【短編】わらうおんな
変だ。変だ。何かが変だ。奇妙な感じ。不気味な感じ。空気感が淀むような、二日酔いの朝方みたいな、霧の中を歩くような、酩酊しているような。
人間生きていると様々な【不思議】に出会い、それを【経験】する。
それは夢なのか現実なのか幻なのか。なんだか江戸川乱歩みたいなことを言っているけども。でも、事実は小説よりも奇なりって言葉が存在するように、変なことばかりあるのが現実で、それを受け入れて生活しているのが日常なんだ。毎日がどこかしら変で、他の人から見れば誰しもが狂人に見える。
人間が考えられる、想像できることは必ず人間が実現化、具現化できる。そんな言葉をどこかのコピーで聞いたことがある。
まぁ、そんな前置きはどうでもよくて、これから話す物語はどこかで本当に起こっているかもしれないし、もしくはこれから起こりえる話かもしれない。でも大丈夫。きっと確率は天文学的数字で、あなたのもとには起こらないと思うから。
さて、夜だ。
といっても、夜になりきれていない夕方と夜の間。生まれたての夜と言ってもいいだろう。遠くの空は黒と紫色とピンクと橙色が混じったような色をしていて、とにかくジメジメしていて暑苦しい。汗をかいても、なかなか蒸発しないで肌にべっとりつきまとうようなそんな感じ。今夜も熱帯夜確実。天気予報でもそう言っていた。全国的に異常気象。水不足。ダムの水位が下がっていて、今年は節水に心がけましょうって。毎年毎年。未だに外でミンミンとうるさい蝉が鳴いている。
とあるボロアパートの一室。格安の家賃でもクーラーはあるようだ。設定温度二十四度。環境には優しくないけども、人に優しいからそれで良しとしよう。その部屋に男が二人。仮にAとBと置いておこう。この二人はどうやら仲の良い友人同士で、中学校から一緒だという。先程、近所のスーパーで買った缶酎ハイや乾きものなんかでわちゃわちゃ乾杯している。
アパートの住人であるAが話しだした。
「こう、なんていうかさ。なんていうか・・・よく分からないんだけどね。夜になるとさ、凄く怖いことが最近あってな。引っ越してきてすぐのことで内心ビクビクなんだけど。そこの、その奥の風呂場からさ、女の人っぽい、ていうか完全に女の人の声がさ、声っていうか、笑い声が聞こえてきて。別に苦しそうとか、うらめしや~っていうのじゃなくて、本当に笑ってる、その、居酒屋とかでくだらない話してて、そこで大爆笑してる感じの」
酎ハイの最後を口に含みながら、Bが胡散臭そうに聞く。
「オバケ?ってか、幽霊?」
「かも知れない。でもなんかさ、すごい楽しそうでさ。一緒にその飲み会に参加してやろうかなって。何話してたんですか?って聞きたくなる感じでさ。凄い怖いって言ったけども、こうゾクゾクって感じじゃなくて、びっくりするようなさ。電車乗ってて、隣のオヤジが大きなくしゃみするみたいなさ。ビクッ!って」
にわかに信じ難いBは、次の1本に手をかけて言った。
「でもいくら怖くない感じだって言っても、幽霊なら何かしらの対策しないと」
「うん。でもね、いなくなればなるで寂しい感じもするんだよね。ほら、カラオケ行った時に小さくCMみたいなの流れてるじゃん。あれまで音無しになったらなんとなく寂しいじゃん。それと一緒」
小さく笑いながらBが言う。
「変なの。Aって昔から何か変だよね」
「そう?」
「まぁそれについては、今はいいや。蒸し返すとそっちで盛り上がっちゃうから」
「えーいいじゃんよ」
Aが話を脱線しそうになるのを、毎度のごとく諭しながらBが言う。
「今日はそうじゃないでしょ。お前は、その幽霊の正体を一緒に見ようってこと誘ったんだろ」
「やっぱり何と言っても、怖いからね。一人でそれに遭遇して、もし呪われちゃったりした時に助けも呼べないしね」
「二人まとめて呪われたらどうするんだよ」
「大丈夫だと思うんだよね。なんかそんな感じする」
「どこからその根拠が浮かんでくるんだよ。まぁ、Aのそういうところは昔から当たってるからな。大学で研究室が燃えた時も、お前だけ無傷で助かったし。何なんだろうね。変な能力でも持ってるんじゃない。だから霊を呼んじゃうんだ」
