【ゴミ屋敷とトイプードルと私#港区会デビュー】~上昇志向のOLが目指す先にあるものは?~
電子書籍マンガのヒット作となった「ゴミ屋敷とトイプードルと私♥️」の公式続編。基本的には独立した話なので前作を知らなくても読めるが、読んでおいた方が、背景は断然わかりやすい。
第1作から1年後、今回は前作で脇役だった西村沙耶が主人公となる。沙耶が彼氏の徳井康介から夜景の見えるレストランで婚約指輪を渡され、プロポーズされる場面から物語は始まる。
感激のあまり、大粒の涙を流しながら笑顔を浮かべる沙耶だが、それと同じくらい嬉しいのは、周囲の女性客達が自分を憧れと羨望の眼差しで見ていることだった。
見て、見て、見て。みんな、あたしをみて。と。
沙耶がやっているSNS、フォトスタグラム(©️インスタグラム)には、その晩のうちに、小花がモチーフの婚約指輪をはめた沙耶の左手に徳井の左手が添えられた写真がアップされた。 ハッシュタグは、
#幸せのカタチ ♥️ #2人でみる未来 #happy happy happy #Love
と、愛と幸せに満ちあふれていた。
翌日、同僚ふたりから祝福の言葉に加え、勤務先である大手広告代理店のトップアートディレクターであり、イケメンかつ将来有望で言うことなしな徳井と婚約したことを、 「うちの女子社員全員敵にまわしたわね!」「徳井ロスが起きるってー」 と、羨望の言葉とともに冷やかされるが、沙耶は内心気持ちよくて堪らない。
「勝ち組のもらった指輪見せてよ/どこのブランド?」 「知り合いのデザイナーに作らせた一点モノなの♥️」
沙耶は自信満々に指輪を見せるが、同僚達は何故か揃って、え? と不思議そうな表情を見せる。
「意外~/そんな感じでいいんだ?/沙耶って実は庶民的なんだね~」
と、思いがけない反応が返って来た。
「『サヤ、バリー&ウィルトン(©️ハリーウィンストン)じゃなきゃ許さない~』とか言うんだと思ってた~」 「そんなの有名セレブとかロイヤルファミリーのエンゲージリングでしょ~/ありえないって港区女子じゃないんだから~」
「なんてね~/手作りの一点ものの指輪/愛がこもってて最高じゃない」 「そうそう。うらやましい~」
そう言いながら去って行く同僚達の言葉に、沙耶はあからさまに不機嫌な顔になる。ふたりは決して嫌みを言ったわけではなく、心から沙耶のオーダーメイドの婚約指輪をうらやましいと思っての、愛あるいじりとからかいまじりの発言だったのだが、沙耶はそれを真に受け、悪意ある皮肉と受け取ってしまったのだ。
(なんか……色あせて見える……)
今までのhappyでLoveな気分は完全に吹き飛び、沙耶はすっかりトーンダウンしてしまう。仮に私がハリーウィンストンのような安くて100万円、高くて400万円までするほどのダイヤをあしらった指輪などもらってしまったら畏れ多いどころの話ではないし、一点モノの指輪の方がよほど価値があると思うが、四十路喪女で障害者雇用の私と、まだ25歳で大手広告代理店勤務のエリートである沙耶の価値観がまったく異なるのは、当たり前なのだが。
(バリー&ウィルトンか……憧れのmisakiさんならもらえるだろうな)
心の中でつぶやきながら、フォトスタグラムを見る沙耶。沙耶には憧れのフォトスタグラマーがいた。その名はmisaki。彼女のフォトスタグラムには常時、一般庶民とはかけ離れた画像とハッシュタグで埋め尽くされている。
【大好きなブッチ(©️グッチ)の展示会/バイヤー並みのショッピング #パリ 】
【お仕事帰りにシンガポールへ #ファーストクラス #シャンパン 】
【#自己解放 #セドナ 】
