見出し画像

多数決でいいか、多数決で決めること

『人類は皆ひとつになれない』

多数決という言葉を御存じだろうか?

この民主主義国家において、それを知らないという人はいないのだろうけれど、いや、はたして本当にどうだろうか

”多数決の行く末は最後に二人しか残らない”

たとえそれが1億人からスタートしようが60億人からスタートしようが、多数決の行く末は”二人しか生き残れず”次には二人同時に滅ぶしかないのだ

ある集団の食い扶持が常に半分以下の場合において、多数決で食べられる人、食べられない人を決め続ける

もちろんルールはとても極端だ

つねにAかBの集団に属すことを義務付けられる

ルール1
AとBが同数の場合はやり直さなければならない
ルール2
数が少ない方はその後食べることができない=死

このルールのもとに多数決を続けるとどうやっても最後は二人しか残らず、そこから千日手になる
結果、誰もいなくなる

現実的にはこんなルールで多数決が運用されることはないだろうけれど、多数決が正しく公平なルールだと思い込むのは危険だという認識は、それを扱う民主主義者であれば自覚するべきだと、僕は思う

では、多数決をどうしたら”正しく、公正に運用”できるだろうか
ルールを変えてみよう

前提条件は食べ物は全体の半分しかない
それを消費するとまた半分になってしまう
これを多数決でどのように分配してもよいとする
グループ数は任意の数にわけてもわけなくてもよい

1)一人あたりの配給を半分に減らすことで全員に配給
2)ふたり一組、じゃんけんで負けた方が食べられない
3)2つのグループに分けてそれを交互に行う
  1)を実施するグループA
  2)を実施するグループB

という具合にルールを複雑化させていくことで、公平さを実現することができる

つまり多数決とはそれに付帯するルールによって民主的であるかどうかが決まるのである

で、そのルールを作る人っていうのが政治家であり、ルールを考えるのが官僚ってことになる

選挙というのは多数決でルールを決める人を選出する代議制民主主義の基本ルールってことになるわけだけれども、いってしまえば、それを守れない奴は民主主義の恩恵をうけることも、それによってなされることに文句を言うことも”本来は権利を有しない”ってことになるのだけれども

社会が熟成していくと、暗黙の了解がすなわち1票、多数決における一つの手法であることは、なんとなくわかると思う

つまり”何も言わない””何も求めない”という意見ということなのだけれども

社会の仕組みは、何をするにしても、まず多数決で、どの手法をとるかを決定して、それを積み重ねて構築されているのが”民主主義社会”すなわち多数決で作られた社会=公平な社会としよう

しかし、いちいち多数決をとるのは非効率なので、代表者に任せましょう、それでいいですかって多数決を取って、今の社会は生まれた

のではなく、血で血を洗うような戦の結果、民主主義を勝ち取った歴史と、民主主義を押し付けられた歴史とあるわけなのだけれども

いやいや、それもおかしい

別に多数決なんかなくても、だいたいわかるじゃん、話し合いでああ、それがいい、そうしようって共感と妥当性

だからなんでも多数決で決まった社会なんてないんだけどね

それを”民意”って言ってしまっては、なんというか興ざめしてしまう
少なくとも僕はそうであり、51%が49%を支配する社会を民主主義というのなら、やはり、最初の多数決と同じように滅びるしかない

なんて極論は置いておいて

多数決とは何かについては、もっとちゃんと考えた方がいいというお話でした

まぁ、そんなことを考える助けになるかはわかりませんが、多数決をテーマにした短編をここにご紹介しますね

SF会話劇です
『人類は皆ひとつになれない』という物語です

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?