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パリ24時間(2)11区のヴィラ

 パリの東側、メトロ8番線のバスチーユとレピュブリックの間に、「レ・フィーユ・デュ・カルヴェール(十字架修道院の尼僧たち)」と呼ばれる小さな駅がある。1箇所だけの出口はフィーユ・デュ・カルヴェール緑道(ブールヴァール)に開いており、ブールヴァールから西に短いフィーユ・デュ・カルヴェール・ストリートが伸びている。
 この一帯はマレ地区からオーベルカンフを結ぶ点なので、土曜はパリのクールな30代で賑わう。仕事をしていれば、何々エディター、デザイナー、エンジニアと呼ばれる職種であり、学生なら完全に実益から切り離された社会学や経済学を挙げる。男は総じて短い顎髭を刈り揃え、女は長い髪を黒く染め、ヘアアイロンをかけている。さらに画一的なことには、男女ともに高級な白いスニーカーを履く。そして英語とフランス語を同時に使う。
 また、緑道に沿ってシルク・ディヴェール劇場(ウィンター・サーカス)やメリーゴーランド付属の小遊園地があるので、日曜の日中には、風船とアイスクリームとベビーカーがその辺に溢れることになる。

 このように「フィーユ・デュ・カルヴェール」はパリでも一番人の多い場所の一つだが、その名を冠するヴィラについては、誰も聞いたことがないようである。
 十字架修道院ヴィラは、ブールヴァールから離れて、石畳が陥没した路地の奥にある。細く高い鉄格子の門扉がその入口を示しているものの、パリでお馴染みの青地・白文字のネームプレートが門の内側に、しかもかなり高い位置にかけられているものだから、ちょっと見ただけではわからない。


 しかし、まずここで、「ヴィラ」とは何かを説明しておこう。
 パリの住所にある「ヴィラ」とは、連棟戸建が並ぶ通りを示す特殊な言い方だ。一種の長屋形態なのだが、違うのは、それら戸建が並んでいる道が私道である点である。基本、住人と住人に呼ばれた人たちしか侵入できない。戸建の家々は世襲で受け継がれているケースが多く、そのため、一旦門をくぐれば、別世界の印象がある。1920年代芸術家アトリエの集合が姿を現すこともあれば、19世紀のグランブルジョワの別宅群が現れることもある。
 明らかにそうとわかる高級住宅街としては、17区のヴィラ・ヴェラスケスがある。シテ島のコンシェルジュリーにも負けない間口の巨大な門扉は黒い鉄にゴールドで縁取りされ、フィレンツェの宮殿さながらの壮麗な建物が並んでいるのが、通りからよく見える。
 とは言え、実際のグレードとしては、この種のヴィラは16区のヴィラ・モンモランシーには及ばない。
 パリ最高のヴィラ、モンモランシーの起源は第二帝政に遡る。しかし、遠目には「チャーミング」なだけの場所に映る。簡素な門扉と藤棚やバラ園が邸宅の全容を隠しているからだ。通りからは切妻屋根が見える程度だが、その僅かなシルエットだけでも17世紀建築の純粋さは疑えない。近代ブルジョワジーが残したイミテーションの洪水の中で、周囲数百メートルの空気を浄化する効果がある。ともかくも、ここには18世紀から確実に19世紀の金融ブルジョワジーへ、19世紀から20世紀の産業界へと受け継がれた莫大な資産が隠匿されている。純粋な古典主義建築は、あたかも泡立てクリームのようにそれを覆い隠し、いかがわしくも清楚な外見を作り出しているのである。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Villa_Montmorency

 さて、パリにはこうしたヴィラがどの区にもある。17区や16区、あるいはモンマルトルといったいかにもな場所ばかりではなく、かつてのスラム街跡がひしめくベルヴィルや、セックスショップと安物の土産物屋が軒を塞ぐピガール、または19世紀のドレが描いた職人街であるレピュブリックやバスチーユの真ん中にも、フォッシュやヴィクトル・ユーゴーなどのこれ見よがしの大邸宅街以上に高級な一角が潜んでことがある。

