モネ 睡蓮のとき~失われていく色彩をとらえる「ちから」とは
絵画について自分が何かを語るなどおこがましいとは思いつつも、それをしないでいることは申し訳ないような気分にさせられた。
モネについてはルノアールと並んで印象派の代表であること、印象派は19世紀フランスで開花したこと。モネは特に風景をテーマにしていたことくらいは知っていたが、そもそも印象派よりも写実的な絵画の方がとっつきやすかった自分にとっては、モネの睡蓮をこの目でみたいという思いは皆無に近かったといっていい。
19世紀から20世紀初頭という時代
もし僕が音楽だけに興味関心がある人間であったのならこうしたこの時代への好奇心はとても薄いものであったかもしれない。
物書きである僕は、現代劇または近未来に強い関心をもっていたが、いくつかの関心事――たとえば魔女裁判や心理学とオカルティズムの関係や戦争と平和と民族や文化、宗教観といった人類社会のテーマを扱ううちに近代への入り口、19世紀後半から20世紀前半に起きた社会の変化を無視できなくなった。
その過程でミュシャと出会い、現代アート、ポップカルチャーをより多面的に観察できるようになったこと、そして画家の目から見たその時代の色彩について強く関心を持つようになったことを考えればモネとの出会いは必然であったのかもしれない。
テクノロジーとアート
12月にミュシャ展(グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ)を見に行った時、彼の手法は現在フォトショップを使ってデザインするようなモチーフの切り抜きと加工をアナログな手法でキャンバスに描いていたということが理解でき、写真というテクノロジーが絵画の世界に及ぼした影響を強く感じた。
ミュシャはモデルに衣装を着せてポーズを取らせて写真に撮り、それらを組み合わせて一枚の絵画の中にリアルな群衆とアイキャッチになるアクセントを入れ込み、自分の作品、すなわち見る者に訴えかける絵画からの視線を作り出すことに成功していたのだと思う。
印象派運動を絵画の手法であるととらえたとき、モネは何を絵画に求めていたのであろうか。
自分の庭園の池に浮かぶ睡蓮を写実的に描いてそれを見せることと、彼のフィルターを通した色彩の印象をキャンバスに映し出すことと写真との違いはいったいなんだったのだろうか。
音楽がオーケストラによる物理的にも社会階級的にも閉鎖的な娯楽であったことがレコードやラヂオの登場によって誰でも気軽に楽しめるものになったとき、ストリートに根付いた音楽がブルースやジャズやロックンロールを生み出し、そのあり方を変えていったようにテクノロジーはアートのあるべき形に変化をもたらすものであるとするのであれば、この時代のアーティストたちはキャンバスに何を描こうとしたのだろうか。
失われていく風景と心象
音楽は動的であり、絵画は静的である。しかし一枚の絵はときに人の心を激しく揺さぶるようなエモーショナルな姿をさらすことがある。
僕の認識ではルネッサンスとは人間賛歌であり、生命の神秘の融合であったのだと思う。そこには躍動感と強烈な陰影、そして線の強さが重要な要素であったように思える。
19世紀、人々の暮らしは産業革命を経てこれまでにない繁栄と同時に人の在り方が社会の歯車であるのか、心とは何かを論理と哲学と科学で語るようになり、それまで宗教だけに頼りがちであった生きることの意味について見直す動きが活発になったのではないだろうか。
変化を嫌い懐古主義に陥ることもあれば、民族主義に目覚めることもある。世界は多様化し、ひとつの価値観では立ち行かなくなってきたのがこの時代の特徴ではないかと僕は思う。
数軒隣までが自分の世界であったものが天は動いているように見えて地球が動いているということを科学が証明し、人の起源は神が想像したというストーリーではないという事実は、それまでの社会通念を根底から揺るがすものであったに違いない。
同時にそれが大きな摩擦を生みながらも、心のどこかでそれまで信じられてきたものが、実際に手に取って感じられるものではないにもかかわらず、人の脳は生物として複雑な認知を可能にする仕組みであることの証明でもある。つまり人は人のまま進化をするのだ。
モネはそうした社会の変化、人間が進化していく動的な存在であることを意識したうえで、認識したうえで、絵画の持つ可能性、人の脳が持つ可能性について考えたときに印象派というムーブメントがこの時期に開花したのは当然のことであったのかもしれない。
近代化により失われていく風景をより心に刻もうとしたとき、それは写実的であるよりも色彩の印象であるとしたほうが、人の記憶、脳が持つ機能、心という装置を考えたときには合理的であるのだろうと僕は考える。
だからこそ僕には共感できないことがある
脳科学や言語学、人の認知に関する最近の研究に触れることが多くなったのはyoutubeなどのテクノロジーがもたらした恩恵である。
したがって線や明暗、陰陽の強調による写実的なアプローチだけでは人の脳は正しく情報を処理できないのだろうという予測が今の僕には立つ。人の心に残る単純記憶ではなく心象というものはもっと抽象的な情報も含まれるからだ。
モネはその抽象性に着目し、その手法を様々な形で実験をしていたということが今回のモネ展では見て取ることができる。同じ素材、同じ構図を時間の移り変わりとともに書き続けることによって、抽象性の可能性をどこまでも引き出そうとしていたのではないか。
モネは線で見えない色彩の輪郭をその目でとらえようとするあまりに、肉体としての限界を超えるまで書き続けることになったように思える。
晩年、モネは片方の目の視力をほとんど失ってしまう。その時期に書いた「日本の橋」は、鬼気迫るものがあり、それまでの水面に浮かぶアンニュイな色彩とは替わって、赤色や強い茶色が含まれるようになってくる。
見えないものを観ようとしたとき、ありえないことが起きたのではないだろうか。赤は深海まで届く強い色なのである。紫外線、赤外線という言葉があるように赤は色の境界線なのである。
モネの目にはもう豊かな色彩は届いていなかったのかもしれない。そう考えるとその絵には美しさよりも怨念めいたものを感じてしまう。しかし彼の心はどこまでも静かであり、僕にはそのような精神性はもはや狂気と言っても過言ではないと、恐ろしくなったのである。
探求先にあるもの
部屋にモネの睡蓮を飾ったとしよう。僕はこうして書き物をするために様々な文献を調べ、考察し、妄想し、そしてそれらを組み立て、加工して物語を紡いでいく。それは恐ろしく不自然で非日常的な創作活動の基本的なアプローチである。
ふと視線を睡蓮に送ると、それまで抽象性を小説という写実的な表現に変換するために酷使した脳は、その抽象的な絵画によって癒される。そうであるのだろうと想像ができしてしまう。
モネの作品は現代を生きる人間のリセットの視線といってもいいのかもしれない。ふと視線を送るだけで抽象性の重要さに気づかせてくれるほどに完成されたモネの作品が多くの人に愛される理由はそこにあるのかもしれない。
創作とはそのように恐ろしいものなのである。ミュシャは道行く人にいかに絵画が訴えかけるかに注力をした画家であり、モネは絵画の世界に引き込むために抽象性を活用した画家である。
僕の結論としてはどちらも素晴らしアーチストであり、現代アートに対する貢献度は計り知れないのだと、そう言えるほどにこの二人の絵画に出会えたことに感動と感謝と少しばかりの嫉妬心を覚える。
すごいものは、あるものだと。
モネ展では女優の石田ゆり子さんのナレーションでオーディオガイドを訊くことができます。
またドビュッシーもその中で紹介されています。この二人は交流もあったようで、その時代の波長みたいなものが感じられます。このあたりの記事はこちらのnoteを参考にさせていただきました。