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とりつく暇もない話~chatGPTを使った言葉の選択

 これは誤用です。正確には『とりつく島もない』です。しかしもはやそんな議論をしたところで「とりつく暇もない」のです。

とりつく島もない

 語源は以下の通りです。

取り付く島もないという言葉の由来は航海からきています。仮にあなたが今、荒れた海を航海していたとしましょう。あなたは「このままでは船がひっくり返りそうなので、なんとかどこかにすがり付きたい」と考えています。しかし、着岸できるような島が見つからない状況であったとすれば、何も打ち手がありませんよね。

マイナビニュース「取り付く島もない」の意味とは? 間違えやすい慣用句の使い方を解説

 用例としては「頼みの綱だった上司にも断られてしまい取り付く島もない」などでしょうか。
 似たような表現では「にべもない」「けんもほろろ」などがあります。そこでchatGPTを使って以下のような質問をしてみました。

chatGPTの解釈

質問内容
表現についての質問です
とりつく島もない
にべもない
けんもほろろに
といった表現があります
太郎は花子に話しかけたが相手にしてもらえなかったというシチュエーションで使う場合、花子が面倒をさけるような態度をとる場合の表現としてはどれが適切でしょうか?

ChatGPT
「面倒を避けるような態度」を表現する場合、以下のように使う表現が適切です:
とりつく島もない
この表現は、相手が完全に無視するか、全く相手にしない態度を示します。花子が太郎に対して、全く反応せず、接触を避ける態度を取る場合にぴったりです。例:
「太郎は花子に話しかけたが、花子はとりつく島もない様子で、無視した。」

にべもない
この表現も、相手の対応が冷たく、無関心である場合に使われます。「とりつく島もない」と似ていますが、少し優しさが欠けた冷たさを感じさせます。例:
「太郎は花子に話しかけたが、花子はにべもない返事をした。」

けんもほろろ
この表現は、相手が意図的に冷たく、かつ少し強い拒絶の姿勢を見せる場合に使います。少し荒っぽさを感じさせるため、より強い拒絶を表現したいときに使えます。例:
「太郎は花子に話しかけたが、花子はけんもほろほろに断った。」
結論として、花子が面倒を避けるような冷たい態度をとる場合、「とりつく島もない」や「にべもない」がより適切で自然な印象になりますが、シチュエーションの冷たさや強さに応じて使い分けることができます。

chatGPTの回答

 一年ほど前にchatGPTを利用した時にはここまでの回答を期待できませんでしたが、すごい進歩ですね。

 僕は「とりつく島」を採用することにしました。しかしここからが本題。

正確性と違和

 男は酷く驚いた様子だったが、ジールマンを無視して再び歩き出した。ジールマンはすぐに男を追いかけるように並走する。
「あなた先ほど亡くなられた夫人の名前を呼んでいましたね。親しい関係だったんですか。ご親戚とか、ご友人とか、或いは……」
「あなたに話すようなことは何もありません。どうか、お引き取り下さい」
 男はとりつく島もない様子で、ジールマンを無視した。
「まさか恋人ってことはないですよね。だとするとあなたはきっとこう考えているに違いない。夫人を死に追いやったのは自分の責任だと……」

めけめけ著『オートマタ・クロニクル~人形師ダミアンの事件簿』より抜粋

 しかし、この文章は僕の中では違和感はないが文法的には問題があるのではと物書き仲間から指摘を受けた。
 たしかにそうなのだ。「とりつく島もない様子」というのは口語では一般的であるが、本来であれば主体が「どうにもできない」と感じるものであって地の文で書く、第三者の視点で書くには不適切とは言わないまでも、不正確である。

修正案1
ジールマンは男に声をかけたが、無視されてとりつく島もないという感じだった
修正案2
男がジールマンを無視したため、ジールマンはとりつく島もない状況になった

修正案

 意味は伝わるがなんとも歯切れが悪い。違和がある。であれば『男はにべもなくジールマンを避けた。』などにしたほうがよほどすっきるする。或いは『すげなく』なども候補としてはある。
 そこでもう一度chatGPTに意見を求めてみた。

質問内容
「太郎は花子に話しかけたが、花子はとりつく島もない様子で、無視した。」は花子が太郎を避けていたという様子を伝えることはできますが、本来の「とりつく島もない」は主体となる太郎の心情であって、正確に記すのであれば、「太郎は花子に声をかけたが無視をされた。太郎にすればとりつく島もないと感じていただろう」となるのではと考えました。
文章の正確性と違和を感じるかどうか、読み手に伝わるかどうかを考えた場合、正しくなくても簡潔に伝わる表現を選ぶべきかどうか。
意見をお願いします。