 十字架修道院ヴィラもそうした「隠れた」ヴィラの一つだ。日中は誰も気がつかない。夕闇が立ち込める頃、路地に迷い込んだ通行人の目に、魔術のように姿を現す。
 夕闇が立ちこめ、路地の石畳の保存状態は悪いのに、なぜか足元がぐらつかない。その不思議に通行人が気づく時、すでに路地は暖かく透明なオレンジ色の光の中に浸っている。パリの他の場所に比べて、ここでは光の密度が高いようだ。街灯が新しいからだ。交錯する光の筋は一点を照らし出している。路地の突き当たりの門扉だ。通行人はようやく、この路地が店舗の影に打ち捨てられた古い裏道に開いているわけではないことに気づく。
 門扉の細かい装飾が明らかになるにつれ、通行人の驚きは大きくなる。サビひとつなく黒光りした格子には、計算された優美さで緑の蔦の枝が絡まっているが、その枝と葉の繁みの半分はなんと彫刻なのだ。実際の植物と彫刻の植物が一体となって門扉の格子を飾り、その交錯した曲線のデザインを作り出している。街灯に浮かび上がる門扉は、繊細な陰影のみならず、その構成自体がアート作品のようなものだ。
 さて、自然と人工の蔦の茂みを透かしてみれば、柵の向こう側には整然とした石畳が続いている。小道の両側には緑の植栽が溢れている。あちら側の壁に、蔦の繁みの下からに「ヴィラ・デ・フィーユ・デュ・カルヴェール」の青と白のネームプレートが覗いている。その隣に、小さく瞬くものが見える。音もせず録画している警備カメラであろう。目を下ろせば、精緻な装飾が施された門扉のハンドルの隣にプッシュフォンのパネルがある。
 ゲートの向こうは決して異世界ではないが、招かれなければ存在さえも知ることができない世界であることは確かだ。路地の魔法に魅惑を感じていた通行人は、ぼんやりとした圧迫を感じて門の前に立ち尽くす。

©Max Avans : https://www.pexels.com/fr-fr/@maxavans/

 
                 ✻

 4月12日、イースター・マンデイの翌日、22時前。すぐ隣のオーベルカンフ通りからヴォルテール通りにかけて年金デモとそれに乗じたお祭り騒ぎが佳境を迎えている最中に、『ニューヨークタイムズ』文化部デスクでパリ出張中のジャン・フランソワ・リボーは、教えられた六桁のコードを打ち込み、ヴィラのドアを開けた。


 それから4時間後、ドアは再び開いた。ジャン・フランソワは大通りを横切り、11区に入った。レピュブリックからバスチーユ広場にいたる道のあちこちで、日中のデモに参加した人たちがグループを作って歌っていた。