【お友だちのバースデーパーティINマカオ #リムジン #カジノ 】
(これよこれ。見てるだけでワクワクしてくる)
途端に、沈んでいた沙耶の顔が紅潮し、暗かった左右の瞳ががキラキラ輝き出す。
ーー沙耶の憧れのフォトスタグラマー、misaki。フォロワーは1万人超。港区在住でお嬢様私立育ち、両親もお金持ち。大企業勤めのキャリアウーマン、週末には六本木や西麻布でパーティ。
しかしこれだけの有名フォトスタグラマーでありながら、彼女は一切顔出ししていない。交遊関係がVIPクラスばかりだから? と沙耶は推測しているが、真偽のほどはわからない。
沙耶は「misakiさんは私の憧れ/全部真似っこした~い(笑)」とリプを送る。その直後、新しい通知を知らせるメッセージが沙耶のスマホに届く。
《Asukaさんが近況を投稿しました》
Asukaとは前作の主人公、明日香。前作では明日香と沙耶がやっているSNSはNICEBOOK (©️Facebook)だったが、作者の方は続編の執筆など想定外だったと思われるため、この設定の違いは、大人の事情といったところか。実際、Facebookは既にオワコンになりかけているし。
明日香の投稿を見た沙耶は、思わずブハッと吹き出し、必死で笑いをこらえた。その投稿内容というのが、アスファルトの中から芽吹いたコスモスのような雑草同然の一輪の花の画像に、ポエムを添えたものだった。
【Flower】と題されたそのポエムの内容は、
「見ているよあなたの頑張りを/あなたの美しさを/あなたの素晴らしさを見ているよ」 「いつかまた大輪の花を咲かせる日まで……」
(まじヤバイ!イタすぎるでしょ/なんなのこの謎のポエムは……センパイあざーすっ)
もう誰もあんたのことなんか見てないのに/未だに更新してるSNS。今ごろどこでどうしているのか。 ど う で も い い け ど。
それからほどなくして、沙耶に総務課から営業部への移動の辞令が出た。自分の力を試してみたくてずっと希望を出してたのよ、と言いながら荷物の整理をする沙耶に、例の指輪の件の同僚達が 「すごーい!/営業なんてバリバリのキャリア志向じゃない!」 「意識高ーい」 と称賛する。
「でも大変そう~/大丈夫なの?/やってけるの?」 その軽口を沙耶はまた真に受けてイラつき、ムッとする。 (一緒にしないでよ) あたしはみんなとは違うんだから、と確固たる自信を持って沙耶は営業部に移動し、初日の朝、沙耶は精一杯の笑顔で 「営業は初めてで……どうぞご指導お願いいたします!」と張り切って挨拶をし、部長を始め、営業部の社員達はみな笑顔で沙耶を迎えてくれた。
「わからないことはなんでも彼女に聞いてくれ/うちの頼りになる女ボス(笑)!」
そう言って部長が、真っ先にひとりの女性を紹介する。千鳥格子のトップスに両耳から三連の縦型ピアスを垂らした、バリキャリを絵に描いたような堂々たる風体の美女だった。
「ボスはいいですけど『女』をつけるのは余計じゃありません?部長。林田詩織です、どうぞよろしく」
笑顔で自己紹介する詩織は風体だけでなく、上司への物言いも堂々としていた。
(マロノ(©️マロノブラニク)履いてるわ、おしゃれ……上司にも媚びないし素敵……)
マロノブラニクは靴のロールスロイスとまで呼ばれる、一足8万円~16万円もするイギリスの最高級シューズブランドだ。沙耶は詩織に憧れの眼差しを向ける。詩織は沙耶のフォトスタのフォロワーであると伝え、
「営業部にもSNSに強い人材が必要だって、西村さんが選ばれたのよ。キラキラ女子の発信力を存分に発揮してほしいわ」
(レベル高めの女たち、あたしもその一員になれたのよ、ウレシイ……!)
