若くして去る者、逝く者へ
人との出会いは宝物のようなもので、地図を片手にさまよいながらようやく出会える貴重な物。
或いは誰かにとっては石ころのようなものであっても、その人にとっては金やダイヤと変わらない価値の物。
出会いを大事にしようなんて思ったことはないし、無駄にしようとも思わない。宝探しは探すまでが楽しいけれど、人との出会いは、出会ってからが楽しい。
否、そうとも限らない。出会わなければよかったのにと後悔することもあるだろうし、あのとき声さえかけなければ、或いはかけられなければなんてこともあるでしょう。
ライブハウスに足を運ぶようになったきっかけは、金沢に出張に行った帰宅途中、最寄りの駅で路上ライブをやっていたバンドマンに声をかけたのは、もう10年近く前のことになる。
路上で演奏をしているミュージシャン或いはアーチストというのは、昔から気になってというか、時間があれば足を止めてどんな音楽をやっているのかを聴いて、よければ最後まで聴いてCDを売っていれば購入することもありました。
SNSを始めて紆余曲折、ライブ配信をしているインディーズアーチストに関心を持ち、或いはその彼を応援しているリスナーの面白さに居心地の良さを感じて彼のライブに足を運んだのはその半年前
僕のこの10年、2010年代というのは、人工衛星ハヤブサの帰還をきっかけにSNS、ライブ配信の面白さを知り、そのおかげで坂本龍一をライブ配信で観ることができ、どこの誰だかわからない人たちと音楽の楽しさを共有し、そのつながりから、新しい音楽に出会うというダイナミズムを体験したことによって、音楽の再発見とこの時代の人との出会い方付き合い方を見出し、東日本大震災でパラダイムシフトを起こし、そしてこの言葉に出会い、それを実践した変革の時代だったのだと思います。
”会いたい人に会いに行きなさい、まだあなたが出会っていない誰かが、貴方を待っているのだから”
僕が人から本名ではなく、めけめけさん、めけさんと呼ばれるようになったこの10年、僕は本名である架間太陽とめけめけを融合した新しい人格を手に入れたことは以前にnoteで紹介しました。
僕を”めけさん”と慕ってくれる人たちと、この10年たくさん出会いました。そして別れた人、去って行った人も、それなりに多くなりつつあります。
路上ライブで声をかけた若者、FeelAroundのメンバーはヴォーカルが二代目、ドラムが三代目で、今日、また1人、バンドを去ることになります。
彼女のベースラインはとても素敵で、このバンドを常に支えてきました。そんな彼女が音楽の舞台から降りることになる――想像しなかったとは言いませんが、寂しい事ではあります。
彼女の最後の雄姿を見に行くに当たり思うことは、本当にお疲れ様でしたというねぎらいの言葉と、いい音楽、いい演奏をありがとうという感謝の言葉しかありません。
彼ら、彼女に出会わなければ繋がって行かなかった絆も多く、その中にはすでにリタイアしたミュージシャンも少なくはありませんが、こうして最後の舞台を見送れるというのは、むしろありがたい事なのです。
見送ることもなく、去って行った、去って行かざるを得なかった、去るつもりもなかったのに、急に目の前からいなくなってしまうような別れと言うのは、どうにもやるせないです。
FeelAroundが出演したライブでであった、あるバンドは、僕の音楽的な琴線がガッツリ触れて、彼らの今後の活躍を心から期待していたし、彼らの楽曲、演奏ともに多くの人に知ってもらいたい、すばらしい物でした。
彼らは残念ながら1枚のアルバムを残して解散することになります。それはそれで、仕方がない事です。あるメンバーはそこからバンドを立ち上げ、あるメンバーは音楽との距離を少し取りながらも続け、あるメンバーは家庭を気づきました。
それぞれの舞台で元気でやっていてくれれば、それはそれで僕にとってはうれしいことなのです。
ただ、そんな中にとても悲しい知らせ、聞きたくもない若者の訃報と言うのは、どうにもやるせないです。FeelAroundを始め、僕が知り合った若いバンドマンは、自分のことを親戚のおじさんか、父親のように慕ってくれていました。その中の一人の死に僕は心を痛めながらも、運命的なことを感じざるを得なかった。
その訃報があったとき、僕はある仲間と仲たがいをしていて、しばらく音信不通だったんですが、ようやくお互いの溝を埋め、仲直りの盃をかわしていました。その仲間と今は一緒にある作品を作ろうとしています。
僕が仲間との関係を修復し、共同創作をしようと思うまでになれたのは、亡くなった若きドラマーへの僕なりの手向けなのかもしれません。二度とスティックを握ることのない彼のためにも、僕は今できることを、掛け替えのない仲間と一緒にやる。
もし彼に出会っていなかったら、僕が学生の頃にやっていた音楽活動をここまで本格的に再開することはなかったでしょう。そのくらい彼のドラムは上手かったし、なにか通じるもの――この曲のここではこういうリズムでこう叩くみたいなフィーリングがぴったりあっていて、自分がやりたいことのお手本のようなドラムプレイに、いつもわくわくさせられていました。
彼のお通夜と葬儀の日、僕は年内最後のライブがあり、彼を見送ることはできません。でもだからこそ、しっかりと叩いてきたいと思います。
出会いと別れ、繋がる人と人、そこにどんな意味があるのか、意味を持たせるのか。人が生きる、よりよく生きるというためには、その繋がりをどこまでも大切にして、たとえこの世を去ったとしても、忘れずにいることで、彼は僕の中で生きているのではないだろうか。
そんなセンチメンタルは僕には似合わないのでしょうが、一度も一緒に酒を飲みかわすことのできなかった彼との後悔を、できるだけ繰り返さないように、会いたい、会えるかもと思ったときには、どこにでも足を運ぶ軽快さをいつまでも持ち続けたいと思います。
僕は彼らを忘れない。
彼のドラムを話知れない。
そして今夜、僕は彼女のベースを忘れないようにしかりと見届けて来ようと思います。
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