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漫画には全部あってほしい
漫画に疎いのでまったく名前を知らなかった、藤本タツキ。人気作家と話題のその人が書いた読み切り短編が、疎い自分のところにまで回ってきた。題名は『ルックバック』。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355
数日前に読んで、あとからジワジワ来る作品だったので紹介してみた。すごく細かいところが記憶に残る、「読んでおしまい」で放してはくれない漫画だった。こんな後味を残す表現ができるのだから、売れっ子になるのも必然かもしれない。
小さいころ読んだマンガに「見える天才と見えない天才」という言葉が出てきた。一回言えばあっさり要求通りにやってのける天才と、一回では決してできるようにならないが、全力で努力した果てにこちらの要求を超えてくる天才。この二つが存在し、ヒロインは後者なのだった。なんとなくその話を思い出す。
才能には二種類あって、派手なものと地味なもの、見ればわかるタイプと見出されなければ芽を出さないタイプがある。見ればわかるものはいい。華やかで人目を惹き、誰もが「あの子は天才だね」と小さい頃から噂したりする。
https://booklive.jp/product/index/title_id/198235/vol_no/001
漫画家で言えば『パラダイス・キス』の矢沢あいはわかりやすく天才だった。独特の力強いタッチ、美しい造形の女性たち、「私はこのスタイルでいくのよ」と自信が滲む絵。若い頃から注目株で、さくらももこがエッセイでそれを振り返っていた。彼女も漫画家を目指していたものの、当時の大本命は矢沢あい。漫画エッセイには、お馴染みの「まるこ」の絵柄で描かれたさくらももこが、彼女の活躍を見て自信をなくしながら、お風呂で涙するシーンがあった。
その後、国民的マンガ&アニメに成長したのは『ちびまる子ちゃん』だった。日本どころか世界中に視聴者がいる。「まるこ」の世界に大事件は起きず、セックスも暴力も出てこないし、ファッション界でシンデレラになる女の子もいないけど──あるいはだからこそ──ちびまる子ちゃんは広く愛された。さくらももこもまた、天才だった。
才能にはいろいろな発露の仕方があるので「天才とはかようなものである」と一言で言うのは横暴だ。逆に言えば創作系の人には、一個のわかりやすい才能の形に自分が当てはまらないからといって、諦めてほしくないなと思う。それが外野の無責任な意見であることはわかっているけれど、みんな本当に簡単に言い過ぎなのだ。「才能がない」って。絵を描くのがうまかったあの子も、音楽をやっていた彼も、みんなしてそう言って簡単に自分の限界を決める。それを傍らで見て口惜しくなることくらい、許してほしい。
ねえ才能ってなんなの?最年少でデビューして大ヒットしなかったら、もうそれ才能ないってことになるの?舐めてない?
上で書いた「見える天才と見えない天才」は、山岸涼子『アラベスク』に出てくるくだりだ。「アラベスク」は唐草模様を意味するが、クラシックバレエのポーズのことでもある。片足を後ろに引き、手を遠くに差し伸べる、バレエで最も美しい動きと言われる「アラベスク」。これはクラシックバレエをやる少女たちの漫画だった。
母親が読んでいたウン十年前のものをさらに幼い頃の私が読み、いまだに台詞を覚えているレベルの強いインパクトを持つ。そろそろ漫画にも「古典」というジャンルが出てくるだろうけれど、山岸涼子は間違いなくそこに入るだろう。普段の生活で「天才とは何か」なんて考えることもない小学生に、哲学(?)するきっかけを与えた人だ。偉大。
漫画のパワーはそれくらいすごいのだけど、だからってあまり高尚なものにはなってほしくない。猥雑で笑えてどうしようもない話に救われることだってある。全部あるから漫画なんだって、そういう世界観が続いてほしい、そんな祈り。
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