と感激する。そこへ部長が、もうひとりの女性を紹介した。 「新しい営業アシスタントで入ってくれた派遣社員の……」
「お世話になります、中山泉です」
微笑みながら自己紹介した女性はナチュラルメイクにノーアクセ、ゆるふわの長めの髪に網目模様のカットソーを着て、花柄のプリーツスカートを履いた、清楚で控えめな印象の派遣社員だったが、沙耶は彼女の姿を目にするや否や、
(地味!やぼったい……しかもハケンだし/こういうのが入ると女子の平均点が下がるつーの!)
と、まるで小学校高学年のマウンティング女児レベルの言葉を心の中で思い、嫌悪感を露にする。特に女性なら、「あー、いたいたこんな奴www」と思われた方も多数おられるだろう。
「キラキラ系の西村さん派と、清楚系の中山さん派で人気が2分しそうですね~」 と盛り上がる男性社員達の言葉にも、
(はぁ!? あたしとハケンを同レベルに扱うなんてありえないんだけど)
と、これまた小学校高学年のマウンティン女児レベルの反応を示す。そんなことを知る由もない泉はおずおずと、
「あの……席お隣りみたいで……よかったら仲良くしてください……」
しかし沙耶は泉を蔑むような笑みを浮かべ、「はあ……」と曖昧に答える。内心では、 ((こんな奴に)なつかれたらたまんない) (無視無視!ハケンなんか眼中なーし) と思いながら、沙耶はその場で、
「林田さーん、ランチご一緒させてくださーい!」
と、詩織に急接近する。そんな沙耶を見る泉の表情は一見寂し気だが、実は彼女は沙耶にまともに相手にされなかったことに傷ついていたわけではなかった。むしろ、泉はその時点で沙耶の人間としての底の浅さを見抜いていたのだ(これは後の展開の重要な伏線となる)。
ーー昼休み。詩織と、もうひとりの先輩同僚とともにランチを楽しむ沙耶。場所はイタリアンか、そこそこお値段のしそうなパスタ専門店で、沙耶は詩織から今夜六本木のラウンジで行われる「異業種交流会」たるパーティに招かれる。人脈づくりには最適と薦められ、しかも詩織がいうには、
「財布なんか持ってく必要ないわよ。一定レベル以上の女はね」
就業後、詩織に会場のラウンジに連れて行かれた沙耶は、ここは会員制だから選ばれた人しか来れないのよ、と教えられ、メンバー達に新しい仲間として紹介される。
会員達は勤務先OBの有名CMプランナー、テレビでよく見るIT社員、さらには女性モデルまでいる。
ポンッ、と音を立ててシャンパンが開けられて大量の泡があふれ出し、テーブルに青鮫のフカヒレ姿煮込みが運ばれると、歓声と、それを撮影するスマホのシャッター音とがラウンジ中にあふれ返る。
「モナコから帰ったとこでさ、やっぱもう一軒(海外の別荘?)買おうかな~」 「コインの動きはどう?」 「おかげさまでもうかってるよ」 「こないだはマカオではしゃいで大変だったよな~~~」
(セレブっぽい会話……ここだけバブル?富裕層ばかりだわ)
未知の体験と場所に、沙耶は胸を高鳴らせる。そのとき、詩織が沙耶に声をかけた。 紹介して欲しいって……と引き合わされた相手は、なんと年商5000億を誇る超大手のアパレルネット通販会社ZAZACITY(©️ZOZOTOWN)の社長、児玉だった。細身で長身で隙なく身なりを整え、パリッとしたスーツを着こなした、ちょっとしたイケオジである。そのまま、沙耶と児玉はラウンジのカウンターで歓談に入る。話の流れで、児玉はよかったら港区のマンションを紹介しようか?と沙耶に話を持ちかける。
「家賃を安くしてあげることも出来るよ。君次第ならタダってことにも……」
それは遠回しな『愛人契約』の誘いだった。
翌日、会社のトイレの化粧台で「なんて言われちゃってビックリ~~」と昨夜の出来事を語る沙耶に、詩織は笑顔で平然と返す。
「あらいいじゃない。みんなやってることだよ」 「え……?」 「パパ活よ/しなくちゃ港区に住めないじゃない」 「詩織さんも……?」
