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我が心 雨の公園が如し
短冊濡れて願いもにじむ
過ぎ去る季節のあさましくも狂おうしい
晴れぬ空は
何処へと続くか
雨の七夕

やまない雨はいじましく
地上と宇宙(そら)を隔てる
見上げるほどにうらめしく
地面に落ちる雨粒の
物悲しさに心乱れる

雨水を跳ねて通り過ぎる
車の音が妬ましく
傘撃つ雨音痛々しく
身を貫くほどに鬱陶しい

団地の広場に置き去りの
三輪車が物悲しい
目に映るもの何もかも
この世の不幸を背負って見える

そんなことはあるはずないのに
そんなこともあってもいいかと
己の心の隙間から
どす黒くも熱い闇が波を打つ

知らず知らずに覗いては
その浅ましさに身を焦がす
それを見透かすかのように
頭を冷やせと雨が降る

いつもと違う週末に
身をもてあましてさまよえば
憂鬱という名の気まぐれに
身をゆだねては想いを紡ぐ

雨の七夕 願いをこめて
恨みの一つも晴らせよと
晴れぬ空のありように
おぞましきかな我が詩よ

やまない雨はないとつぶやき
晴れない心に慰めを
もとめてやまぬ
雨の七夕


あとがき
昨年の七夕にある願いごとを短冊に託しました
それは為すべきことを為さなかったので、あたりまえに叶うことはありませんでした

そのときに調べたところ二年続けて七夕が晴れるというのは稀であるという話を聞きました
案の定今年は雨
この雨ははたして誰が降らせたのだろうと思いながら、散歩がてらに知り合いのイベントに参加した帰り道、雨に濡れた公園の遊具を眺めていたら、冒頭の『我が心 雨の公園が如し~』のくだりがふっと頭によぎりました

それからその気分に身をゆだねてつらつらと書き綴ってみたのが『やまない雨はいじましく~』から先になります

人の心は一度落ち込む気分に身をゆだねるとどのあたりまで沈んでいくのかという思考実験のような作品です

今自分の身に起きていることをすべてネガティブに考えを進めていくと、自分のすごく嫌な部分を覗き見ることが出来る
こんな日には無駄に落ち込んでみるのもいいのかもしれませんね

もちろん僕にはそこから抜け出す術があります
こうしてここに書き残すこともそうですが、僕が身を寄せている言葉があります

世界はあなたが気にしているほど、あなたを見ていないし、世界はあなたがふさぐほど、あなたをほうってはおかない

自分の落ち度や不器用なことを、まわりは自分が思っているほど気にもとめずに、うっかりすれば無視をして通り過ぎてしまう
でも、それを悔やんでふさぎこみ、しゃがみこむようなことがあったとき、手を差し伸べてくれる人や声を掛けてくれる人がいないというほど、世間は冷たくもないし、あなたのことを気にとめている

つまりニュートラルに気分も視線を戻してみたら、案外解決方法は身近なところにあるものだ

『やまない雨はないとつぶやき 晴れない心に慰めを もとめてやまぬ
 雨の七夕』とは、七夕に限定するからこそ、気分はなえてしまうかもしれないが、来年の七夕はきっと晴れるさと、そう言っているのです

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