地味に好き。みちのくの仏たち
「地味に好きなもの」という分類が自分の中にあって。
たとえば、年配の男性がつくるぎこちないピースサイン。カメラを向けられたときにどうしていいかわからなくなって「よくわかんないけどこれでいい?」というように、生真面目な顔で二本の指を立てている。地味にいい。
かわいいおばあちゃんもいい。なにか忘れていたときに「あら、うふふ」と笑って流すような。べつに若い女性がやったっていいのだけれど、これだとどことなく癇に障る。あれはおばあちゃんがやるからいい。
人によっては「女の子が髪の毛を上げて、うなじが見える瞬間が好き」とか「コンビニの店員さんたちがなかよく談笑してるのがよき」とかいろいろある。声高に「好きです」と言うほどじゃないけど、心ひそかに愛好しているものがだれにでもある。
つい最近「地味に好きなもの」リストが増えた。みちのくの仏像である。
岩手県立美術館が開催した「みちのく いとしい仏たち」なのだけど、副題はこんな感じ。
「おらほのカミさま、ホトケさま、大集合」。
「おらほ」ってなんやねん、と思う人のために説明すると、これは「私のところ」の意味である。「ウチんとこ」って言ったほうが、ニュアンスとしては近い。おら(私)のほう、で「おらほ」である。
おらほのホトケのなにがありがたいか、という話である。京都のお寺で見たような、迫力ある木彫りの仏たちには敵わないじゃないか?有名な仏師が彫ったわけでもない、ほとんど素人づくりの木彫りじゃないか?
それはそう。
でもまさしくそれが見どころなのであって、単純にかわいらしいんですよね、この仏さまたちはどれも。「かわいらしい」と言うのに語弊があるとしたら、身近な感じがすると言っていい。ご近所のだれそれさんがモデルであってもおかしくないような、そんな馴染み深さがこの仏像にはある。
これは完全な素人意見なのだけれど、みちのくの仏像はどことな~く土偶に似ている。足のフォルムと言い、全体的にゆるやかな線といい。縄文時代には栄えた東北のことだから、そのへんの文化的遺伝子が受け継がれていても不思議じゃない。
見ているとじわじわくる。なんだろう、自分でもがんばれば仏像を彫れるのではないか、と思えてくる。なるほどよく考えたら、自分が仏さまを彫っていけない理由はない。つくっていけない理由はない。
仏像といえば、奈良に鎮座しているあの像のように大々的なものをイメージしていて、自力でつくるという発想はなかった。だけどみちのく仏を見ていると「あっこれ素人でもいけるな?」という気持ちになるからすごい。
いや、いきなり木を渡されてもなにもできないんだけど。あくまで気持ちの上で、という話なのだけど。
今度なにかにすがりたい気になったら、神社に行って柏手を打つだけでなく、マイ仏を作り始めるかもしれない。百均で買った粘土とかで。たぶんそれくらいラフにつくってもいいものなんだろうな、仏像。
この「みちのく いとしい仏たち」、岩手での開催はもう終わってしまった。次の巡回は京都(9/16~11/19)と、東京(12/2~2/12)になる。
京都での評判がどうなるかは、ちょっと気になるところだ。確固たる伝統文化を擁する地で、民間のひとびとの素朴な信仰の形は、どう受けとめられるんだろう。
京都・奈良あたりの仏教文化は堅牢だけど、東北の民俗文化もおもしろい。私は地味に好き。