 その日ジャン・フランソワは、日暮れに近いオーベルカンフで、20年ぶりに同郷の友人ベルナールと会っていた。カフェ「ル・シャルボン」が20年前と何も変わっていないように、ベルナールも驚くほど年をとっていなかった。かなり肥満して、二重顎になってはいることを除いては。頭も少し薄くなっていた、そう言えば。
 一方、ジャン・フランソワと言えば、何も変わらない。年相応に太ったり、禿げたりしたりしてみたいが、そうならないのだから仕方がない。カフェ奥の大きな鏡に映った彼の姿を、女たちがチラチラと盗み見していく。哲学者のベルナールは、そんなことにはまったく気がつかない。よく見れば、白髪と見えたものは蜘蛛の巣だった。ジャン・フランソワはそっとそれを払う。毛糸のチョッキは毛玉だらけだ。ベルナールは話し続ける。マルクス、リオタール、ドゥルーズ、アルチュセール、ユベール・アキャン、ゴダール、ブレッソン、グザヴィエ・ドラン。最後を除いては、20年前と同じ作家のことを。
 ベルナールは、この数年何冊かフランス70年代の新左翼哲学者についての研究書を出したり(その度に一斉メールでの告知があった)、学会を主催したりしていたが、結局今も、昔と同じ私学の予備校で専門外の北米社会学と英語を教えている。娘が一人いる。名はジュディト。ユダヤ要素ゼロのベルナールと当時の妻ジャンヌ(ベルナールはケベックの寒村のカトリック司祭の9人の子の一人、ジャンヌはパリ郊外の極左の牙城で中学教師のシングルマザーに育てられた)が一人娘にユダヤ名をつけたのは、2000年代初頭に北米を中心に広まっていたジューイッシュ・リバイバル運動の影響だ。特に、国際人になりたくて仕方なかったジャンヌが影響を受けたのだ。パリにいるだけでもすでに憧れのヌーヴェルヴァーグの世界にいたベルナールは、それ以上の「特殊という普遍」(あるいは、伝統に依拠しつつ、人と違ったこと)など、必要としていなかった。
 娘について質問した。
 大きくなっただろう、今いくつだい。今年23歳だ、いや24か、いや25?まあそのくらいだよ。ボーイフレンドはできたかい。いやいやそんな話はまだないよ。興味もなさそうだ。何年か前までは母親も嘆いていたが、今はもう何も言わん。僕としてはありがたいがね、家にいつもいてくれるから鍵を忘れたって困らない(で、僕はよく鍵を忘れる)。日本人が言う「ヒキコモリ」じゃないだろうな。心配するな、ジュディトは鬱になるタイプじゃない。日本と言えば、高校の時、ネットで日本とか韓国のドラマを一生懸命見てたよ。僕もしばらく付き合った。悪くなかった。日本はいい国だな。誰も干渉しないらしいし。でも友達は必要だろう。友人なら小学校時代のが今もそうだ。ネットでゲーム相手をたくさん見つけてる。時代が変わったんだよ。今は今の社交性があるのさ。もしかしたら、ボーイフレンドじゃなくて、ガールフレンドだとか。ああ、十分あり得るね。何せ、大学でもこの数年でやたらと増えたからね。女同士の結婚。
 ジャン・フランソワは、最後に見たジュディトの姿を思い出した。両親の突然の離婚にびくともしない幼児。夏の日、突然台所に飛び込んできたマルハナバチにパニックする周囲を尻目に、ただ食べに食べ続けていた太った子供。幼稚園で覚えたアレクサンドランを暗唱すると言い張り、大人が関心を持たないのを見て、嘘のような大粒の涙を流して泣いた。しかしその数分後には、けろりと乾いた目で、もらったチョコレートをスカートの下に隠していた。分けなさいと言われるのが怖いあまり、急いで自室に引き下がった。ベルナールの姉妹は「瞑想的なところのある特別な子」と目を細めていたが、そうではないとジャン・フランソワは思っていた。薄い金髪、薄い色の目、ぼんやりしたような、老成しているような面立ち、ずんぐりした体躯。父親を通して、家畜のように鈍感で吝嗇なケベック農民の遺伝子が、クリシー生まれの小さな娘に完全に再生されていた。新左翼のフランス人妻も、ヌーヴェルヴァーグも、ドゥルーズも、デリダも、ブルデューも、デプレシャンも、彼女の精神形成に何の影も落としていなかった。
 ジャン・フランソワはジャンヌのことも思い出した。短い髪を黒く染め、眉を細く引いて切長の目を強調した白い顔。決してインテリには見えないが、頭が空っぽなわけでもない。決して下品ではないが、妙な色気があった。年齢不詳で、郊外のスーパーのレジ係にも見えると同時に、上昇志向のクルチザンヌにも見えた。ある種のパリに憧れる北米人には、ミステリアスに見えたかもしれない。ベルナールがジャン・フランソワを「アメリカ人とのハーフだから、この男は僕とは違って本物のバイリンガルなんだ、今年から『ニューヨーカー』に勤めることになってる」と無邪気に紹介した時、ジャンヌの蝋のような顔に焦燥と後悔を表す筋が現れた。その瞬間、ジャン・フランソワは理解した。最初から、ジャンヌのジャン・フランソワに対する態度には、打ち明け話をしたり、いろいろ口実をつけて二人で会いたがったりと、感心しない部分が多かった。いや、特にジャン・フランソワの側に倫理的抑制があったわけではない。ややこしい女なら、それを相殺するだけの圧倒的な美貌と個性が必要だったというだけだ。
 その数年後(ジュディトが生まれて間もない頃だ)、34歳のジャンヌはベルナールが教えていた高校の生徒と出奔した。さらに数年後、その生徒を家庭内性暴力で訴えた。あの種類の女がやりそうなことだ、と思いつつも、ジャン・フランソワは、ベルナールと一体となって鈍感さの塊をなしているようなジュディトを思い出すたび、自分の国で、自分の家庭の中で、異質な人々に囲まれて孤立していたジャンヌの絶望を想像して、同情に似た気持ちを覚えるのだった。
 8年前、随分年上の男と一緒になってからは落ち着いているらしい。ジャンヌと同じ郊外の出身で共済組合の事務をしている男だ。画家でもある。時々個展をしている。ジャンヌは彼のアーティストの部分に惹かれたんだ、と、必要もないのに、ベルナールはわざわざ断る。相変わらず消極的な虚栄心の指示に従わざるを得ないベルナールなのだ。
 で、君は?君自身は今誰かと付き合っているのか、ジャン・フランソワは質問をベルナール自身に返す。すると、別に狼狽もせず、「そうでもあり、そうでもない」といった返事をする。心を病んだ美しい女たちに常にまとわりつかれてきたジャン・フランソワは、曖昧な返事の理由はすぐに理解できる。いつも消極的に構え、自分から働きかけないベルナールは、ある種の女の人生プランに一方的に巻き込まれることが多い。自分は消極的、女が積極的、という力関係を崩さないまま、ベルナールは不可思議な鈍感さを味方に、いつしか自分だけが(経済的にも、心情的にも)利益を吸い上げているような関係を作り上げていく。ベルナールと長く付き合う女たちは、暴力の犠牲になるわけでもなく、浮気されるわけでもないのに、徐々に気がおかしくなっていく。そしていずれ、勝手に暴走し、失態をしでかす。ベルナールは手を汚さずして被害者の立場を手に入れ、何の責任もなく、関係を解消するのだ。
 とは言え、ジャンヌとの離婚後、もう子供は作っていない。彼なりに懲りたようである。