「呼ぶって言うか、俺が引っ越してきたその日からいるし、ここに住んでた前の人、自殺したって言うし」
Bの表情から徐々に血の気が引いていった。
「え・・・どこで?」
「そこ。そのドアノブにロープ引っ掛けて首吊ったって」
「え、じゃあここ、事故物件なの?」
「そうだよ。だから家賃も月々一万二千円。すっごくリーズナブル」
「リーズナブルじゃねぇよ。まじか、事故物件なのか。そうか、じゃあ風呂場で女が笑ってても・・・怖いなやっぱ」
「大丈夫大丈夫。怖くないよ」
「お前、怖いから俺を呼んだんだろ」
「そうだけどさ。俺、風呂場以外で幽霊の気配感じたことないし、他はさ、もし居たとしても、きっと成仏してるって絶対。言い切れる」
「どこから来るんだその自信は」
二人のお酒のスピードが上がった。一缶開けて、もう一缶開けて。ついにはスーパーで買った分が底を尽きてしまって。でもこの二人。全然酔っ払う気配も見せない。ざるの二人。
オバケなんて本当にいるのだろうか。
怪談。話が本当でも嘘っこでも、話を聞くだけで、その場にいるだけで凄く怖いと思わせる物語。真実でもどうでもいい。ただ怖ければ怪談になる。あとは語り手の力量。台無しになる話し方もある。
怪談では、この「ただ怖い」ってのがミソで、人間何が怖いのかって、例えば、そのものをこの目でハッキリ見なくても、雰囲気、気配、音、匂い、そんなもので怖くなってしまう。人間の五感が怖いと感じれば、脳が怖いと判断して・・・といった具合に。見える、見えたという怖さもあって、「そこに女が立ってたんです」という直接的なものも、もちろん怖いけれども、「手を洗っているといつの間にか長い髪の毛がびっしりと絡まていたんです」という方が、なんとなく背筋をゾクゾクっとさせてしまう。
普段と違うなって思わせるのも怪談の手法で、日常の中に潜む非日常感。仮にオバケが正体を現さない怪談だとしても、「仕事に行く前はあんなにも汚れていた部屋が、帰ってくると綺麗に整理されていた」とか「使っていないはずのテレビが急についた」とかでも十分に怖がらせることができる。
さて、二人の男。今度は家にあった芋焼酎なんかをお湯で割って呑み始めた。つまみも底を尽きたのか、薄くスライスしたじゃがいもをコンソメで炒めたものをつまんでいる。なんか急に貧乏じみた感じになっていた。
「そろそろだよ。だいたいこの時間。いつもなら風呂から上がって、ゆっくりテレビでも見てるんだけどね。あ、いつもと同じ感じにした方が良いのかもしれない。その方が確率上がるし。どうかな、お風呂入ってくれば?」
こんな時でも冗談を交えてくるAに呆れながら、Bが言う。
「やだよ。馬鹿じゃないの?この時間に出るって分かってるのに、そこにわざわざ行くなんて。怖いだろよ。ったく」
「そ。じゃあテレビでも見る?この時間は何やってるかな。大体いつもはNHKなんだけどね。まぁ、集金に来たところで絶対に払いませんけどね」
笑い声。
「ん・・・何、今の?」
驚いたBを尻目に、Aが冷静に答える。
「あぁ、あれがそうだよ」
「そうって・・・」
「例の、お風呂でのオバケの声。例のって、オバケにだけに例の」
笑い声。
「なんだあの笑いかた。笑い袋みたいだな。・・・たいして怖くないんだけど。なんか気が抜けるな」
拍子抜けするBに、当たり前のようにAが答える。
「でしょ。だから言ってるじゃん。ゾクゾクする感じじゃないよって。まぁ急に笑いが始まるからやっぱりびっくりするんだけど。なんかね、言い忘れてたけど、これが笑う時ってテレビとかで面白いことを言ってるときなんだよね」
「NHKで?」
「うん。ほら、ウッチャンのコント番組とかあるでしょ。あの時なんか特にそうだね」
「へぇ。でも確かに居酒屋とかで大爆笑してる感じだね。女の人の声だけどさ、おじさんの上司みたい。どうでもいいオヤジギャグ言って自分で大笑いしてる感じのさ」
「でしょ。で、見に行こうか」
芋焼酎なんかをお湯で割ったものが入ってる湯呑みを片手に風呂場の外まで移動した。
