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当たり前のことが、実はどれだけ大切で、かけがえのないことか~手術と入院生活で気づいたこと~

こんにちは、メンタルウェルネスあおぞらです。

今回、私はとある手術のために12日間の入院を経験しました。

手術前には、周囲から「大きな手術だ」と言われていたものの、正直あまり実感がありませんでした。「患者として入院する経験ができるからいいかな」と軽く考えていたのです。

しかし、実際に手術を受け、入院生活が始まってみると、思っていた以上につらく、しんどいものでした。その中でも、医師や看護師の皆さんは、本当に丁寧で優しく声をかけてくださいました。(もちろん、全員がそうだったわけではありませんが。)

何よりも、この入院生活を通じて一番強く感じたのは、「当たり前のことが、実はどれだけ大切で、かけがえのないことか」ということです。



【1. 入院中に気づいた「当たり前」の大切さ】

まず、入院生活で一番つらかったことは、「食事」です。よく「病院食はおいしくない」と聞きますが、手術前日に食べた食事は、温かくてとてもおいしかったことに驚きました。

では、何が一番つらかったのか。それは、術後に「鼻から栄養を注入する」という経験です。手術後、4日間は口から食べ物を摂れなかったため、鼻から管を入れてそこから栄養剤を注入しました。

想像しにくいかもしれませんが、細い管を鼻から入れ、喉を通り、胃に到達させる。これを、ずっと入れっぱなしにしておかなければならないのです。短時間ならまだしも、24時間そのままでは本当に不快でした。寝ているときもその違和感と痛みを感じながらの生活でした。


こんな感じです

さらに、栄養の注入も大変でした。1回400ml(約400kcal)の栄養剤を、点滴のように時間をかけて注入します。早く流すと下痢を引き起こすため、2時間かけて少しずつ流し込むのですが、1日3回、合計で6時間じっとしていなければならないのです。

早くしてもらいたいとお願いし、1時間で流してもらったこともありますが、その時は案の定、すぐに下痢になってしまいました。食事を口から摂ることが、どれほど自然で幸せなことか、痛感しました。

普段、私たちは何気なく食事を摂っていますが、その「当たり前」ができなくなった時、それがどれだけ貴重なことかを改めて感じました。食べることができるのは、実は奇跡のようなものなのです。


【2. 口から食べる幸せを再認識する】

経管栄養が終わり、口から食べられるようになりました。食事は重湯などのミキサー食からのスタートです。

すべてのご飯やおかずがこんな感じです

医師から「コーヒーも飲んでいいよ」と言われました。私はもともと毎日ブラックコーヒーを飲むのが習慣でしたが、胃のことを考えてカフェオレに変えてみたんです。すると、これが驚くほどおいしいんです!以前は当たり前のように飲んでいたコーヒーが、こんなにおいしいものだったなんて改めて実感しました。


退院の時には最終的にはおかゆまで戻りました。おかずも全ておかゆように小さく刻まれ、柔らかくした食事でした。

こんな感じです

まだ、普通の食事までは戻っていませんが、お米の粒を感じるだけでも今は幸せです(笑)そして、ここぞとばかりに、プリンなど甘いものを楽しんでいます。

これまで食事というのは、当たり前すぎて作業のように食べていました。スマホを見ながら、テレビを見ながら、ただ口に流し込んでいました。でも今は、食事に集中し、有難さを感じながら食べています。

【3. 大部屋への入院での気づき】

私は4人部屋だったので、カーテン越しに他の患者さんも入院していました。私の病棟は外科手術が必要な方が入る病棟だったため、いろいろな科の方が入院していました。骨折で動けなくなった人、糖尿病で日々の血糖測定やインスリン注射が欠かせない人、入院中にせん妄状態になってしまった人。年齢も病気もさまざまでしたが、当たり前の生活を失い、苦労している姿を目の当たりにしました。

入院するまでは、健康でいることや普通の生活が当たり前になっていました。私は、仕事柄さまざまな病気の方と関わるのですが、2人称(あなた)と1人称(私)ではやはり違います。過去病気になった経験があるので、日々の健康は大切にしていますが、時が経つとだんだん、それが普通に戻っていきます。でも、この体験を通じて、当たり前だと思っていたことが実はどれほど奇跡的で、ありがたいことかを改めて感じるようになりました。

「普通に起きて、普通にご飯を食べ、外に出かける」という一日こそが、実はとても特別なことで、それができるということがどれだけ幸せなことなのか、心から感謝するようになりました。

【4. 日常の中の「奇跡」に気づく】

もし、今あなたがつらい経験をしているなら、その経験から得られる気づきは何でしょうか?もしかしたら、それがあなたの幸せを再確認するためのステップなのかもしれません。

苦しいことを経験しなければ見えないものもあります。私の入院経験が、あなたの気づきや生活の見方を変えるきっかけになれば嬉しいです。



以上が、私の入院生活で感じたことです。健康な生活がどれほどありがたいか、日々の当たり前がどれだけ貴重であるかを再認識できたことは、つらい体験をしたからこそ得られた大切な気づきでした。

今、あなたが日常の中で感じている「当たり前」の中に、どんな幸せが隠れているか、少しだけ立ち止まって考えてみてください。

他感じたことについて、別の記事で書いてみようと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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