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白鶴亮翅 陰翳礼讃

多和田葉子『白鶴亮翅』より。
フライブルクに暮らす主人公の夫が「部分照明を嫌い、部屋中が均一に明るくなるように天井に蛍光灯を設置した」ところ、訪ねてきた隣人に「どうして自宅を法律事務所みたいに明るくしているのですか」と驚かれる。夫がまともに答えないでいると、「日本の人は、陰の美しさを礼賛しているのではないですか。タニザキは間違っていますか」と畳み掛けられる。

関空から大阪市内に出る空港バスから見える集合住宅のおびただしい窓を思い出した。
どれもこうこうと部屋全体が青白い。
たいてい間接照明やオレンジ色の照明があたたかいアメリカやドイツの住宅の窓辺と比べると、もの悲しい気分になるし、中の様子がありありと照らされて物が多く見えるからか、貧乏くさい感じもする。

前の質問に主人公は「谷崎は昔の人ですから、それに彼の生きていた頃すでに陰の文化は消えつつあったんですよ。消えつつあるものを言葉で保存して、西洋に発信したのでしょう」と、答える。その答えに納得感があるかどうかは別として、「消えつつあるものの保存」は『陰翳礼讃』だけじゃなく『細雪』のテーマでもあるな。

少なくとも現代では「西洋」の夜のほうが陰がある。
初めて東海岸の学校で昼間に授業を受けたとき、スライドを照射していたわけでもないのに白人の学生が「蛍光灯を消してほしい」と言い、教師もすぐに「あ、ごめん」と言ってスイッチを切って驚いたことがある。瞳の色素が薄いと照明の選択肢が減るのかな、とそのとき思った。

ところで、明るい場所の比喩が法律事務所なのは面白いね。確かに老眼だと約款もろくに読めないもんね。


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