生きるということ
①中学校
私は中学一年生の頃から自傷をしていた。きっかけは部活が上手くいかなかったからだ。初めての自傷は漫画の見様見真似でハサミを腕に当てて少し横へ引いた。血は出ず少し赤くなりヒリヒリとした。その時はリストカットの良さは分からず再度やることはないと考えていた。
しかし部活や学校生活で上手くいかないことが続き、もう一度自傷をしようと思い親のカッターを勝手に使い、今までのストレスを全て腕にぶつけるような勢いで自傷をした。思ったより深く切れてしまい焦り手当をして絆創膏で傷跡を隠した。ストレスが一瞬飛んで行った気がした。
次の日、体育の授業があり私の学校では季節によって上着を脱がないといけない決まりがあった。焦りながら上着を脱ぎ、傷跡を隠すように腕を体に寄せてなんとか授業をやり過ごした。
その後も中学二年生、中学三年生とずるずる自傷を続ける日々が続いてある日、私はodというものを知った。そして家にあった処方薬を少しずつ盗って40錠ほど飲んだ。微熱が出て、軽い風邪をひいたような感覚になり学校を休んだ。また盗っても親に気づかれてしまいそうなので、自分で購入出来る市販薬を調べた。snsサイトで調べていくうちにある薬を知った。それはレスタミンという薬だ。貯めたお小遣いを持ちドラッグストアに行き、薬コーナーでレスタミンを探してみたが見つからなかったため店員さんに薬の場所を聞きに行った。心臓の音が店員さんにまで聞こえているんじゃないかと思うくらい緊張した。無事購入でき、次の日の登校前に10錠ほど飲んでみた。二限の授業が終わり、友人たちとトイレに向かおうとした時、体が重くふらつきまっすぐ歩けないことに気づいた。友人に「ふらふらしてる」と指摘されたが誤魔化して話を流した。
私はこの時期から学校を休みがちになり希死念慮も酷くなりほぼ毎日のように薬を飲んだ。
ある時、学校へ行こうと親と約束していた日があった。しかし精神的に余裕がなく、行ける状態ではなかった。約束を破る罪悪感と希死念慮からレスタミンを40錠ほど飲んでしまった。その後学校へ行こうと説得しに来た母にodをしたことがバレてしまった。(母いわく目がおかしかったらしく薬を探し、瓶に残っている数を数え、飲んだ数を計算したらしい)そして救急車を呼ばれてしまい、母とともに近所の総合病院へと運ばれ点滴を打たれた。そして話を聞きに来た看護師さんに、死ぬ気だったのか?今も死にたい?と聞かれ、「あわよくば死ねたらと思って飲んだ。今も死にたい気持ちがある」と答えた。希死念慮がある患者を一般病棟に入れるのは良くないので24時間看護師さんがいる緊急患者の病棟に入れられた。
その2日後くらいに精神科の閉鎖病棟に入院するこおになってしまった。私は嫌だったが医療保護入院という措置を取られてしまい、強制的に入院させられた。
総合病院から精神科の病院に向かう時の車内は罪悪感からとても気まずかった。両親は気丈に振る舞い元気づけようとしてくれたが、罪悪感が溢れるばかりで「こんなやつ早く死ななければ」という強迫観念に襲われていた。