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朝井リョウ『生殖記』

とある家電メーカー総務部勤務の尚成は、同僚と二個体で新宿の量販店に来ています。体組成計を買うため——ではなく、寿命を効率よく消費するために。この本は、そんなヒトのオス個体に宿る◯◯目線の、おそらく誰も読んだことのない文字列の集積です。

小学館より

朝井リョウ『生殖記』。
ようやく読めました!

正欲の流れを組んでる?んでしょうか?

テーマ自体を似せている、というよりは、
「人は維持・拡大・成長」をする本書の主張と、「人は死なないために何かをする」という正欲の主張、この2つに似ている部分を感じました。

正欲では、そのような「死なないため」の理由を持たない人々が社会でどうやって藻掻いて生きるのかを詳しく描いていたが、
今回はその、そもそもの「死なないため」の構造をより客観的な視点で深堀したような一冊でした。

以下、本書を読んで共感した部分や「こうなのかな」と考えた部分をピックアップして感想を述べます。
私にとって本書は難しい一冊で、整然と感想を述べることが難しそうなので、思ったことをひたすら列挙していきます。


人間あるある

面白い視点から物語は進みます。
そして、さすが朝井リョウ。
人間あるある、ずばっと言語化します。

でもヒトって、"そこに生きている"というだけの状態が続くと、すぐにそれ以上のものを求めだしますよね。これでいいのかとか生きている意味って何なのかとか、人生の価値とか誰かのために生きたいとかなにかに夢中になりたいとか。とにかく、生きている、のみの状態からは脱したがります。

……今の私だ、これ。となりました(笑)
卒論を執筆し終わって、やることがない。
だからと言って次の研究をするまで猶予もあるし、バイトだけってのもつまんない。そうだ、本読も。

って今本読んでる私を見透かしている……きゃー。

上世代の価値観

尚成の親世代は、同性婚すらできない共同体に次世代個体を発生させることに罪悪感を抱くなんて発想、全くなかったんでしょうね。だからこそ、カミングアウトされた親個体が怒るという傲慢なフィクションの数々を当然のように受け止められていた。

今の妊娠可能な世代(そのうち、子を持っていない世代)は、どっちかというと、
親に自分のセクシュアリティをカミングアウトし、「謝る」側に目が向くんじゃないかなと思います。

セクシュアリティについての話題が身近になったぶん、私自身も自分のセクシュアリティについて考えたり、友人とそのような会話になったり…よくあります。
(もし自分がそういう立場だったらどうだろう……みたいな)

だけどそっか、親世代は逆なのかなとか思ったり。

「挿入される側」「挿入する側」

異性愛や性に関する犯罪を論題に出す時、身体としての性を根拠にする場合が多いように思います。
トイレは身体の性別で!みたいな。

でも、そういった身体的性別よりも、そしてジェンダーよりももっと根本的な、
淘汰する側と淘汰される側の二項対立を「挿入される側」「挿入する側」という性で表現しているのが凄く不思議な感じがしました。

自分を縛るもの

「意識してやらないでいたこととか、意識して言わないでいたこととかって、誰の目にも見えない分、自分にだけはめちゃくちゃ目につくようになると思うんですよ。これだけはしてやらない、やってやらないって切り捨ててきたものたちが、逆に自分をどんどん縛っていく」

「原風景」が異なる楓からの一言。
そして、「色んなものに認知能力を行き届かせないようにして、様々な感情を予め封じてきた」対照的な尚成。

私は彼らのように性的少数者だという理由で封殺された経験はないけれど、楓の前半の言葉に共感した。

例えば、誰かにその場で怒らない、自分はこうだったって言わずに黙ってその場の意見に従って、後で心の中で
「うるせぇ、お前が言ったんだろ」
ってすること、割と経験ある人いるんじゃないかな。

でも、そういう風に耐えたことで
「自分はあんなに我慢したのに」「どうして」
っていう負の感情だけが蓄積して、どこにも発散できずにいてしまう。
つまり、自分を縛っていくことになってたな、って。

もっと身近な例で行けば、
バスに乗ってて前の座席の人が断りも無しに結構倒してきたとき
「まあ、面倒だからいっか……」
って言わないことを我慢してたらそれを言いことに更にめっちゃ倒されるみたいな(笑)
んで最後に「倒しすぎです!」って爆発。
それなら最初から言えば良かったねみたいな感じ?

結局、難しかった……

結局、維持・拡大・成長する世界の在り方に反する性的少数者は"次"を目指さないものだと一貫して主張するのかと思いきや、尚成は(そのレールに乗らずに)健康志向による"次"を目指してしまっているし、楓も"次"があるNPO活動をする。

……難しい。
人の矛盾とか、多様性に対する説明(違う種を持ち出すのは意味が無い、それって結局生産性がある生き物は許されないってことじゃん結局)とか、

そういう議題を「尚成の性衝動」という何者でもない立場から捌きつつ……
でも結局、共同体次第?なのかな?

原動力になるのは、社会人的生産力でも、異性愛者として共同体に属することでなく、"次"を生きること?
それが共同体の維持・成長に関わろうと、関わらなかろうと。

楓との飲み会の終わり際、「尚成の手にマカロンの袋が触れた~」という旨の記述があったから、
もしや50代でマカロン作ってるゲイの人のように、もしくはNPOとして働く楓のように、
社会に対して無言の否定の姿勢をせずに「する」ことを選択するようになるかな!?とか思いきや、「最終的にそっちの方向で舵を切ったか!」ってなった。

そして最後、機能の衰退が最後に膨張する、という仕組みで説明されてたのは面白かった。

設定や話の展開はとっても面白く、夢中で読み進めてしまうほどでした!
そして何より、さまざまなことを考えさせられる、読み応えのある一冊でした…!


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