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闇堕ちスグリ考察〜思春期を添えて〜

※本記事にはネタバレを含みます。各自ブラウザバックするなどして対策をよろしくお願いいたします!!


 年明けくらいに友人から『ポケットモンスター スカーレット ゼロの秘宝』のDLCに出てくる「スグリ」っていうやつヤバいからプレイしてみて!とおすすめしてもらったので実況動画を見てみました(プレイしろ)。あまりにも闇堕ちしたスグリくんがやばかったので、どうして彼がこうなってしまったのか考察してみました。素人の勝手な考えなので御見苦しいところがありますが、ご容赦ください!

※スグリに関してご存知ない方はこちらを参照してみてください。

スグリはパラノ·キッズ

私は闇堕ちしたスグリ「パラノ・キッズ」と名付けます。パラノ・キッズというのは「思春期真っ只中で、執着心があって、一貫性のある行動をする子供のこと」を指します。突然何なんだよっ!?と思うかもしれませんが、「パラノ」というのは、浅田彰が『逃走論』の中で定義した用語で、パラノ/スキゾと対になる言葉です。簡単に説明すると、

  • スキゾ人間→いろいろなことに興味をもち、ひとつのことにこだわらない人。

  • パラノ人間→ひとつのことに熱中して、ほかのことは全く考えない人。

 となります。この本の中では、子供の頃はみんな“スキゾ・キッズ”のように自由で柔軟せがあったのに、大半の人は大人になったら”パラノ人間”のように型に当てはまった大人になってしまう。だから、昔の子供時代を思い出してスキゾ・キッズ”を目指そう!社会から逃走しよう!みたいな啓発をしています。
 子供から大人への成長期を迎え、苦しい思春期の中で「ポケモンバトルに勝つこと」に執着することでアイデンティティを獲得しようとするスグリの姿はまさにパラノ・キッズと言えるのではないでしょうか。


なぜスグリはパラノ·キッズになったのか?


 では、なぜスグリはパラノ・キッズになったのでしょうか?
 それは、キタカミの里という閉鎖的な土地で育ったことが大きく影響しているのではないかと思います。前編の冒頭でゼイユが「よそ者」である主人公を排除しようとポケモンバトルを申し込んできたシーンが象徴的です。
 その中でも家庭環境も影響していると思います。例えば、スグリとゼイユの両親は本ゲームに一切登場してきません。その代わりに祖父母が二人を養育していることが分かります。このため、両親の不在により姉であるゼイユが父親(あるいは母親)の代わりをするようになったことで姉の高圧的で身勝手な性格に抑圧され、常に「個」を出せない環境で育ったこともことも闇落ちの原因の一つだと思っています。姉の背後にいつも隠れ、怯えている姿がそうとも言えます。


 また、祖父が村に伝わるオーガポンの伝承を主人公とゼイユに伝えるも”村人達から異端者として扱われて迫害されたということもあり、祖父はゼイユと主人公にこのことを誰にも口外しないように釘を刺した。”(ピクシブ百科事典より)ことや、この伝承をスグリの性格に配慮して(静止も振り切って夜の山に突撃をしたり、村人に言いふらしたりしかねないため)伝えなかったことも、村の閉鎖的な文化が残っていることが伺えます。私は当初、祖父の選択に違和感がありましたが、孫たちを異端者として扱われないように、スグリが周りに迷惑をかけてしまわないように、と考えた上での選択なら仕方ないのかなと感じました。



