私から見える韓国

韓国のことを正直よく知らない。最近の報道を聞いていても、あまり心を動かされない。反感を持つにも好意を持つにも、知っていることが少なすぎる。唯一わたしが見聞きしているのは、小説や映画、音楽を通して伝わってくる韓国だ。それはいつもヒリヒリしていて、甘えも救いもない。神様というものをほとんど信じていなくて、暴力が描かれているときにも、どこかに悲哀が満ちている。そんな印象。

どんな作品が、自分の中のその韓国のイメージを醸成していったのか。
例えば、音楽ならイ・ランという歌手がいる。彼女は『神様ごっこ』という作品の中で「韓国で生まれ暮らすことにどんな意味があるとお考えですか。時には砂漠に放り出されたような気分になりますか(※)」と歌っていて、この「砂漠」の比喩は、文学作品から伝わってくる韓国のイメージと重なる。ファン・ジョンウンの小説『誰でもない』に見られるような、人と人とが互いに無関心で殺伐とした雰囲気。(これについては以前、記事を書いた。「韓国文学の痛み」)

彼らの作品は、韓国の大衆的な(いわゆる韓流ドラマやポップスなど)作品とは一線を画していて、奇跡が起きて救われることもなければ、明るく刺激的な恋愛もない。そしてだからこそ、切迫したリアリティを持ったものに仕上がっている。韓国人の知り合いがいない、隣の国に行ったことのない私にも、その砂漠の渇きが伝わってくるくらいに。

余談だが、映画監督だったら、印象に残っているのはキム・ギドク。最初に「暴力にも悲哀が伴っている」と書いたときは、この人の作品を思い出していた。血の繋がらない母と息子という関係を描いた『嘆きのピエタ』は、悲哀と暴力と狂気が入り混じっていて、邦画でああいう作品は観たことがない。私が好きな日本映画は、もっと体温が低くて緩い。甘えている、とも言えるし、優しい──という言い方もできるかもしれない。あの緩さや体温の低さは、韓国の作品にはあまり感じない。

韓国が話題に上がると、その反応が肯定的か否定的のどちらかに分かれるような気がして、それ以外の話が書きたかった。だから、どちらが好きとか嫌いとかいいう話ではなく、ただ「こう思う」という印象を記事にしてみた。最初に書いたように、私は隣の国についてそれほどよく知らない。韓国に行ったことはないし、韓国語は挨拶程度しか話せないし、韓国人の知り合いもいない。だから、これからそういう機会があれば印象も変わっていくだろう。そして、どんな機会に恵まれたとしても自分は「好き」とか「嫌い」を離れたところで物事を考えようとするだろう。そんな気がする。

(※)和訳部分は https://soundcloud.com/sweet-dreams-press/ovny8vhktjdy  から引用。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。