怖くないオバケ。藤子不二雄のオバQなんかは、典型的な怖くないオバケだ。まぁ実際、街中とかで急に遭遇したら魑魅魍魎みたいだからビックリはするだろうけどね。毛が三本で白いコンドームみたいな形でそこにたらこ唇で。そんなのが家の前を歩いていたら一歩も外に出れない怖さ。
チープな子供向けに作られたお化け屋敷でも、大人がびっくりすることもある。普通に街を歩いていて、曲がり角から「わっ!」って驚かせられたら誰だってビックリするのと同じように。どんなに怖くなかろうと、急に目に飛び込んでくれば悲鳴もあげてしまうかもしれない。「ヒェッ!」なんて情けない声を。
例えば、大好きで気に入っているぬいぐるみが夜に棚から急に落っこちてくれば、声はあげないものの「ビクッ!」とはするし、暗い部屋でおでこにコンニャクがぷるんと当たれば同じようになる。
なんだか少し楽しくなってきたBが言う。
「で、どうする。笑わせんの?コントとかで笑うんでしょ」
「何かテキトウにダジャレでも言いますか」
「ダジャレで大丈夫?」
「大丈夫でしょ。笑いの沸点低いし。多分、小学生並だと思う。いつもそうだし」
「そっか」
一呼吸おいて、Aが言う。
「よし、じゃあ気合を込めて。えーっと・・・風呂場に老婆!」
無音。
「笑い声聞こえないじゃないか」
「あれ?おかしいな。傑作だと思うのに」
残念がるA。
「あんまり面白くなかったんじゃないの?っていうか何。風呂場に老婆って。想像すると怖いわ!」
笑い声。
「笑った!俺のツッコミで笑った。なぁ聞いたか。俺のツッコミで!うわぁ嬉しいなこれ」
アルコールでほんのり赤くなったBの表情が更に、興奮していた。
「喜んでる場合じゃないよ。今の笑ってる時に開けなくちゃ」
「なに。嫉妬ですか。ダジャレで笑ってもらえなくて、それにツッコミ入れられてようやく笑いを取ったんですけど。妬んでますか」
「うっせぇ馬鹿」
「へへん。どうだい俺のツッコミ力は。フットボールアワーの後藤並だな。ほら、もう一回ダジャレ言ってみてよ。俺のキレの有るツッコミで生かしてやるからさ」
二人とも酔っている。
「調子のんなよ。これは俺の部屋のオバケなんだ」
「お前のも、なにものもあるかい!ほらほら」
さっきスベったことを思い出しながら、深呼吸するA。
「・・・よし。じゃあとっておきのを。この焼酎どのくらい呑むの?え、しょっちゅう!」
笑い声。
「おい、笑っちゃったじゃねぇかよ。俺のツッコミが・・・」
「残念でした。俺のセンスが良かったので、Bのツッコミまで笑いを堪えることができませんでしたぁ」
先ほどのB同様に喜ぶ酔っ払いのA。
「馬鹿だね、俺ら。また開けるタイミング逃してやんの」
「今度はさ、お前がなにかダジャレ言ってみてよ」
Bの表情が急に曇る。
「えぇ。そういうのはちょっと。苦手なんだよね」
「いいから、早く」
「じゃあ、えっと、そのぉ、あの・・・このいくらいくら?」
無音。
「・・・」
Aも絶句した。
「お前はなんか言えよ。恥ずかしいだろ」
「あ、顔真っ赤にしてる。いくらみたいに」
笑い声。
「ん・・・なんか悔しいな。」
「あのな、そうじゃなくて。これでいつまでも張り合っててもしょうがないでしょうに。今日は正体を明らかにするために、Bを呼んだんだから」
「はいはい。じゃあ次に、Aがダジャレ言って、俺がツッコんで、笑った時に開けるよ」
「よし。じゃあ、行くよ。これらはみんなコレラです」
「違う意味でお腹痛いわ!」
笑い声。
「今だ!」
勢い良く扉を開ける。
けれども、そこには何も居ない。
普通の、変哲もないお風呂場。
オバケなんてどこにも居ない。
女の人も居ない。
居た形跡すらない。
何もない平凡な空気の流れるちょっと臭いお風呂場。干からびた石鹸とシャンプーなんかが置いてあるだけ。
人間は何もない時にガッカリする。でもオバケや幽霊に関しては無い方がいい。だから少しホッとする。ホッとして、好奇心がある人だけがガッカリする。見たかった。でも見たくなかった。いて欲しかった。でもいたらどうしようか。死んだじいちゃんが枕元に立っているだけで相当怖い。おでこにおでんのはんぺんみたいなのをつけて、白装束で、顔色を真っ青にして、ぬぼーっと。まぁ、これはイメージであって、しかもステレオタイプ的な考え方。