詩織は右耳からピアスを外し、13粒ものダイヤが連なるそれを沙耶に見せた。
「これ、バリー&ウィルトンのピアス。あたしの『パパ』からのプレゼント」
ーーみんな『パパ』がいるんだ……。
その晩、沙耶はまたも詩織からパーティに誘われた。今夜の会場は西麻布。 沙耶は、大事な接待があるからもう出なきゃいけないの、と嘘をつき、データ処理を泉に頼むーーと見せかけ、自分の仕事を押しつける。 「はい。了解です」と、素直に笑顔で仕事を引き受けた泉に対し、
(ゴメンね☆ハケンさん。あたしはあんたには一生縁のない世界にいるの)
と、心の中で舌を出し、完全に泉を見下しきって。
実際、沙耶は狡猾だった。港区会の集まりをフォトスタに投稿する際には、おじさま達が写り込んでいたらイヤラシイでしょ、と画像を女子だけにトリミングし、極上のキラキラ女子を装うという、念の入れようだ。
ーーこれらの画像によっていいね!は倍増し、沙耶のフォトスタは華やかになってゆく。 misakiにも張り合えてるんじゃない? と思うまでになる。
しかし、私生活に影響を及ぼす事態になるまでに、沙耶は増長して行く。
ある日の休日、港区会の面々でクルージングに出発した沙耶は、
のハッシュタグをつけ、フォトスタに投稿し、つばの広い麦わら帽子、ヒマワリの大ぶりのピアス、同じくヒマワリ柄のオフショルダーワンピースに身を包み、船上でクルージングを満喫する沙耶のスマホに、徳井から電話がかかってきた。沙耶はテンション高く電話に出るが、電話の向こうの徳井の口調は、明らかにイラついている。
今日は結婚準備のため、徳井の両親との顔合わせをするための店を決める予定だったのだが、沙耶はそれをすっかり忘れていた。しかもそれは先週に続き2度目。もういい!とキレ、さらに電話も一方的に切った徳井に対し、沙耶は自分の身勝手さを棚に上げ、
(あたしが営業部でキャリアを積むのが面白くないんだわ……小さい男……)
とまで思うようになっていた。
【好事魔多し】とはまさにこのことか、数日後の夜、沙耶は高級ホテルでワインを飲みながら、児玉からバリー&ウィルトンのピアスを贈られる。詩織が身につけていたのと同じデザインの、13粒のダイヤで出来たものだ。
「今夜上の部屋/とってあるんだ」
それは事後承諾同然の愛人契約だったが、沙耶は徳井から贈られた婚約指輪を、
(こんな安物……あたしには似合わない)
と、あっさり外し、沙耶は児玉と寝る。しかしベッドの上での児玉は、
(ジムで鍛えてようが、こまめにメンテしてようが、おじさんはおじさん……) と、沙耶に思われてしまうような、ねちっこいセックスをするだけの、ただの中年男に過ぎなかった。正常位からバックに体位を変えた沙耶はそれでも、
「ねえ。港区のマンション、約束よ」
と、児玉におねだりすることは忘れなかった。
そして数日後の昼休み、泉の持参した弁当が男性社員達の注目の的となっていた。
白ご飯に塩サバ、きんぴらごぼう、半熟の味玉といういわゆる茶色い地味弁だが、それを絶賛する男性社員達に対し、女性社員達は口々に、あざとい、社員の独身捕まえよーと? ハケンやること怖っわ~、などとあからさまに影口を叩き、沙耶は泉に対する女性社員達のそんな反応に、ほくそ笑む。
「いーわよねー、ハケンさんはゆっくり出来てっ」
と、捨て台詞のように言い放って、女性社員達は昼休みも昼食もそこそこに、腕時計を見ながらヒールの音を一斉に立て、営業先に向かう。部内に残された沙耶のスマホに、児玉からランチの誘いのLINEが届く。
ホテルレストランで、昼からシャンパンを飲む児玉と向かいの席で、沙耶は豪華なランチを堪能する。
#A5ランク和牛 #ローストビーフサラダ #ラグナホテルレストラン
ランチの間もラグジュアリーなひと時/さあ午後もがんばろ!!
