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消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違い…
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#記憶

【第18日】母の音色、新たな調べ

認知症の治療の鍵は「新しいことを覚える」ことにあるのではないか——そんな考えが私の心に芽生えていた。母は昔の思い出を生き生きと語るのに、最近の出来事はすぐに忘れてしまう。そのたびに、口癖のように「面倒くさい」と呟く母の姿があった。 ある日、私は母に漢字検定の勉強を一緒にしようと提案した。新しい漢字を覚えることで、脳を刺激できるかもしれないと思ったのだ。しかし、母の興味は湧かず、長続きしなかった。私自身も興味のないことを覚えるのは苦手だから、その気持ちはよく分かる。 では、

【第2日】ミルフィーユのような人生

時折、私は人生はミルフィーユのようだと感じる。何度も生まれ変わり、過去にやり残したことを新たな人生で紡いでいく。その層が重なり合い、深い味わいを生み出すように。 ふと、かつて自殺未遂をした日のことを思い出した。気がつくと、私は精神病院のベッドの上にいた。暴れていたため、手足を拘束されていた。目を開けると、母が静かに私を見守っていた。その瞳には深い悲しみと愛情が宿っていた。 ノーベル賞作家の大江健三郎さんも、同じようなことを語っている。病を乗り越えた彼は、「母がもう一度産ん

【第1日】消えゆく記憶と共に

私と母は、静かに織りなす絆で結ばれている。私は双極性障害を抱え、現実と幻想の狭間を漂う。一方、母は認知症と闘い、記憶の彼方へと消えてゆく。病が進むにつれ、私たちはそれぞれの世界で自分を見失い、家族の存在さえも霞んでいく。 ある日、ふと気づいた。私と母は鏡のようにお互いを映し合っているのではないかと。全体と部分は視点の違いに過ぎず、大きく見るか小さく見るかで同じものを見ているのかもしれない。そう考えると、私と家族は一つの存在であり、切り離せない関係なのだ。 私は決意した。母