 そして、この村の風習として「勝ったものが負けたものの大切なものを奪える」という考えが無意識に刷り込まれているのではないかと考えます。前述した、ゼイユが主人公にポケモンバトルを挑むシーンや、スグリが主人公に何回も勝負を挑み、最終的に鬼さまを奪うためにポケモンバトルを申し込むシーンがそうではないかと思います。また、オーガポンの大切なお面を盗もうとした3匹のポケモンたちも「力」を使って奪い取ろうとしています。
 そのような閉鎖的な考えが蔓延する環境下でスグリは、憧れの対象である、都会からやってきた主人公と、怖いけれどいつも守っていてくれている姉がオーガポンの秘密を共有し始めて自分がのけ者にされたと感じしまい、スグリは闇落ちをし始めます。昔、村からのけ者にされていた「鬼さま」(オーガポン)と二人からのけ者にされた自分を自己投影することによってアイデンティティを保とうとしているのではないかと感じました。しかし、スグリは鬼さまに自分を重ね合わせますが、そこには自分の気持ちだけしかなく、相手の気持ちや都合は一切考えられていません。このことから、結果的にキタカミの里の閉鎖的な文化や、「勝者が奪う」という美学がスグリを自責的であるのに自己都合主義であるという最悪な性格へと育て上げてしまったのではないかと思います。そして、鬼さまを入手できなかったのは自分に力がなかったからと彼は考えており、ずっとこの村で「力こそ全て」を思い知らされたからこそ執着心が高まったのではないでしょうか。スグリにとって「勝つこと」=「承認してもらうこと」だったものが一度も勝てなかったことのコンプレックスとしてパラノ・キッズとして強化を始めます。 


スグリの姉離れ、ポケモンバトルという通過儀礼

  ここからは後編「藍の円盤」の話に入ります。
 スグリはブルーベリー学園で、異常なまでにポケモンバトルで勝つことにこだわり、ブルベリーグのチャンピオンにまで登り詰めていました。さらに、以前とは打って変わり最悪な性格になっています。前編ではゼイユにくっつき、常に背後に隠れているような引っ込み思案だったのに、一人で行動するようになっています。方言による訛りもなくなり、一人称も「俺」に代わり、目にはハイライトがなくなり、この世の終わりくらいやつれています。そしてリーグ部の部員に叱責をするまでにもなっています。

 この状況から分析できることとして、敗北者であるという過去のコンプレックスを原動力にパラノ・キッズとして強化されたスグリは、ある意味での姉離れ(親離れ)をしたとも言えるでしょう。親の代わりであった姉からも離れていることから、守られる存在から自立した、と読み取れます。ゼイユの干渉を断ち切り、自分の意思でやりたいこと(=チャンピオンになって主人公を倒すこと)を推し進める姿は歪みながらも精神的に自立をして、己の個性を掴み取ろうとしていることが分かります。”思春期特有の不安定な言動は、「親から自立したい」気持ちと「まだ子どもでいたい」という両極を動く気持ち、さらには、「自分とは何者か」という、実存的とも言える大問題と向き合い出していることの表れなのです。”(女性ライフサイクル研究所https://www.f-lifecycle.com/essay/2016/01/000462.phpより)

 また、ブルベリーグ決勝戦では「手頃に勝てる」ポケモンの組み合わせだったことからとにかく「勝つ」ことを意識しているのがここでもわかります。(http://blog.esuteru.com/archives/10145406.html 参照)もうポケモンバトルを楽しむとか、ポケモンを大切にする、なんて考えていない様子です。しかし、この決勝戦でもスグリは主人公に「圧倒的な力」を見せつられた負けてしまいます。高いプライドをへし折られ、血の滲むような努力が水の泡になり、精神崩壊寸前まで追い詰められます。
 このシーンは、ある意味思春期の通過儀礼とも考えられます。スグリは「圧倒的な力」によって負けることで社会性を覚えることができます。ポケモンバトルの実力はそこそこありますが、社会性が非常に欠けています。その点に自身が気づけなかったことが敗北してしまった原因の一ではないでしょうか。そのため、スグリには「負ける」経験が必要でした。ボロボロになるまで負けるのはちょっとかわいそうですが、古代からのイニシエーションでは崖から落とされたり、ずっと断食をすることで自分自身と向き合って自己を確立してきました。苦痛を味わうことで人を成長させると思っています。
  脱線しますが、ゼロの秘宝を引っ張るときに、主人公に対する本音が出てそこがもう…。個人的には共感でたまらないです

う…。個人的には共感でたまらないです

「俺は…… (主人公)がうらやましい……!」

「ポケモン強くて!どこへでも行けて!誰とでもなかよく できて!!」

「俺が ずっと 好きだった オーガポンにも 認められて ……!」

「ねーちゃんだって!! 最初 イジワル してたくせに! すぐ (主人公)のこと 好きだし!」

「俺には…… 何も ないよ」

「血がにじむ 努力しても 無駄だった!! かなわなかった!!」

「俺には もう これしか…!!」

シンジくんかな…?

