パラレルワールドの公園で100人鍋食べて共生について考えた
とある水曜日、どろんこ公園で幼稚園のママたちが集まり、鍋の会が催された。水曜日は幼稚園のお弁当がなくて昼前に子どもたちが帰ってくるので一緒にごはんを食べて遊ぼうということになったのだ。鍋に集まったのは学年とびこえて約50家族100人以上。
大鍋と大釜
大鍋でつくられていたのは豚汁。公園ごはんが得意なママたちが鍋番長を買って出てくれ、数人で鍋の準備もしてくれた。おまけに大釜で炊かれたほくほくの白米も仕上がっていた。(ちなみにこの場所でごはんするときは薪を割り火を起こすところから始める)。私だったらネギを何本、豚肉を何グラム、米を何キロ用意したらよいのか検討もつかないのだが、そういったことを「よしきた」ってどーんと引き受けてくれる人がいる。そして手伝ってくれる人がいる。参加した人は楽しく嬉しく幸せだから次は自分も何か力になれたらと思う。この幼稚園には、そういった優しくてたくましい循環がことあるごとにいくつも巡っていて、それは子どもの周りで温かな輪としてぐるぐると回りながら子どもたちを守っているように感じられる。
チーム感を中から感じる
幼稚園にはチーム感があった。気が合いそうな人が多く、途中入園したけれど最初から心を開き安心できる集団だった。園の方針に納得した人びとが集まってきているからだろう。たとえば幼稚園見学の日は雨だったのだけど、園庭で雨の中遊ぶ子どもたちの笑顔にキュンとしたのを覚えている。でも雨の中の外遊びを否とする家庭もいるとおもう。この幼稚園には雨の中外で思いきり遊ぶことを良しとする家庭が集まっている。幼稚園とは子育てのポイントが似ている人びとが集まる場所でもあるのかもしれない。季節に応じたイベントも多く、保護者も積極的に関わる。日常から保護者同士のコミュニケーションも活発で、すみずみまであたたまっている。集団としての大きな意思決定もスムーズに行えそうだ。ベン図でいうと中心で重なる部分の面積が大きく、集団として強いものが感じられる。
チームの入り口
それまでバラバラな場所でそれぞれ子育てしていた家庭が同じ場所に集まる。その入り口はどこだろうと考えたとき、そこには園長先生の言葉があった。幼稚園の説明会で、園の開放日に、それぞれが園長先生をはじめとする先生方と接し"幼稚園のきもち"がインプットされているはず。園に行ってみて雰囲気を感じ、先生の言葉で確信と納得をする、この流れで私たちはきっと納得してここに居るのだと思った。園の雰囲気が的確に言語化されていることはたぶんとっても大事だ。
共生について考える
鍋参加の100人超のうち子どもは半分以上いたかな。子どもを見守るときは、大人1人が子ども1人を見守るよりも、大人2人で子ども2人を見守る方が易しい。このときも、8人ぐらいがまとまって遊んでいるのを2人くらいのママが見守っていたり、巨大滑り台で5人くらいが遊んでいるのを1人のママが見守っていたりと、フレキシブルにママたちは動いた。
「みんなで、やる」このことを強く感じた幼稚園生活だった。自分ひとりにできることは限られているかもしれない。けれど特定のいちトピック(今回は子育て)について志の近しい人びとが行う物事は、スムーズに事が運び大きな成果となってあらわれる。これは子育てに限らないかもしれないなあ。
パラレルワールド
幼稚園のイベントや会合に出ていると、一昨年までの会社員生活をそのまま続けていたらこの場があることすら知らなかったんだよなぁ〜という思いがたびたびやってくる。今そこに居ることが不思議。別世界に迷い込んだような気分になる。まだフリーランスとしての仕事はちらほらで、自分の社会的な居場所が定まっていない気分だからかな、これからどうやって生きていくんだろうな、あはは。フワフワとして波に揺らぐクラゲのような、鍋の日もそんな気分になった。それは心地が良くて、あたたかな夢の中、そして夕暮れの空に漂う赤くそまった雲みたい。不安定ではあるが宙に浮いていてそれはそれで良い感じなのだ。どろんこ公園の、街中にあるとは思えない森や、焚き火のけむりが、そういった気持ちに誘うのかもしれない。