【"光"を探している】第11回:入院日記(8日目)
はじめに
これは前回から続く、精神病院入院日記です。
Yさん……よく洗濯の部屋で一緒になった人。
Mさん……よく喋る人。話題が飛びがち。
Fさん……よく相撲の話をした人。
2019年1月18日(金) 8日目
冷えた朝だった。
7時半頃か8時頃か、山上の雲空からチラチラと雪が降ってきた。
都会の雪は積もらない。生まれたての雪はひとりでフワフワ舞って、ひとりでアスファルトの上に落ちて、それからスッと消えてしまう。
汚れつちまつた悲しみに……
ふと、中原中也の詩の一節が浮かんだ。
宮沢賢治といい、私は「幻想的」な文豪の作品が好きだ。いや作品だけでなくこの2人はその人生も興味深い。変わり者で、残した作品は多いが認められるのに苦労し、やがては若くしてこの世を去った。
2人の故郷である花巻と湯田温泉、それぞれへ旅行したこともある。
寂しい時、夜空や夜景を見る時、この2人のキラキラ輝く言葉遣いは私の頭の中にふっとやって来る。
そしてこの日で私の一人部屋生活は終わりだった。
ベッドにもロッカーにもカートが付いているので、そのまま看護師さんにゴロゴロ押してもらって4人部屋(今は私含め3人しかいないが)へ。この病院では必要に応じて、こうして部屋の移動もあるのだ。
まあ同室になったメンバーの一人が例のYさんだったし、日中私はほとんど食堂にいるし、特に支障は無い。
それから主治医さんがやって来て、日曜日に家族と一時帰宅ないし一時外出ができること、予定が合うならそのまま退院も有り得ることを知らされた。
「今後こういった形で進みますが、大丈夫ですか?」
はい大丈夫ですと答えた。
答えたものの、私は突然押し寄せてきた現実感にハッとしていた。
――退院。
火曜日と金曜日の午前中、共同の風呂の浴槽にはお湯が張られる。
ややぬるめのお湯に顎下まで浸かりながら、私はひとり考えを巡らせた。
そう、この病院に永遠にいるわけにはいかない。
ここにいれば危険な要素は無い。服も三食も薬も用意してもらえるし、室内の気温や湿度はちょうど良く保たれているし、一日中好きなことをしていられる。
でもここはいわば「竜宮城」だ。
世間と隔絶されているし、滞在する時間が長ければ長いほどそのズレは深くなっていく。
いつまでもここにいるわけにはいかない。
では私は一体何を、そんなに不安がっているのだろう?
……答えなんて分かり切っている。
私は、私が再び「間違い」を犯すのではないかと心配なのだ。
左腕の傷は未だ完治していない。切りたくなる理由も今は無いが、それは「今無い」というだけで、自分の中で自傷へのためらいが失われたわけではない。逆に今切れと言われればその通り実行できるだろう。
自傷「癖」と名が付くのは伊達ではない。
1日目に先生に言われた内容は確かに事実だ。簡単にやめられないからこそ、自傷は苦しい。
そして希死念慮。何日か前には「生きてやる」と思ったものの、あの気合いは現在少し薄れていた。「まあ、生きるか」くらいである。それでも思い直して、むしろそれくらい緩い方がいいのかもしれない。
亥年生まれに獅子座、猪突猛進でつい熱くなってしまうのもまた私の悪い癖だ。というより何かにつけて0か100かの思考なのだ。
――適度に、適度に。
肩の力を抜いてゆっくりと。
ここを出たら自分をコントロールできるようにならなきゃな。
熱いシャワーをあびながら、そう思った。
と、重い話はいったん終えて。
同部屋のメンバーは私とYさんだが、最後の1人・Fさんが外泊から戻って来た。そう、数日前に相撲談義をしたあのお婆さんである。夕食後、3人でしばしお喋りに華が咲いた。
午前中まで私がいた一人部屋には、もう別の人が入ってきていた。
私のような初診だけでなく、『1階』からこの2階に上がってくる人もいるという。Yさんもその『上がってきた人』だった。
どうやら1階は救急等で入ったさらに重い症例の患者さんがいるらしく、その容態が良化するとこの階へ来るのだとか。
「街に普通にいらっしゃるような、元気なお嬢さんに見えるけどね」
Fさんは私をそう評してくださった。
それが嬉しかった。午前中の思い悩みが少し晴れた。お世辞かどうかはさておき、傍からして「元気」に見えるらしいことは、自信につながったのである。
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