 今晩、十字架修道院ヴィラの私宅に呼ばれているのだと言うと、ベルナールは顔色を変えた。二重顎のせいでさらに子供っぽさを増した頬を膨らませ、無表情な薄い色の目を大きく開き、ぐるぐると回してみせた。彼にとっては最大級の驚き、あるいは何かの強い衝撃の表明だ。

 「へえ、富裕層だな。メディア関係者かい」
 「アルディティだ」
 「ええ?ピエール・アルディティ?France 2のか?」

 ベルナールは悔しそうに続けた。

 「そうか、やっぱり『タイムズ』の威力は強力なんだな。パリに住んでいるとかえって多数に紛れてしまう。外国にいた方が希少扱いされて、有利だよな」
 
 かつてのベルナールなら、見せかけだけでも、ピエール・アルディティが代表しているようなパリ社交界への軽蔑を標榜しただろう。しかし、50近くになり、自分がメディアへに登用されることがほぼ不可能となった今、もはやさまざまなブランドや符牒の間に細かい質的格差を設けて好きだ嫌いだと弁じる余裕はない。冷え切った心に不死鳥のように蘇った昔の野心の炎は、ところ構わず飛び散っている。期待通りの反応だったとは言え、ジャン・フランソワの失望は思った以上に大きかった。

 「専属の四つ星シェフがいるらしいよ。ヴィラに呼ばれるのは友人の中でも特別な友人だと聞いた。ジュリアールに知り合いの編集者がいるが、別の編集者が一度呼ばれたことがあると言っていた。その時は、フレデリック・ミッテランとドヴィリエがいたらしい」
 「右と左が仲良くか」
 「当然じゃないか。権力ってそんなものだろう。これから君もセレクト・クラブの一員になるんだから、それくらい我慢しろよ」
 「クラブの一員になんかならないよ」
 「呼ばれた、というのはそういうことさ。ピケティだって長いこと固辞していたが、結局折れたんだから」

 ピケティが何を考えていようが関係ない。俺は呼ばれたから行くんじゃない。特権階級に頭を撫でてもらいたいんじゃない。業務でもない。パリにまだ見るだけのものがあるかどうか、確かめたいからだ。
 
 「仲間に入れないために呼ぶということもある。人品調査のために、牽制するために、お前はどこまでも下だとわからせるために。フランス人はそういう卑怯で手の込んだ差別と搾取をする民族じゃないか」

