死の選択
人が死ぬのは悲しい。
病気でも寿命でも、自殺でも事故でも悲しい。
どんなに人から羨ましがられる人生に見えようが、人には人の地獄がある。
選択した死がそんなにいけないことなのか。
「残された人がつらいでしょう」
死ぬ時まで、他人のことを考えて生きなければいけないのでしょうか。
どんな死に方であっても、残された人はつらいもの。
私は死ぬことにすごく興味がある。
人は死んだらどうなるのだろうと、毎日考える。
いつも『向こう側』を見てみたいと思っている。
小学生の時、
死んでみようと思ったことがある。
つらいことがあったとか、病んでいるとかそういうわけではなくて、ただ興味があった。
好奇心でしかなかった。
あるときクラスメイトの男の子たちに「死ね」と言われて、「死んでみてもいいんだ」って思った。
死ぬことはいけないことだと思っていたから、
死ねと言われたとき、自分の好奇心を肯定された気がした。
「死ね」と言う人はいても、「死なないで」と言う人はいなかったから。
だから思いきって、テレビで見たことある方法で死んでみようと思った。
すごく痛くて辛かった。
血がボタボタ垂れて、想像より血は黒くて綺麗じゃなかった。
保健室で心配された。
どうして?
何か辛いことでもあったの?
カウンセラーの先生に会ってみない?
保護者を呼んで、先生が話をしていた。
いや、間違いなく毎日幸せでしかなかった。
ただ、死に対して興味があっただけ。
外国ってどんなところだろう。
フランス料理って美味しいのかな。
満点の星空を見てみたい。
そんな感覚で、
死ぬってどんなことだろうと思っていた。
『自殺のコスト』という本を読んだことがある。
その時も、周りの人間はまた自殺を考えているんじゃないかと心配していた。
一般的に自殺はいけないことだ。
というのはわかるから、今は自殺はダメだということは、普通に生きていくルールとして認識している。
信号無視してはいけませんっていうのと同じ感覚。
だから死に対してネガティブな考えではなくて本当に興味があって、
でもそれはまわりに理解してもらえない。
京極夏彦でいうところの『向こう側を見てみたくなった』ということなのだと思う。
自殺の多くは、
あまりにも無慈悲な世界に耐えられなくなった、
経済的な事情で、
とかネガティブな理由になりがちだと思う。
けれど人は欲がなくなった時、この世に未練がなくなった時、悲しい未来しか想像できなくなった時にも死を選択することがあるのではないか。
選択する死がそんなにいけないことなのでしょうか。
前向きに死んでいくこと、
自分で人生を終わらせることはできないのでしょうか。
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