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10回目の月命日は色んなことを考える日
すっかり時間が経過してしまった。
書きたいことは沢山あって、でも仕事や日々のバタバタに追われ、PCから離れてボーっとした時間を確保していたら、あっという間に日が過ぎてしまった。
そんな今日は夫の月命日。
10ヶ月になる。
人が亡くなると、手続きが色々と発生する。
特に世帯主だったり、それなりに大人として生活をしてきていると、その手続きも色々と面倒だ。
保険証やもちろん、子どもの扶養手続きや、車や自宅の登記書き換え、などなど。
その際たるものが相続税の手続き。
我が家は高額医療費の還付手続きもあり、夫の状態が悪くなってからは私の大の苦手な青色申告に費やす時間も省略するため、ちょっと前から地元の税理士さんに色々相談していた。
よって、相続税の手続きも見事に丸投げ(笑)
相続税の支払いは死亡日から10ヶ月の猶予がある。
彼が亡くなった時は10ヶ月なんてまだまだ先と思っていたが、ついにその時期がきた。
そして、ちょうど一昨日、3時数分前にダッシュで銀行に駆け込み、納税を完了した(てか、頼むからキャッシュカード支払いとか、ネットバンキングとかさせてくれー。窓口のみは辛い!)。
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10回目の月命日の今日、私は何をしていたかというと、ちょっと前にご家族を亡くされて、ボロボロになっている方の話を聞いていた。
亡くなる前の元気だった頃、亡くなった時、その心境、家族・友達・親戚のリアクション、葬儀の様子、お骨になって感じたこと、不謹慎と言われるが笑ってしまった話、葬儀社の方や近所の方がどうだった、こうだった、という話。
ちょうど10ヶ月前に私が歩んだ道を、その方が語っていた。
もちろん、状況も心境も、思うことはそれぞれ異なる。
でも、この方も精一杯、家族を守り、葬儀を仕切り、自分を奮い立たせて、何事もやらねばならぬことを引き受けて頑張ってきた。
私が通った道で感じたことを語られるのを聞いて不思議な気持ちになった。
私がされて嬉しかった対応、声掛けを思い出しながら(忘れるわけないが)、ちょっと前の自分を客観的に見ているようだった。
夫と父が目の前で亡くなっていった瞬間のことが頭を過ったり、心が動かされなかったと言ったらウソになる。
輪廻転生、じゃなくて何だろう。この順繰り感。
話が終わる頃に、「過去に別件でカウンセラーと言われる人に話したことがあったけれど、あなたと話していると沢山話せて、泣けて、気が楽になった」と言われた(笑)
一応、プロの端くれではあるし、傾聴についてはトレーニングを受けているし、褒められて嬉しくもあり、「そりゃ自分も10ヶ月前の今日はそんな感じだったからね」と変な気もした。
彼の看護/介護がキッカケで「介護離職防止対策アドバイザー」の資格を取ったが、グリーフケアも取っちゃおうかなとか思ってみたり(笑)
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奇しくも今週末は夫の誕生日や、地元の剣道サークルでお世話になった大先生を偲ぶ会もある。
お母さまを突然亡くし、その辛い思いを沢山聞いた方にも偶然連絡を取る機会があった。
友人のために、私が辛かった時期に話を聞いてもらった方に、グリーフカウンセリングを受けられる場を相談してみたりもした。
ということで、私の周りには「死」とそれに直面して戸惑う人達がいっぱい。やっぱり、人生の終わりって難しいなと感じてみた。
でも同時に思ったのは、
「亡くなった人はずっと一緒にいる。
ただ、その一緒にいる方法が変わっただけ。」
ということ。
身体と存在がセットだったのが、身体が亡くなったことで一緒にいる接し方が変わっただけじゃないのかなということ。
陳腐だが、亡くなってもその人はずっと一緒にいる、というのはこういうことなのかなと思った。
もう、10ヶ月なんだね。
手続き、すべて終わったよ。
車も、歩行器を入れるのに便利だったけど、もうあんなに大きいのはいらないから、変えちゃうよ。
私も、息子くんも、新しい生活をしているよ。
そっちはどうですか?