 そして、もう一つの通過儀礼があります。それは、エリアゼロでスグリと主人公が共闘してテラパゴスを倒すシーン。
 最初は覚醒したテラパゴスの圧倒的な力を見せつけられ、手持ちのヤバソチャが倒されて足がすくみ、狼狽えてしまうスグリ。自分の弱さや敗北を感じながら絶望している様子。しかし、主人公の訴えを聞き、スグリは目の輝きを取り戻し、主人公とともにテラパゴスを倒すために共闘が始まりました。このとき、今までの主人公に対する憧れ、強くならなければいけない焦り、抱えている不安定な気持ちを主人公に救ってもらったのかもしれません。自分のどこか言語化できない気持ち、もやもやした心のどす黒い部分をすくってもらい、気持ちが晴れたのかもしれません。そして主人公から力を分け与えてもらったことで本来の「スグリ」として元に戻ることができたのです。思春期の悩めるスグリが、自分の言葉で言い表せないような苛立たちや心の不安定さを抱えているときに、主人公の短くもスグリのことを大切に思っている「言葉」を掛けてあげることで、「言えない」部分を理解してあげることで気持ちが軽くなって、力をもらったということです。
 このように、後編の「藍の円盤」では、思春期真っ只中のパラノ・キッズであるスグリが姉(あるいは親)から自立し、主人公との共闘を通して他人に囚われない「本来のスグリらしさ」を取り戻すための、スグリの成長のためのテーマを孕んでいるのではないかと考えました。


オマケ:スグリには友達が必要だった

 最近読んでいる本の中に「引きこもりを脱出するには、家族以外の第三者の介入が必要(略)ひきこもり青年を批判せずにまるごと受け入れ、信頼を裏切らないような対象との関係が持てるかどうかが重要」と書かれていました。(斉藤環/『承認をめぐる病』より)これをスグリに当てはめて考えるてみると、キタカミの里=家とするなら、家族以外の第三者は主人公であり、主人公はスグリの考えや性格そのものはを批判せずに丸ごと受け入れてくれていたのかなと思います。前述したスグリとの共闘シーンでも、スグリを自閉的な世界から連れ出してくれたように見えました。(ある意味のセカイ系)また、閉鎖的な村の風習や言い伝えをひっくり返して風穴を開けてくれた存在でもあると思いました。スグリは闇堕ちする前から友達がいなかったよう、初めてできた友達=主人公=第三者でした。主人公のおかげでスグリの中の自己愛と欲望が洗練されて、成熟することで大人として成長できて、救われてよかったなと感じました。 


オマケ:仮面と憑依の関係性

 ゼイユとスグリの目のハイライトが消える演出が二人にあることや、スグリのポケモンバトル前のルーティンの変化、そしてスグリがスイッチを切り替えたように情緒不安定になることが気になりました。これはふと感じたのですが、ゼイユとスグリの祖先は仮面を作る職人の家系であることから、オーガポンが仮面によって強化されるのと同じで、スグリもゼイユも見えない仮面を纏うことで精神が強化されるのではないかと感じました。また、スグリの情緒不安定さには民族的な「憑依文化」が反映されているのではないか。とも感じました。仮面を作る職人の家系であることから村に住む何かしらの霊獣が「自分と違う」人を攻撃しているのではないか…。何か昔の因縁でその一家を排除しているのではないか、それか、よそからきた主人公をその霊獣たちが排除しているのではないか…とも思いました。


感想

 『ポケットモンスター スカーレット ゼロの秘宝』のDLCに出てくるキャラクターは主人公以外どこかしら欠けていて、生々しくて人間臭いです。それになぜか感情移入してしまい、精神的に辛かったです。本当にキャラクター性が全面に出ていて、物語を消費するのではなく、キャラクターを消費するゲームって感じがしました。(キタカミの神話を深堀するまでもなく、テラスタルの謎も曖昧なまま終わっているのがなんともいえないですが…。) 以前読んだ本に「(制作者は)オタクたちに人気のある萌え要素を徹底的に組み合わせ、効率的よく泣き、萌えるための一種の模範解答を提供するために作っている…」て書いてあってまさにそのまんまだな…と感じました。現代のゲームって本当にキャラクターの消費が中心なのが改めて実感できた!!
 しかし、ポケモンは単なるキャラクター消費のゲームではないのです。キャラ萌え+キャラ設定の組み合わせ方を色んな作品で変えてきて、それぞれの作品の良さを活かした唯一無二のキャラに仕上げているところがすごいのです。楽しいし、勉強にもなりました。スグリくんが表層上の承認に固執し続けて査収的に内面が空虚になった廃人姿ももっと見たいですけど(鬼)
 あと、全然関係ないですが、学校が舞台なだけに「これだから学校は嫌いなんだよお!箱庭の中で決められたルールの中でしか生きられない!なんで窮屈なんだぁぁぁぁぁ!」ってなりましたね。。。

