手芸にハマっていたら言葉が出辛くなった話(元場面緘黙)と、言語化するということについて。

(はじめに説明しておくと、話さない趣味ばかりしていると場面緘黙症が悪化するよ、というわけでは決してありません。一人時間を好むように出来ている人間が、コミュニケーションを取るために使い分けする話です)



最近しばらく、娘の服作りにハマり文字や聞き言葉に触れない生活をしていたのだが、他人と話す時に言葉が出なくプチ緘黙になりかけて参った。

しかし、一日無言で縫い物をしている時の精神状態の方が落ち着いているし、型紙を写しちょっとアレンジを加えたり、手縫いで刺繍をいれたりなどしている時間はとても安定していて本来の自分であるらしい。

好きなことをしていたり、好きな場所やモノに触れていると、自分の感覚は敏感になる。(他人と一緒だと、ここに興奮や不安が入り混じることが多いし、例えば旅行などに行っても「話さなきゃ」と考えてそちらに意識が行ってしまう)

一日自分に埋没していると、帰宅した夫に対しても中々言葉が出て来ず焦る。
昼間に何かしら言葉で考えることがあれば、比較的出やすいらしい。(…と言うより、一方的に話してしまうと言った方が正しいのだが)

困るのは自分の状態と関係なくやってくる他人と関わる時間。今の自分だと、子供の幼稚園の送迎時とか。
どうしても、明るくしなきゃ、面白いことを言わなきゃという意識が(放っておくと)幅をきかせてくるので、結果他人の話を聞かないで、「私は私は」の一方的会話パターンになりがちだが、その時は気付かないことが多い。

他人と関わると、やはり良くも悪くも気持ちの浮き沈みは激しくなる。

言語化のメリットとしては、(本を読んだりSNSでアウトプットしたりで言葉によく触れ)不思議なほどペラペラと話せる時期は、色んな新規の出来事を面白く感じるということがある。

他人の考えなどあまり意識せず、自分の考えを述べたい!という不思議な時期がある。こういう時が長く続くと、子供関係の集まりなどに出向くのも苦痛どころか楽しみになっていた。ママ友の話などにも、表面上だけでも「えーうそ〜」「きゃー怖い〜」なんて適当に相槌を打ったりも出来、それはただ声を出すだけの発散になっているとすら思える時もある。

ただ、この時期は「うっかりミス」が増える。「気にし無さ過ぎ」という感じ。

ストレスはないが、細かな気付きが緩くなり、嫌なことは無いが取り立てて楽しくもないな、といった感じになる。


逆に、言葉から離れた好きなことを一人でやっている時は、繰り返しになるが感覚が過敏となる。何か予想外のことが起こると動揺し、不安定になりがち。

ポジティブな内容なら多幸感を感じられて良いが、ネガティブな内容だとその気分で頭がいっぱいになってしまう。

ネガティブなことが起こったらなるべく言語化、というのは身につきつつあるスキルかも知れない。(普段から言葉に触れていないと途端に元の自分に戻るんだけど)

言語優位の夫は、視覚情報に鈍いらしいが(本人談)、ネガティブなことが起こると非常に動揺するので、言語優位だからといっていつも感情を整理できているわけではないのでまた別物なんだろうな。(元々言葉でものを考えるタイプの頭の中は、私は全然想像出来ないのだが)

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