 ベルナールは腑に落ちない顔をしている。機動隊がヴォルテール大通りに向けてどんどんと流れていく。ヘルメットの下の顔の若さに驚く。田舎から出てきたばかりのバラ色の頬。テラスの前をウェイトレスが通り過ぎた。ジャン・フランソワは空になったグラスを持ち上げて、もう一本と指を立てた。ウェイトレスは顔を赤らめて、頷き、去った。ベルナールは笑って目配せをし、思い出したようにこう言った。

 「そう言えば、フレデリック・ミッテランは文化相時代、アルディティの手引きで恋人を見つけていたと聞いた。彼の好みは紅顔の美少年じゃなくて、ガチムチのレスラータイプだけど、それはそれで一緒に歩くわけにはいかないだろう。アルディティがこの40年、ずっとフランス2のプライムタイムを維持できたのは、そのおかげだとさ」

 どうやら、ベルナールの中で、昔ラヴァル高校で囁かれていた「ジャン・フランソワ=抑圧されたゲイ」説が再浮上しているらしい。ジャン・フランソワは答える。

 「君が知っているんだから、誰だって知ってるさ。書くには値しない」
 「ふうん、じゃあ、やっぱり何か探しに行くんだな」
 
 突然、ベルナールの目に光が戻り、その声に力がこもった。外部に興味を抱いた時のサインだ。
 ジャン・フランソワはまたしても無力を感じた。
 「サブヴァーシヴ」と「エクリチュール」の結束、フランスにおいてこれは基本だ。「社会」と「人権」が政治家の演説の中で繋がるのと同じくらい、固く固く結びついている。ジャーナリストは反権力、現勢力も元は反権力、フランス人になるにはこの定理を深く信じられなければならない。この信念が、自律神経の反射とともに体内にセットされていなければならない。
 一方、一つだけ安心材料がある。それは、ベルナールは安泰ということだ。パリがその瓦礫の最後の一片までオークションにかけて売り払ってしまうまで、彼の青春の思い出は守られているからだ。

 爆竹の音が近づいてきた。メトロからハロウィーンのように着飾った少女たちが街路に溢れ出している。そう、デモはお祭りでもある。ジャン・フランソワは、ジャケットのポケットを探って20ユーロ札を抜き出した。

 「行くよ」
 「出版社のコネが手に入ったら頼むよ」
 「そうしよう」


                                                                     ✻

 ヴィラのドアが音もなく閉まった。ベルナールと別れてからの数時間、一体誰と何をしていたのだろう。ジャン・フランソワにはすでにわからなかった。ただ、サロンを抜け出し、コートを手渡され、美しく照明が当たったパティオの中庭にもう一度抜け出るまで、誰も何も言わなかったことを理解していた。

 ケベックのテレビでもよく知られる黒い服の男が、トレードマークの「傲慢なホスト」といった体で現れ、自ら客のコートを受け取った。

 「今日は『ニューヨーク・タイムズ』の上席デスクを呼んだ、その上メチャクチャいい男なんだぜ」

 アルディティがこう投げた途端、席についていた肩もあらわな女たちがつけているアクセサリーの輝きに負けない目でこちらを見た。ジャン・フランソワは動じず、修正した。
 
 「いやいやまさか。文化部でブロガーの選定をしているだけで」

 テーブルの果てにいた声の大きな男がとりなす。

 「それでもニューヨーカーはニューヨーカー、かなわないよ」

 女たちが一斉に煌めく目をそちらに向け、プレス用のような笑顔を無言のまま縦に振る。
 ジャン・フランソワがホストの左隣の女の隣に座った時、勝手に口を開くことをまだ世間知らずの特権と許されているような、20歳前後の中国かベトナムのハーフと見える娘が、無邪気に問いかけた。