突然ですが以下後編の感想メモです。

アカマツ…1番いいモブ。俺もお前と同じ気持ち。楽しかった部活を変な奴らが邪魔してきて可哀想。

ネリネ…ピュアピュアで可愛い…ぽまえもスグリのこと好きなのかよ…。こいつも面倒臭いやつだな。拗らせそう。

タロちゃん…自分が可愛いのわかっているのね。付き合ったら面倒くさそう。カキツバタだけ呼び捨てなのはもうそういうことだろ…。女としては1番苦手だな()

カキツバタ…3留してちるかどこか達観していて皆より年上感満載。お金出してあげるところとか肩入れ先輩ムーブかましている。こういうやついるよな。諦めているからこそどこかスカした感じとかイライラする。コンプレックスましましで何かしら愛着障害があるのでは…。キョーダイとは…アイリスに対して何かあるのかな…
…主人公は道具だったんだね…君は、スグリのこと大嫌いだったんだね…

ネリネ<スグリ<主人公
タロちゃん<カキツバタ

わやー。スグリ、お前方言なくなってるでねえか。おいおいこれは仲間を巻き込んだセカイ系かよ…スグリの気持ち分かりすぎて辛い。どんなに努力しても報われないんだよね。ぽっと出のやつに大事なものまで奪われちゃって…全ては結果なんだよ…どんなに過程がはちゃめちゃで人に迷惑をかけていようが結果が全てなんだな…とスグリくん、俺が慰めてあげるからね。視野が狭くなるのもわかるよ…スグリくん。
先生も先生だな…スグリがポケモンを道具だとしか思っていないように、先生もまた、生徒を道具にしか思っていないんだな…

 話は戻して、当方こういったストーリのあるゲームをあまりしたことがなかったので新鮮でした。キャラクターに焦点を当てながら見てみると、自分の妄想力が鍛えられるというか、あれこれ考えてしまうところがこの作品のいいところだなと思いました。狂います!また機会があったら他のキャラクターの考察を書いてみたいです。以上、ありがとうございました!スグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリくんスグリく

参考資料


五月雨空也/『【ポケモンSV DLC前編 碧の仮面】イケボが水ポケモンだけでポケモンDLCクリアする【五月雨空也/しちじはちじ】』

五月雨空也/『【ポケモンSV DLC前編 碧の仮面】イケボが水ポケモンだけでポケモンDLCクリアして視聴者もボコボコにする配信【五月雨空也/しちじはちじ】#2』

五月雨空也/『【ポケモンSV DLC前編 碧の仮面】転校して最初に仲良くなった友達がヤンデレで殺されそうな件について【五月雨空也/しちじはちじ】#3』

拒絶トマトちゃん/ゲーム総合 /『観る「ポケモンSV ゼロの秘宝 碧の仮面」【ストーリー】【追加コンテンツ】【ポケットモンスタースカーレット・バイオレット】』

拒絶トマトちゃん/ゲーム総合 /『観る「ポケモンSV ゼロの秘宝 藍の円盤」【ストーリー】【追加コンテンツ】【ポケットモンスタースカーレット・バイオレット】』

浅田彰/『逃走論: スキゾ・キッズの冒険』/筑摩書房/1986年

東浩紀/『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』/講談社現代新書/2001年

齋藤環/『承認をめぐる病』/筑摩書房/2016年

金山あき子/『思春期と子どもの世界 --通過儀礼と心の成長』
https://www.f-lifecycle.com/essay/2016/01/000462.php

ポケモン公式ホームページ 

伊藤慎吾/『妖怪・憑依・擬人化の文化史』/2016年


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