お母さんは英雄
「母親は英雄である」という話を読む。細かい理屈は本に書いてあるが、このくだりを読んだとき、理屈抜きに「わかる」と思った。「英雄(ヒーロー)」といえば男性が想像されがちだけど、女性にしかなれない「母親」もまた英雄的だ。
いま開いている神話の本は、対話形式になっている。まず「誰でも生まれてくるときには、大きな冒険を遂げてくるヒーローだ」という話がされた。
他者のために自己を捧げる。確かに「出産」はそういう行為だ。まだ見ぬ誰かのために、みずからの身体を差し出すこと。母親のその犠牲のもとに自分も生まれてきたわけで、その一点において、母には頭が上がらない。
「旅」という単語が心に残る。いま自分は妊娠しているけれど、妊娠・出産をこういう風に捉えたことはなかった。英雄のする冒険のような旅。だれかの娘、産み落とされた側から、だれかの母親になる。そして英雄は、子供を連れて旅から帰る。
そんなイメージを持ったことはなかったな……。ちょっとだけお産が楽しみになりました。ありがとう神話。
自分が「母体」になる前は、自分が胎児だったときをぼんやり、何か悪い、生々しいことと思っていた。母親の栄養を吸ってむくむくと大きくなる自分。母体から血を吸い上げ、栄養を削り取って生命に変える。なんだか怖い。
もっとも、自分が吸われる側になってみると「まあこんなもんでしょ」みたいな心がまえで、別に怖くない。「ううう血を吸われている」なんて思わないし、「ああ私の体を削り取る人間がお腹の中に」とも思わない。こんなもんなんだろう、よくわかんないけど。
男の人は大変だな、と思う。出産という形で英雄になる道は、男の子には残されていない。なにかを残そうと思えば、世界に出て闘うしかなくて……。
この本の中では、ということはつまり神話の世界では、男女の区別が頻繁に語られる。女性は否応なしに大人になる。本人の自覚のあるなしに関わらず、月経がきて「もう子どもじゃないのよ」と教えられる。男性には、そういった通過儀礼がない。
だから、男子にのみ成人の儀式が行われる部族も多い。たいていは痛みをともなうものだけど、それが大人になるってことだと男の子たちは教えられる。儀式のない世界では、どうやって大人になるんだろうか。