そんな自慢気な投稿し終え、ごちそうさまでしたー、と児玉に礼を言いながら彼と腕を組み、ラグナホテルレストランを出た沙耶と児玉のツーショットを、物陰からスマホで盗撮する人影があった。スマホを持つその手の指先にはネイルが施されており、鼻から下のシャープな顔の輪郭からして間違いなく若い女性だが、沙耶はそのことに微塵も気づいていない。
その日の就業間際、沙耶は部長から会議で使うという、期日は明日(の朝イチ)までとの急な資料整理の残業を頼まれる。
「はい!」と快諾する沙耶だが、内心では、
(って明日までってふざけんなよ。残業なんてやってたら今日のパーティ間に合わないじゃん)
と毒づき、「はーー……どうしよう……困ったな……」て、思わず口に出してしまう。それに気づいた泉が、「どうかした?西村さん」と声をかける。「あっ……ごめんなさい。聞こえた!?」とわざとらしく返し、
「資料整理部長に頼まれたんだけど、一緒に住んでる母の具合が悪くて心配で……」
と、咄嗟に嘘をつく。しかし泉はその嘘を鵜呑みにし、沙耶の残業を笑顔で自ら引き受ける。「心配しないでね」と沙耶を見送る泉に対し、
バ カ じゃ な い の。
と、悪意に満ちた薄ら笑いを浮かべ、沙耶は会社を後にする。
だが思わぬところから、沙耶の悪事はあっさり露見する。恐らく就業後に、先日ドタキャンされた、両親と顔合わせをするための店を決める話をする約束をしていたのだろう徳井が、営業部を訪ねてきたのだ。
営業部内でひとり残っていた泉は、沙耶は母親の具合が悪く、看病のために帰ったと告げると、沙耶の実家は仙台だと知っている徳井は、そんなはずはない、と否定する。3度目のドタキャンを食らった徳井は、沙耶に対する不信感と、怒りが入り混じった複雑な表情を浮かべる。 「なんなんだよ……サヤ……」
さらにタイミング良くか悪くか、そこへ沙耶に急な残業を頼んだ部長自ら、差し入れを持ってきたのだ。何故か泉が沙耶に代わって残業を遅くまでこなしていることを知った部長は、 「まったくけしからんな!」と、激怒する。
ーー翌日の午後。当然ながら、沙耶は部長から大説教を喰らっていた。
「残業を押しつけただなんてそんな~~……本当に母の具合が悪くて~~心配で~~」
と、涙ながらに訴える沙耶。
「仙台まで看病に帰ったっていうのか!?/それでどうやって今朝出社したんだよ!」
部長の追求に、沙耶は、
「いえ……電話で母のこと聞いて、私の具合が悪くなってしまって……」
苦しい言い訳に「じゃあこれはなんだ!!」と、部長は決定的な証拠を付きつける。それは1台のスマホ。そのスマホ画面には、
#港区女子会 #サイコーの夜 #シャンパンとホテルエステと私
というハッシュタグとともに、沙耶がシャンパングラスを片手に、ホテルエステで港区女子会の面々とともに、悠々と笑顔でくつろぐ写真が投稿された、沙耶のフォトスタグラムだった。アリバイは完全に崩れ、これまでの言い訳はすべて嘘だったことがバレ、営業課内の社員達の軽蔑の眼差しが、一斉に沙耶に向けられる。
(最悪)
公開処刑された沙耶は、部長から泉への謝罪を要求される。沙耶は芝居気たっぷりに泉に駆け寄り、彼女の両腕を両手でつかむが、ネイルを塗った爪は無意識に、泉の二の腕の素肌にギリギリと喰い込んでいる。
(部長にチクりやがって。この女のせいで)
もちろん、泉は部長にチクってなどいない。完全な逆恨みなのだが、沙耶は鬼の形相で泉を睨み付けている。しかし泉は平然として、 「私なら、大丈夫ですよーー」と笑顔で返し、沙耶の左掌を、両手ですっと離す。泉の二の腕には爪痕すら残っていない。そしてここから、物語は意外な展開を見せる。