ChatGPT
非常に鋭い観察と考察ですね!以下に、表現の正確性と簡潔さの観点から意見を述べます。
1.表現の正確性を重視する場合
「とりつく島もない」という表現は、もともと主体の「感じ方」を表す言葉です。そのため、文脈から正確性を求める場合、以下のように主観を明示する形がより適切です。
例:
太郎は花子に話しかけたが無視をされた。太郎にすれば、とりつく島もないと感じていただろう。
この表現では、太郎の主観を明確にしつつ、花子の冷たい態度を描写しています。正確な用法でありながら、感情の動きを丁寧に伝えています。
2.簡潔で伝わりやすい表現を選ぶ場合
小説などの文章では、必ずしも正確性が最優先ではなく、読み手が瞬時に状況を理解し、感情移入できることが重要です。その場合、簡潔に状況を説明しつつ、ニュアンスを伝えることが効果的です。
例:
太郎は花子に話しかけたが、花子はとりつく島もない様子で無視をした。
この表現は、読み手が状況をすぐにイメージできる点で優れています。ただし、文法的には少し主体が曖昧になるため、厳密には「花子の態度」を「とりつく島もない」とするのは言葉の用法として異論が生じる可能性もあります。
3.読み手の受け取り方を考慮
一般的な読者は、必ずしも厳密な言葉の用法にこだわらない場合が多いです。「とりつく島もない」という表現が広く慣用的に使われていることから、多少の不正確さを許容しても読みやすさを優先するのも一つの選択です。
ただし、小説全体が特定の語感や緻密な言葉選びを特徴としている場合、誤用や曖昧さが作品の雰囲気を損ねる可能性もあるため、慎重に検討するべきです。
結論と提案
・正確性を重視するなら「太郎にすれば、とりつく島もないと感じていただろう」のように、主体を明確に表現。

・簡潔さと伝わりやすさを重視するなら「花子はとりつく島もない様子で無視をした」のように、状況描写を簡潔にする。

・中間案として:「太郎は花子に話しかけたが、花子は冷たく無視をした。太郎にとって、それはとりつく島もない思いだった。」のように、状況と感情をバランスよく組み合わせるのも有効です。

最終的には、物語全体のトーンや文体、読者の期待感に合わせて選択するのが最善です!

chatGPTの回答

 なるほど、トーンや文体ね。それはそうだと思う。そして『にべもなく』『すげなく』は僕自身があまり使うことがない表現であること。合わせて『島もなく』が『暇もなく』と誤用されることが多いということは、それだけこの表現が一般的であるという判断から、やはりと『りつく島』を採用しつつ、整合性を取ることにした。

 結果はこうである。

 とりつく島もないと諦めかけたジールマンであったが、この男にくらいつくことで手掛かりを得られるのではという記者の勘が彼を突き動かした。

めけめけ修正案

 まだ修正はしていませんが、これであれば地の文として明瞭にジールマンの心情を表現できているように思えます。まだ正解ではないかもしれませんが、だいぶイメージに近づいてきました。

イメージを言語化することを問い続ける

 物書きというのはとどのつまりが自分がイメージしたことを多くの人に伝わるよう言語化する作業を命題としています。ときに正確性を求められ、時にレトリックを用いて強調、修飾し、ときに慣用的表現を使いこなし、それらをトータルにコーディネイトする必要があります。

 ゆえに販売されている書籍は編集や校正を別に設けて内容をチェックし品質を管理する必要があります。『オートマタ・クロニクル』はただでさえ20世紀初頭のドイツという舞台設定に対する時代考証が必要です。
 こいつをもし商用に書籍化しようと思ったらかなりの作業量が必要でしょう。しかしそうまでして舞台を海外に設定したのには理由があります。

 それはおもしろいから!

 電気や電話が普及し始め、馬車から汽車、路面電車、ガソリン自動車と交通手段が近代化し、人々の生活が大きく変わった時代。そんな舞台で物語を展開させたらおもしろいじゃないですか!

 僕はそのためにこの時代の文化にできるだけ触れようとミュシャモネといった絵画展に足を運び、当時のガソリン車の歴史を調べて博物館に足を運び、どのような食生活であったのかをネットで調べる。

 そして驚いたことに現在のchatGPTは非常に優秀でそうした調べ物の助けになりえます。

1910年前後のドイツの都市、ブレーメンの街の様子を教えてください』という問いに対して僕が知っている以上の情報を与えてくれます。しかし大事なことはまず自分で調べること。そのうえで自分の理解が正しいかどうかを検証するにはとても便利なツールだと感じました。
 おそらく日本人にとって当時の『自由都市』というものがあまりイメージできないと思います。そのあたりの情報を調べるうえで非常に有効なツールでした。

 その見たことのないブレーメンの街をいかに読者に感じてもらえるかは、僕の筆力にかかっているわけです。

知らないことを知ることの楽しさ

 ハンザ同盟という言葉は世界史の中でなんとなく聞いたことがあるのではないでしょうか。僕もその程度の知識でしかありませんでした。ブレーメンといえば音楽隊。地理に詳しい人であればそこが港で栄えた貿易と造船の町だということくらいでしょうか。
 僕が書いている物語は冒険小説までエンターテイメントに振れていませんが、できるかぎり当時の様子を描写して物語を読んでいるだけでその場所や時代に興味を持ってるような物語にしたいと考えています。
 それは僕が知らない土地とその時代の文化や人々の生活を知ったときの楽しさを多くの人に共有してもらいたいからかもしれません。

 そして新しいテクノロジーによって社会が変わっていく様子は2025年の現在と似ているように僕は思えるのです。馬が引いていた車両が自力で動いてより早く移動する世界。
 当時の人たちはどのようにガソリン自動車を見ていたのでしょうか。また電報や電話の登場は彼らの生活をどう変えていったのでしょうか。

 ああ、時間が欲しい。これが本当の『とりつく暇もない』かもしれませんね

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