目には映っていても見逃していたこと
お久しぶりです。
メンタリスト彩 -sai- です。
note記事を書くのは久しぶりとなりました。
(書き方さえ、忘れてしまいました……)
今回、ふと書きたいことが出てきて、自分の思考を整理する意味も込めて、書き始めました。
人生の中で集中したり、没頭してきたりしたこと、それは自分を形成する強い核となっているのですが。
それだけでなく、人生の中で、自分の目には何度も映ってきたものの、結局注目しないでいたことも大事なのではないか。
そう思いました。
自分の場合、人の心理についての関心が、小学5,6年生に一度向くということがありました。
その後、マジックのような(実は)人の心理とも関わる分野に触れたり、また、哲学というやはり心理にも近い分野に触れたり。
その時々の関心の少し端に、心理というものがよくあらわれていたのです。
結果、今の自分は人の心理に大いに関心を向ける存在となったわけですが。
こういったものが、他にもたくさんあるのではないか、と最近よく思わされています。
「自分は○○に関心を持ってきたと思ったけど、実は、本当は、その○○の中に一部だけ含まれる△△が興味の核心なのではないか?」
そう思わされるんです。
ある意味で、人生の中で登場したものではあるので、伏線回収のようではあるのですが。
「え、これ、自分にとって大事だったんだ!?」
と驚かされもします。
考えてみると、私が単独LIVEで表現していることの中では、そういう今まで大事と思わなかったけど、取り組んでみると大事だった、ということがいくつもあります。
今、LIVEやパフォーマンスで表現したい事柄に色々と向き合いながら、貯めて練り上げて学んで味わって、ということを続けています。
そこで上記のようなことに気付かされもしたわけです。
そこで思うのは、自分の意識していない部分も、自分にとっていいことをしてくれてたんだな、と。
すぐには大事と気付けないことでも、いつか大事になると目に入れてくれていたのかな。
みたいな感覚です。
ちょっとした思考の整理でした。
またここでいつ会えるかわからないけど、またここでも会いましょう。
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