に行ってると思う。血圧は自分の努力で低く抑えられるが、一度上がった数値を自分で瞬時に下げることはできない。人の心も数値が出て来ないだけで理屈はあまり変わらない。不調があったら受診時に伝えるというだけだ。

しかし、そう強気に言ってみたところで、今の状況に壁を感じているのが現実だ。今年は人生で初めて働きながら冬を乗り越えようとしていて、これがまあ、上手く行っていない。手が止まる。すぐ疲れる。気が散って進まなくなる。終いには着手するのも億劫になってしまい、気付いたらYouTube見てる。増える下書き、進まぬ仕事。
年単位で見れば改善していても、思い通りに動けずに次の一歩を踏み出せないのにはヤキモキする。冬以外は減薬に挑戦できていても、この時期はまだ「補助輪」無しで行動するのは厳しいのかもしれない。今は服薬量の調整をしつつ、様子見の段階だ。

そんな状況下でも、「自分は冬季うつだから」という考え方はなるべく避けたい気持ちがある。冬に行動するのが難しいのは確かだが、体は動くし、冬に使える時間をまるまる失うのも惜しい。病気を理由に自分の行動を制限したくはないが、実態は前述の通り完全に自由ではない。生存がやっとだった日々が過ぎても次のジレンマが生まれてくる。残念だがこれも避けられぬ現実だろう。試行錯誤を繰り返して、年単位で少しずつ健康に近付いていくしかない。できることを見極めつつ、なるべく実行していきたい。


一方で、病気と向き合うことの不安も長年あった。現金な話だが、病気を抱えているだけで人は優しくなるし、将来のことを夢想し続けられた。
「病気が良くなるまでは治療に専念しよう」
「病気が治ったら○○しよう」
「今はできなくても体調さえよくなれば」
裏を返せば、病気が治らなければ必死行動する必要がないということでもある。責任が降り掛かったら「私は病気」の切り札をいつでも発動できるのは、不幸せでもこれ以上ない楽な生き方だ。病気に伴う配慮の必要性や社会的責任の免除は、うまく利用するとアイデンティティや一種の隠れ蓑としても機能する。ゆえに、健康になりたい反面、健康になって守りのカードを失うことへの恐怖心もあった。

今でもそうした気持ちは少しあると思う。いつまでも自分を挑戦する立場、教えを乞う立場、と他人より下に置いて「まだ社会人なりたてだもん!」とふんぞり返っている。構造は病気を理由に自分を守ろうとするのと一緒。しかしそんな大義名分も近い将来に通用しなくなるだろう。社会的責任を果たすべくという建前を持ちつつ、少しずつ生活を移行していくには健康面と技術面の両方を考えていく必要がある。
そういった意味でも、noteの定期的な更新は適度な刺激と挑戦になってくれるかもしれない。本当は些細な内容でも毎日更新し続けたいが、1週間に1回が守れないうちはそんな挑戦は無謀だろう。
予兆なく心を浸食していく冬に、今年はどういう方策を打ち出すか。またそんなことを考えないといけないと思うとうんざりだが、毎年の恒例行事みたいなもので正直慣れてきてもいる。今年は健康を最低限保ちつつ、生産性が少しでも高められればいいな。


余談。最後に伏線回収っぽいことして、鼻がMONSTER BOXぐらい高くなっているが、タイトルは下書きの書きかけのまま。本当は何か付け足そうと思ったのだけど、谷川俊太郎の「春に」っぽくてええなと思ったので変えなかった。この気持ちはなんだろう。目に見えない負のエネルギー?
目標は具体性があった方がいいので「健康を最低限保ちつつ、生産性が少しでも高められればいい」ってなんやねんって感じだけれど、人に目標や夢を言うとやらなくなってしまう人間なので残りは胸にしまっておく。

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