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消えゆく記憶と共に〜双極症の私と認知症の母の日記〜

私は双極性障害を抱え、母は認知症を患っている。病が進むにつれ、私たちは現実を見失い、自分が誰であるかもわからなくなる。そんな私たちは、まるで鏡に映る存在だ。全体と部分は見方の違い…
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#マインドフルネス

【第16日】同じ朝、異なる喜び

母との朝食と思い出のカフェ 子供の頃、私は母にひどい言葉を投げかけた記憶がある。「毎朝同じごはんで飽きちゃうよ」と不満をぶつけたのだ。母は悲しそうな表情を浮かべたが、何も言わずに次の日も同じ朝食を用意してくれた。その頃の私は、自分の未熟さを母に押し付けていたのだと、今になって気づく。 大人になった今、私は近所のチェーン店のカフェで朝食をとることが多い。そこには三種類のモーニングセットがあり、すでにすべてを試した。やがて、同じメニューに飽きてしまい、そのカフェから足が遠のく

【第11日】エネルギーの海を泳ぐ

エネルギーの海を泳ぐ 私は双極性障害を抱えており、そのおかげで体内には莫大なエネルギーが渦巻いている。このエネルギーをどう活用するかは、私の人生において極めて重要な課題だ。できることなら、その力をポジティブな方向へ導きたい。だが、もし怒りに任せて使ってしまえば、周囲を傷つけ、社会的な信頼を失ってしまうだろう。 しかし、ふと考える。たとえエネルギーをポジティブに使ったとしても、それは本当に良いことなのだろうか。どんなに膨大なエネルギーでも、無限ではない。使い続ければ、いずれ

【第9日】心の牢獄を超えて

牢獄の中の光 6歳の頃、私は家を全焼させる火事を起こしてしまった。それ以来、自分は罪人なのではないかという思いが心に巣食い、いつか刑務所に入れられるのではないかとびくびくしながら生きてきた。また、震災のときに感じた孤独感が、今でも心の奥底に残っている。 時折、冤罪で刑務所に送られたり、災害で一人ぼっちになる自分を想像することがある。もしそんな状況になったとしても、『容疑者Xの献身』の主人公のように、牢屋の天井を見上げながら数学の美しさに心を馳せて生きていきたい。また、記憶