「(残業の)マーケティング資料見せていただいて大変勉強になりましたから。それで気づいたんですが……」
唐突に、泉は部長を始めとした営業課の社員達に、プチプレゼンを始める。老舗のA社とベンチャーのB社の共同開発の新商品を企画してはいかがでしょうか、というものだった。部長は突拍子もない話だと驚くが、泉はA社とB社は近々合併する情報を得ており、その企画案の内容は極めて具体的かつ、両社に企画を持ち込めば広告代理店の電報堂にとっても大口の契約になる可能性が高いものだった。
泉のプレゼンに同意した部長と社員達は早速その企画立案に向けて乗り出そうとするが、泉は午前中にすでにB社へアポをとっており、プレゼン資料も作成済みだった。
【能ある鷹は爪隠す】
の言葉そのものの、泉の並々ならぬスキルに営業課社員達は一様に驚きを隠せず、泉を称賛するが、彼女の態度はあくまでも控えめだ。
「それに比べて……」
またしても社員達から冷たい視線を向けられ、青冷める沙耶。
たかがハケン、と完全に見下しきっていた泉の思わぬ能力を見せつけられた沙耶は、やばい!なんなのあの女、と泉に恐れをなし、ひどく焦る。
(なんとかしなくちゃ……)
焦りと苛立ちを引きずったまま、その夜も港区会に参加した沙耶は、
「なにをイライラしてるのかなあ?/こんなハッピーな場所で、恐い顔はよくないよ」
と、港区会員のメンバーである初老の男性に声をかけられる。彼はR化粧品という大手化粧品会社の専務だった。
「仕事が欲しい?まあ……考えてもいいけど……君次第かな……/タダってわけには……ねえ……」
そのもったいぶった言いまわしは、暗に仕事が欲しいなら自分と寝ろ、というニュアンスだった。
「あんなおじさんと寝るなんてあたしムリ~/やですやです~」
と、トイレの化粧台を前に、詩織や沙耶より後輩らしき若い女性社員が、必死で枕営業を拒んでいる。しかし詩織はコンパクトを手にパフを頬に当て、化粧直しをしながら、大人の女性の余裕を持って、沙耶に問いかける。
「欲しいものがあるなら交換しなきゃ。ねえ?サヤちゃん」 「ええそうね」
そう答えて、沙耶は唇にルージュを曳き直す。何故かこの場面では沙耶の両眼は描かれておらず、いつもなら「そうですね」と詩織に対し敬語を使うはずの沙耶の台詞は「そうね」。 恐らく沙耶は自分の感情を押し殺し、普段の自分ではない別の人格になりきろうとしているのだ。25歳の女性としては、生理的嫌悪感を催すしかない、父親と娘どころか、孫と祖父ほど歳の離れた初老の男と寝るために。
白黒の画面でも、ここだけ沙耶の唇にトーンが貼られており、そのルージュは真っ赤だとわかる。
私は喪女のお手本のような人間なのでコスメにはまるで疎いのだが、真っ赤なルージュはコスメ上級者でも扱いが難しく、リップライナーを使って色味を抑えめに塗わないと、露骨に娼婦じみてしまうらしい。しかし沙耶は、真っ赤なルージュを直塗りしている。
沙耶は真っ赤なルージュを塗ることで、一夜限りの娼婦になることを選んだのだ。
(みんなやってることよ)
詩織の言葉とともに、沙耶の脳裏に憎らしい泉の笑顔が浮かぶ。
(あんなハケンに負けるわけにいかないのよ)
「ああイイッ、せんむ~/せんむ~」
沙耶は老人斑がいくつも浮き出た、萎びかけの専務の裸体の上にまたがり、彼に乳房を握り締められながら、激しく腰を振る。背景に描かれた、パン、パン、パン、パンという、沙耶と専務の下腹部がぶつかり合う音が生々しい。だが、
「見ているよ」
という台詞とともにラスト1コマに描かれた、沙耶のフォトスタを見る黒いシルエットの人物は何者なのかーー?
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