 「フランス語お上手なのね、アメリカ人なのに?」

 アルディティがすかさず割って入る。

 「カナダ出身なんだよな」

 ジャン・フランソワが修正する。

 「いえ、ケベックですよ」

 訊いた少女は口を押さえ、まずい質問をしたという顔をした。
 確かに表向きは、ケベックは国ではなくカナダの一州に過ぎないのだから、ヨーロッパでわざわざ断る必要はない、ということになっているが、本当のことを言えば、ケベックにまつわる理解不能な訛りや田舎じみた語彙、そして文化的後進地のイメージが問題なのだ。パリのメディアでは、ケベック人は若い女性でも公然と揶揄われる。ケベックがもたらす田舎の印象は、社交の場にはそぐわない。だからベルナールのようにフランス文化人や大学人種と混ざるケベック出身者は、自分達のことを「北米人」と呼び、フランス人から一般的「カナダ人」の括りに入れることに対して、公には異を唱えないのである。(自分から「カナダ人」と自称するケベック人はいないにせよ。)
 一方ジャン・フランソワ自身は、かつての長いパリ生活の間も、その後の放浪の時代も、一度もそのような規則に従ったことはない。ケベックは国でもなければ、カナダの一部でもない、一般の地図がケベックに場所を与えていないなら、地図に問題がある。ケベックにはない。また、北米と欧州の間には強調するほどの文化差はない。何が言いたくてわざわざ「北米人」などと限定するのか。ともかく、パリのメディア人がどのように他人の文化の間に格差を設けていようと、それは事実と何の関係もない。それだけだ、と思っている。

 「でも英語ペラペラなんですよね」
 「世界で一番簡単な言語ですからね、誰でも使える」

 この瞬間から、ジャン・フランソワのヴィラでの会食はオークワードなものとなった。
 『タイムズ』特派員が実は正規社員でもなく、さらにケベック出身の変性フランス語話者であることが、出席者から何らかの詐欺と受け止められたということではない。その事実を彼が隠さなかった、ということが問題なのである。それは、特権的な場所に招待されたばかりのまだ審査中の新人である人間が、その立場にありながら、招待者の顔に泥を塗ったということなのだ。まずもって、極めて非社交的・非社会的・非常識な人間として片付けられるに相応しい。誰もが5分で確信した。誰の妻の愛人なのか、誰の娘のフィアンセなのか知らないが、何らかのコネでここまでやってきたこの男の名は、もう二度とパリのメディアで発音されることはないだろう。
 夕食が進むにつれて、もっとまずいことが始まった。
 ところどころに配置されていた女たちが、明らかに彼から目を逸らさなくなったのである。彼の訛りも、空間をゆったりと使う態度も男性らしく、好ましいものに思われた。それだけではない。女と権力者に色目をすぐに使うフランス人と違って、関心がある話に対してだけ姿勢を正す「傍若無人」さは、女たちに忘れていた自由の力を思い出させ、身震いさせた。恐怖の伝染も早いが、怖がらない態度も、一貫していれば、すぐに周囲の色と態度を変えていく。ジャン・フランソワをじっと見つめながら、女たちは徐々に背筋を伸ばし、意味のない笑顔を浮かべなくなった。
 男たちはもちろん気に入らなかった。誘惑するのはいい。しかし、ルールに従ってやるべきだ。この変わった人間にはルールがない。パリに居場所がほしくてここに来たくせに、いつでも出ていけるといった態度だ。次第に、文化果つる地である北米大陸へのそれとない揶揄が、テーブルの会話に盛り込まれるようになり、女がそれに反撥して応酬することをやめ、険悪な会話の中断がところどころに生まれるようになった。
 人気作家のドニ・モリヌーが上体をジャン・フランソワの方に倒し、誰にも聴こえるようなひそひそ声で言った。

 「君からしたらフランスの女はずいぶん馬鹿に見えるだろうな。この国がまだ男性優位なのは、女にも責任があるんだよ」
 
 20代前半で大きな文学賞を取ったモリヌーの小説は、ケベックでも読まれていた。ニキビだらけでモテない少年が乱交パーティーに迷い込んで、初恋を忘れようとする話であったが、同世代のジャン・フランソワにも理解しかねる内容だった。小心ゆえの露出癖としても(あるいは彼自身、真性の男娼なのだとしても)、非現実性は如何ともしかたなかった。1000ドルは優にするブルーグリーンのシルクシャツのボタンを胸まで外し、髪を若い少年のようにカットして、20代のニキビ跡がクレーターのように残る醜い顔をさらに醜くしてこう言った途端、モリヌーは爆発的に笑い出し、連帯を求めるように、隣の男たちを眺めた。普通、ここで一人や二人の女が、形だけでも、「そんなの嘘よ!」と叫ぶのがお決まりであるが、彼女たちは黙っていた。
 おそらく現代のフェルナンド・レイとして、金持ちの援交親父の役をあてがわれているに違いない、しかしレイに比べて遥かに汚さと深さが足りないシニアの俳優、誰もが見たことがあるが、誰も名前を思い出せない映画俳優が、甲高い声をあげて介入した。

