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カウンセリングって別に普通

小学校から大学まで、よくカウンセリングを受けてた。学校にはスクールカウンセラーというのがいて、話を聞いてくれる。聞いてくれるだけだ。基本的には何もしてくれない。でも話すだけで気持ちが整理できることもあったし、自分は検診みたいな感じで通っていた。具合の悪いところはありませんか?そうですね、家庭における人間関係がちょっと。そんな感じ。

世の中には「カウンセリングとか精神科にかかるのって普通じゃない」「変な病気になった人が行くんでしょ」と言う人もいるらしい。実際、自分も「なんでカウンセリング行ってるの?」と不審そうに聞かれた。「健康診断みたいなものだよ。悪いとこ、痛いとこはないですか?それと一緒」と答えたけれど、相手はあまり納得していなかった。やっぱりああいうのは「特別な心の病気」と結びついてしまうのだろうか。

いま『ラブという薬』を読んでいて、精神科の話が出てきたから思い出して書いてみた。この本の中でも「精神科にはかかりにくいイメージが社会にある」「もっと気軽に利用してほしい」と当の精神科医が語っている。一般的には、そんなにハードルが高いのだろうか。

確かに得体の知れない場所ではある。自分がかかっていたのは学校付きのカウンセリングだったから無料だったけど、普通に病院にかかれば料金が発生する。知人が通っていたところは1時間だったか90分だったか忘れたけど、1回3千円。迷っているなら行ってみてもいいくらいの額だと思う。

世の中には、飲み屋やキャバクラ、ホストクラブで憂さ晴らしをする人もいるけれど、それよりはコスパがいい。またカウンセラーには守秘義務がある。「○○さんがカウンセリングにいらしてますよ」「こんな相談されたんですよ」と外に漏らしてはならない。だから相談内容が人にバレることはまずもってない。

あとは学校でスクールカウンセラーにかかっているのを先生が知っていると「あなたひどい顔してるし、あたしの手には負えないからカウンセリング予約しといたわよ」と言われることもある。なんでも担任の先生に頼れるわけじゃないとき、他の大人に相談もできないとき、カウンセラーは一個の避難所になる。

本にはこんな一文も出てくる。「体の傷なら外科、心の傷なら精神科や心療内科。シンプルな話」。そうなのだ。体の傷と同じ、だから当然のように、腕のいい医者もいればヤブ医者もいる。相性のいい悪いもある。最初から最高のカウンセラーに出会えればいいけれど、人によっては変な人に出会ってしまう。

そういうリスクがあるからこそ、まだ体調のいいうちに相性のいい人を探しておくといい。ものすごく追い詰められてから決意してかかった精神科で、キツいことを言われたりしたらたまったものではないから。

余談だけど、自分もカウンセラーから無理解な言葉を投げつけられたことはある。そのときはまだ元気があったから、後から「不愉快だ」と伝えられた。気力が落ちているときだったら泣き寝入りしていただろう。そんな風に「カウンセリングに行ってさらにストレスを溜める」事態もないとは言い切れない。だから少しは体力があるうちに、気の合うカウンセラーを探しておくと、非常時になってもそれほど困らない。

「心が風邪ひいたな」と思うことなんて、きっと誰にでもある。自力で治すのもいいし、人の手を借りたっていい。ちょっと元気がなくなったとき、周りから「みんな頑張ってるんだ、お前だけ弱音を吐くな」とか「世の中にはもっと辛い人だっているのよ」と言われるとき。気軽に話を聴いてもらうのは、別におかしなことじゃない。むしろ自分を守ろうとする健全な努力であって、少しも変じゃない。


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本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。