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『罪悪感』

誰しも心の中に居るものだけれど、うつが悪化するにつれ罪悪感は増していき罪悪感が大きくなるからこそうつ病になる、とも言われる。  最初から苦しめられ、最後の最後まで残るものだと思う。

どこで生まれるかというと、これは自分の心。
何に対して感じるかというと、大きく分けてふたつ。

🖤誰か特定の人、又は人達に対して
🖤ルールや倫理観や道徳観など対して

🖤誰か特定の人に対して

これは、本当によくある。 うつの間はずっと。 そう言ってもいいぐらい。
「ごめんなさい…」
「迷惑をかけている…」
「私なんか居ないほうが…」
周りの人で、愛なき人はそのしつこさに嫌な顔をするけれど、愛ある人たちは「そんなことないよ」と気遣いをくれる。 哀しいかな、その気遣いに罪悪感を感じてしまう事も。

🖤ルールや倫理観や道徳観など対して

こちらの方が、ある意味やばいかもしれない。  
ルールは社会や集団において必ずあるものだけれど、これに倫理観などがプラスされて、自らを縛り付けた結果、罪悪感になる。

「社会人として頑張らなきゃいけない」
「いい子でいなきゃいけない」
「母親なんだからしっかりしなきゃ」
「父親らしく弱音を吐かずに」

思い描く自分になれないと、存在価値がどんどんなくなる気がする。 押し付けられる場合もある。 モラハラはその代表。 
辛いよね。 自分が無くなっていくのは。

他人に対してなら「そんなに自分を責めないで」と何度も言われることで罪悪感が薄らいでいくこともあるけれど、ルールや倫理観というのは捉えどころもなく応えてもくれず、抜け出すことのできない沼のようになっていく。  そんな経験、ないだろうか?

『罪悪感』

それは、ユングの言うところの「影(シャドウ)」なのかもしれない。 その人の影の部分。 例えば、暴力はいけないと育てられてそれが悪だと思っている人には、暴力性が強く意識されているという。 それが罪悪感に繋がっていく。
罪悪感に囚われる人の中に、 「自分が周りの人にできないことを罵られ 冷汗をかきながら目が覚める」という夢での経験をした人が少なからずいる。

私の勝手な考えだけれど、「影」には自身の「正義感」が強く関わっている気がする。 正義感が強いほど、うつの時は罪悪感に悩まされる。 そうだと分かっていても、行動的になれない、笑えない、ポジティブにはなれない、そんな自分は正しくないから許せない、そんな風に藻掻いているように感じる。

💛リフレーミング


罪悪感を消滅させることはなかなか出来ないが、軽くする方法は幾つかある。その一つが 「リフレーミング」という。
ざっくり言うと、起きた事などの見方を変えてみよう、ということ。 フレームを変えると、現実も違う色合いになる。

「リフレーミング」で代表的な話は、コップの水の話。
水が半分入っているコップは 「半分しか入っていない」か 「半分も入っているか」か 見方によって、印象は全然違ってくる。 方法は幾つかあって、
🩵言葉の意味を考え直す・・臆病なのは慎重だから
🩵もし〇〇だったら・・家康ならどうする?
🩵今起きている事は、将来どう変わるか、変えられるか?
🩵「どうしよう…」を「自分がどうしたいか?」に変えて考える
🩵嫌いとかの感情を、5W1Hに分解して見直してみる
など。
ただ、自分ではどうしても偏りやすいので、周りの人が会話の中でさりげなく使って貰えるのがいいと思う。

但し、「ピンチはチャンス」なんて言っても誰も信じないから。赤か白の話ではなく、赤とピンクとか、白と黄色とか、かけ離れないフレームをはめていくのがいいと思う。
この方法、周りの人で意識せずに使っている人もいる。 否定せずに違う見方の話するうちに、罪悪感が薄くなったのならきっとそうだ。


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