京都大学
京大は良い。歩いているだけで、建物が語りかけてくる感じがする。
イチョウがすごく綺麗な時、幼馴染と一緒に京大を散歩した(私も幼馴染も京大生ではないのだけど)。人は少なくて、明かりがついている教室がちらほらあった。宇宙研究とか、訳のわかんない方程式のポスターがあったり、ほんとに私には意味わからんワールドが広がっててすっごい楽しい。(写真見て欲しいんですが、ほんとに意味わからん)
生徒ぽい人が自転車で移動してたりもするけど、みんなひとりでとにかく移動してるだけ、という感じ。
この京大という世界の人のなかには、自分の好きなことをとにかく極めて、それが楽しいって人がたくさんいるんだと思う。なんとなく想像で。だってそうじゃなかったらここまで普通に生きてたら触れ合わない、わからないことを学ぼうと思わないように思える。
そんな京大さんが私に放った言葉は、
「共感はいらない」だった。
どうしてもみんな、私も、共感のために生きてしまうところがある。失敗してもうまくいっても、誰かに何か言って欲しいし、辛いよねって共感してもらえることに生きがいすら覚えるときがある気がする。
でも、ほんとうに大切なことは、共感じゃない、と私は思った。
共感してもらえてるうちは、一般のひとなんだーって。
私が人生とはこれって言ってることのひとつに「忘我」があるけど、我を忘れるほどなにかに夢中なのに、人に共感してもらったりしてる暇なんてあるのか?って思った。
駄話はとってもたのしいしずっとしていたいけど、全部共感のために生きてたら、自分のしたいことすら見失うと思った。
何か不安な気持ちになったら、また京大を散歩しに来よう。