 「なーにを言ってるんだ、フランスの女はカナダ女に負けないくらい奔放だぞ!ふざけ回る原野がカナダよりは少ないだけで」

 テーブルの周りの視線が自分に集まっていることを感じたジャン・フランソワは、遊びを鎮めるため、こう言った。

 「女でも男でもタイヤ交換ができないと困るな」

 テーブルはどっと華やいだ。口笛が起こった。

 「女でも男でも?ムッシュー・タイムズはバイセクシュアルなんだ!」

 すっかりうんざりしていたジャン・フランソワは、投げつけるようにこう言った。

 「もちろん男に惚れたことはある、君らと同じだ」

 言って初めて、ジャン・フランソワはふと疑問を感じた。
 女は社会から排除された男を愛することができる。ここにいる女たちにもすでにその兆候が現れている。パリやニューヨークのこうした会食に、必ず呼ばれる女たちだ。何百何千と見た。シャンデリアや燭台の光に輝く若い肌、蠱惑的な視線、細い指と首筋の繊細な宝飾、同じ沈黙。男の考えていることを、考えている通りに、話していいと言われた時にだけ口にすることを許されている人形たち。彼女たちは、いつも待っている。一瞬の自由の幻想が与えられた途端、その期待感は一気に高まる。
 エヴリ、シングル、ウーマン、ウッド、ドゥー、ザット。
 パリア(不可触民)は、女の見果てぬ夢だ。ジャン・フランソワが変わった人間として排除されればされるほど、そしてその排除に対して、さらに違いを強調する態度を取れば取るほど、女たちは彼に傾く。あと10分もすれば、窓近くに座っている金髪の娘も、シニア俳優の同伴で来ている中年ブルネットの女優も、いつでも彼とここを逃げ出す用意ができているだろう。
 エヴリ、シングル、ウーマン、ウィル、ドゥー、ザット。トゥット、レ、ファム、ル、フロン。
 しかし、もう重要なのはそこじゃない。歳を取ったと感じるジャン・フランソワの関心は、男に、自分自身に移っていた。果たして男は同じことができるだろうか?社会から排除された女を、それゆえに愛することができるだろうか?不思議な、締め付けられるような感覚が胸のあたりに立ち上った。
 テーブルの緊張を感じ取ったアルディティが、ゲームを提案していた。友人たちの揶揄の刃を弱い女に向けようという目論みだ。

 「女たち、これまで付き合った相手の数と付き合った年月を言え」
 「女だけ?」
 「男に聞いたって面白くない。大体覚えていないからな」
 「女が覚えているなんてどうして言えるのよ」
 「覚えているさ、君たちは男よりロマンチックなんだから」

 俳優の同伴者の中年女が「これまで3人、最初のが10年、次のが3年、3人目が今、もう7年」といった数字を提供したのを皮切りに、20歳の娘を除くその場にいた5、6人の女たち全員が、4人以下、平均4年以上の数字を挙げた。誰一人信じていない数字の羅列に場がしらけた頃、全員の関心は若いベトナム人ハーフの少女、クレマンティーヌに集中していた。

 「今度は、誰がクレマンティーヌを口説き落とすか、競争だ。一番巧妙で、一番教養高く、一番文化度高く、一番エロチックな口説き文句を言えたら勝ち、ということにしよう」

 ピアノが鳴り始めた。あらゆるフランス語のレトリックを駆使した口説き文句の洪水に、女たちはうっとりした風を作った。

 遊びの場は食堂から居間へと移った。居間の暖炉には火が入り、数限りない蝋燭が灯っていた。シガーとウィスキーが薦められた。隙を見て、ジャン・フランソワは玄関の方へ滑り出した。誰も彼を見咎めなかった。 


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