幽霊とオバケは全くの別物で定義が違うんですよ、なんて言う人がいるけれども、正直どっちでもいい。だってどっちも怖いから、一緒にしていいと思う。どっちもオバケだし、幽霊である。絵本とかで描かれている漫画の鼻提灯みたいな形をしているのは、大抵が西洋のゴーストなんだって。でもそんなの関係ない。オバケはオバケ。幽霊は幽霊。怖いものは怖いんだ。急に出てくれば卒倒するかも知れないし。
最近は放送倫理の関係で、テレビでも昔より心霊特集なんてのをやらなくなった。奇跡体験アンビリバボーの心霊写真特集やほんとうにあった怖い話は相当怖かった。一人でトイレやお風呂に入れなかった。誰かいないと怖すぎた。トイレからの廊下はダッシュしてたし。お風呂では目をつむったら最後。後ろにいるんじゃないかって。でもそういう時って、大抵は天井にいるらしいね。怖い怖い。今日から天井、見上げられないよ。
「呑み直そうか。外に行く?」
「だね。何もいないんじゃしょうがない。外行こ」
二人の行きつけの居酒屋。二朝の五時までやっていて、値段が安く、たくさん飲める。凄く良心的な溜まり場だ。
「結局・・・いなかったね。ごめんね、がっかりさせて。せっかくBを呼んだのに」
「いやいや、いなくてよかったよ。多分、見えちゃってたら呪われてるって」
「もしかしたらいないんじゃなくて、たまたま見えなかっただけだったりして」
冗談を言うAに対して、Bが怖がる。
「やめろやめろ。でもさ、本当に大して怖くない笑い声だってね。こういう酒場での笑い声みたいなさ。劇場のお客さんみたいなね。正直嬉しかったんだよね。俺のツッコミに笑ってくれて」
「あれ、良いよな。なんかこう、気持ちいいみたいな」
「な。笑ってもらえることがあんなにも嬉しいなんてな。だからお笑い芸人なんかは、売れたら毒だっていうけどさ。本当なんだね」
「気に入ったみたいだね。どう。うちに引っ越してこない?ルームシェアってやつ?家賃も折半して、なんとお一人様六千円!超リーズナブル!イッツワンダフル!サンキュー!」
「やだよ。事故物件だし。首吊った前の住人だっていつ出てくんのか分からないし。どうする、急にさ、寝てる時に呻き声が聞こえてきて、ふと目を開けると、お前も吊ってやるぅ~なんて言われて首が急に苦しくなるの。息ができなくなって、のたうち回って。で、気がつくと朝で、それはまぁ夢なんだけども、なんか首元に違和感あるなって思って鏡で確認してみたら紐の痕がついてんの。うわ・・・怖っ」
「俺、そこの住人なんですけど。怖い話やめて。でも大丈夫大丈夫。・・・きっと」
「自信ないみたいね。引っ越せば?」
「やだよ。折角、安い物件見つけたのに手放したくない」
「事故物件じゃん」
「でも今はさ、実害ないし。だから大丈夫だってぇの。今日だってコミュニケーションとったけど結局なにも無かったじゃん。でしょ」
「そうだけどさ、でもやっぱりなんか心配。てかさ、事故物件だったら部屋のどこかしらに御札とか貼ってるんじゃない?戻ったら俺も一緒に探すよ。で、あったら引っ越し考えよう。あーでもすぐに引っ越せないから、そうだ。お前も御札ゲットしたらいいんだよ。御札っていったら、ケンちゃんだよ。ケンちゃんの実家の神社で売ってるじゃん。アイツ、まだ実家出てないから、てかそういう仕事だからさ、すぐそこに住んでるし。ちょっとラインして持ってきてもらおうよ。何かあってからじゃ遅いんだよ」
御札の効果は藁人形の呪いと同じようなもんだと思う。怨念と言うか、念じることの凄味みたいな。念じれば叶うお願いごととか。お百度参りみたいな感じとか。受験の時に「アイツ、落ちろ!」って強く念じたり、霊的なもの以外でも日常的に怨念みたいなのはあるんだと思う。呪い殺すなんてのがあるし、どうか神様お救いくださいなんてのもそうだ。心理的なものも念じることの凄味で、マインドコントロールもそれの一種だ。
視線の強さや殺気なんかもそうで、電車の中で誰かが見てるなって感じることがあると、知らないおっさんがジッと見てたりすることがある。お守りも御札と同じで、ただ効力が少し違うだけで、構造は同じ。お寺の住職的な人が念仏やお経なんかを読んで送り込んで溜めて封じ込めたものだ。
