『完全無――超越タナトフォビア』第九十二章
智慧の実を齧った最初の人間たち以前に退却せよ。
神話の御代以前へと踵を返せ。
智慧という自意識、心的現実に過ぎない主観というパースペクティヴこそが人間たちに与えられた最大の罰であるのかもしれない。
世界を巨視的にとらえることも微視的にとらえることも、大いなる失敗の始動であったのだ。
そして人間たちの智慧の理性的根源としての科学的思考は、延々と概念の尻取りを継続中である。
まさに「ん」という文字の厳かな忘却。
アルファでありオメガでもある定点。
その定点の変容だけを、その定点のプロセスだけを解析するために、科学的思考はひた走る。
思考の定点とは存在し得ぬ「私」である。
世界に定点はない。
Cogito, ergo sum(コギト・エルゴ・スム)とは堕落の呪文。
定点とは前-最終形真理に過ぎず、定点へと没落すればするほど、定点は無限に増大する。
つまり、アポリアはむしろ増殖し続けるのだ。
アポリアをアポリアで尻拭いする繰り返しとしての尻取り。
そう、尻取りという科学的に客観的なだけの法、それはつまりダミー・ワールドとして義務付けられたゲームの終わりを見定めることのできないアルゴリズムを、人間すべてにあらかじめ埋め込まれているという束縛。
優雅で自虐的なアクセサリーに取り憑かれたものだ、人間たちは。
探求もしくは探究を始めて以来、永遠の足枷を引きずる痛々しい音を理論武装によって遮音することでしか、承認欲求を満たしつつ生きていくことはできないのだろう。
人間たちよ、退却せよ。
点は世界ではない。