ゲームの中で無難な選択肢しか選べない私を変えた1作
どんなゲームでもそうだった。
見るからに「この選択肢選んだら最悪なことが起きるだろうな」という
選択肢を選ぶことができない。
どうしても無難だったり、正解のほうを選んでしまうのだ。
ゲームの中ではどんな人格になったって構わないはずだ。
極悪人になろうが、超優等生になろうが、何者になったっていいのだ。
それがゲームのおもしろさだ。・・・でもできない。タガを外せない。
きっと、知らないうちに動かしているキャラクターに
強く自分を重ねすぎているのだと思う。
だから「失敗したくない」「悪人になりたくない」という
変にまじめな、現実世界での倫理観などを意識した選択肢しか選べないのだ。
だが、そんな自分を少しだけ変えてくれたゲームがある。
それがFallout4だ。
はじめてプレイしたオープンワールドRPGだった。
どこに行くのも自由だし、どんな組織に属しても自由。
何もかもが自由な世界だ。
Fallout4に興味を持ったのは、押井守監督のFallout4プレイ日記を読んだのがきっかけだった
彼のプレイスタイルは以下のとおりだ。
・いかなる組織とも徒党を組まない。
・相棒(コンパニオン)はDogMeatという名前の犬に限定。
・アイテム無限増殖などの裏技や卑怯技には手を出さない。
・ドラッグやアルコールなどのバフ(一時的に能力の上がるアイテム)は使用しない。
・妻を殺害し息子を誘拐したハゲ親父の凶悪犯は見つけ次第に穴だらけの死体にする。
・誘拐された息子の捜索は行わない。この世界の何処かで逞しく生きているでしょうが、悪党として登場した場合は殺害を躊躇しない。
・基本的にストーリーは辿らずに殺戮と略奪だけで自立の途を歩む。
・拠点づくりや町の造成などは行わない。
(プレイ日記より引用)
もはや本筋のストーリーをすすめるつもりがない。
自分の目的さえあればどんなプレイスタイルで
あれ成立してしまうゲームなのだ。
こんなに自由なゲームがあるのか、と驚いた私もさっそくプレイしてみた。
プレイ当初はその自由度の高さに戸惑い、
善良な市民になってしまっていたがゲームが慣れてきた頃には
・どのチームにも属さない
・困ってる人がいたらとりあえず助けるが、それ以上の間柄にならない
(人間コンパニオンを増やさない)
・コンパニオンはドッグミート(犬)だけ
・基本、いつもトレンチコート
・会話の際は一旦脅したり騙したりしてみる(スピーチチャレンジ)
という犬を連れたトレンチコート姿のちょっとだけトリッキーな風来坊を
演じるようになる。これが面白い。ハマってしまった。
はじめてゲームの中で自由を謳歌している。
不良になった気分でドキドキもした。
キャラクターメイキングを自由にできるゲームはいくつもあるが、
人格まで作り上げたうえでのプレイははじめてだった。
間違いなくゲームの価値観を変えてくれた1作だ。
起動する頻度はかなり少なくなったが、今でもたまに起動しては
フラッと散策して好き勝手している。
「自由にプレイできる」を文字通り叶えてくれたFallout4。
今の人格もかなり気に入っているが、ある程度やりきったら
また別の人格を作ってイチからプレイしてみようと思う。