ケンちゃんが御札を持て来てくれた。でも顔が怒っている。こんな夜中に呼び出すなって。でも御札はちゃんと持ってきている。
二人は部屋であったことを話す。
ケンちゃんは「やっぱり」という言葉を酒場に残して帰っていった。
二人も御札を受けとると、アパートに戻っていった。
「こういうのってさ、大抵目につかないような、見えないところにあるもんだよね。ほら、この備え付けの絨毯カーペットの下とかさ」
「こんなところにあったら、正直イヤだな。いつもその上に布団敷いて寝てたことになるんだよな」
「後は、天井の梁の部分とか、押し入れの天井部分とか。でもこの部屋には無いから、あるとしたらやっぱり」
「この絨毯の下?・・・じゃあ」
二人が一気に引き剥がす。
「・・・うわ。なにこれ。なにこの量」
「ダブったね」
「そういうことじゃないよ。御札の種類とかはどうでもいいんだよ」
笑い声。
「どうすんの?やっぱり引っ越したほうが」
「うん。この量はちょっと。」
「とりあえず、ケンちゃんのやつ、貼っておきな」
Aの顔が青ざめていく。現実を受け入れられないのだろう。オバケなんかより、幽霊なんかより、正直言って御札とかのほうがゾクッてする。
Bが帰っていった。
Aは未だに信じられないというような顔をして、テレビの音を大きくした。部屋中の電気も着け、明るくなるようにと、怖くならないようにした。そして布団に潜り込んだ。もちろん布団の下には大量の御札。すぐに眠れるように、覚めてしまった身体をお酒で誤魔化す。一時間ほどしても、全然眠れない。眠ってしまったらどうなるのだろうかと考えているが、結局今までは平気だった。しかも今日は新しく御札を貼った。大丈夫なはずだ。
電話が鳴る。その音に身体を跳ね反らす。画面を覗くとBだった。
「なに?」
焦ったようにBが言う。
「なぁ、どうしよう。やべぇよマジで」
「なに?どうした?」
「いやマジで、冗談じゃないよ」
「だから、何があったんだって」
「あの女、家に連れてきちゃたんだ」
「ん?」
「今、シャワー浴びてたら背後からさっきの笑い声がして。小さいねって爆笑されたんだよ」
「ちんこの大きさで笑い取るなよ。え、ってことは、つまり」
「そうだよ。ウチに来ちゃったんだよ。あの時、風呂の扉、調子乗って勢い良く開けたから」
「だったら俺も同じことが起きるはずだぞ」
「じゃあ、アレだよ。ケンちゃんの御札、効力あってAの部屋にいれなくなっちゃたんだよ。どうしよ、どうしよ。なぁ、今すぐうちに来てよ」
「やーだーよ」
「はぁ?お前は俺を呼んだくせに、来ねぇのかよ」
「いいじゃん。Bの家にオバケが引っ越しましたってことで。俺が引っ越さなくて済んだわ。万事解決。サンキュー」
「サンキューじゃないよ。どうすんだよ」
「どうもこうも実際問題、害ないし。死ぬわけじゃないから」
「Aの場合はそうだろうけどさ。・・・ん?」
疑問符が電波に乗ってAの耳に入ってくる。
「なに?」
「お前、俺が帰った後、誰か呼んだ?」
「なんで?」
「ん?誰か大声で笑ってるでしょ?テレビ?」
テレビの方をチラッと見てAが答える。
「ん?テレビは切ってるよ。お前との通話に邪魔になるから」
「え、じゃあ誰の声?」
「気のせいじゃない」
Bの声が徐々に震えていく。
「いや・・・だ、だって、い、今も笑ってるじゃん。男の声で」
「え、誰もいないって。やめてよ~、呪われた腹いせにそういうこと言うの」
「嘘じゃないよ。おい、お前の側に何かいるぞ!」
急に電気が消える。
何故か窓から漏れる街灯も消える。真っ暗。本当の闇。
首元に変な違和感が生まれた。
変だ。変だ。何かが変だ。奇妙な感じ。不気味な感じ。空気感が淀むような、二日酔いの朝方みたいな、霧の中を歩くような、酩酊しているような。締め付けられるような苦しさ。まさかと思う。でもそうしかありえない。
もしかすると、女の幽霊は守護霊だったのかもしれない。だから他の霊達は手出しできなかった。そう考えることもできる。
でも、この話はここでおしまい。え、初めから喋ってる僕は誰かって?・・・さぁ、誰でしょうね。