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おったと?


佐賀県出身だ。

自虐だが、全国的に見れば
影が薄い場所だ。

呼子のイカ 有田焼 嬉野温泉 武雄温泉
吉野ヶ里遺跡 干潟etc.

エガちゃん どぶろっく はなわ
がばいばあちゃん(?) 松雪泰子

有田陶器市 佐賀バルーンフェスタ

名所やお祭りもあるし、有名人もいるが、
同じ北部九州エリアの福岡や長崎と比べると
地味…。な印象がある。

首都圏にいる今、出身地の話をした時、
「佐賀県の場所」から説明しないと
いけない時もある。
思い返せば、首都圏にいて8年ほど経つが、
佐賀出身者に出会ったのは片手に収まる。

佐賀県も、長崎よりの場所、中心部、福岡よりの場所といったように、広い。

私は福岡よりの場所だったので、
実は佐賀県民という意識は薄い。
佐賀市内より、久留米や博多に行くほうが
明らかに近い。言葉も福岡だと思う。
「そいぎ」とか「がばい」とか使わんし。

しかし、福岡県民ではない。

私の住んでた土地は、自然豊かで交通の便もいい。大人になった今は、良い場所だなと思う。

でも、中学生の時は特に、過ごし辛かった。
一言で言うと、文化や知性よりも、運動や強さを求められる傾向があったように思う。
付け加えると、人と違うことへ過剰に反応する人も多かった。

土地全体の雰囲気は、一市町村に野球チームが複数あったし、体育館や運動場などの施設は結構稼働していた。
それに比べてホールは活用されているのを見たことがなかった。(今は知らんけど)
そして区ごとに対決する、町を挙げての運動会が年一で開催されていた。大人がガチでリレーとかやってた。

そんな雰囲気なので、中学校も圧倒的に
運動部 〉 文化部だった。
吹奏楽部はまだ良かったが、美術部やパソコン部はなんというか…オタクの集まりとされていて
人権がほぼ無かった。
グラフィックやITとか、よっぽど直接将来に繋がる要素あるのにね。

女子の髪型も、ほぼみんな前髪を作り、
オールバックの子が学年に1人とかのレベルで
珍しかった。それを揶揄う人もいた。
通学バックもスクールカースト下の子がエナメルadidasとか持ってたりすると、年上でもねえのに同級生から文句言われたり。

で、キモいのがスクールカースト上のグループの人は、割とどんな振る舞いをしても許される。

同じ学年なのに、ゴリゴリ縦社会っしょ笑

人と違うことに過剰に反応したり、スクールカーストがあったり、運動部がモテたりするのは、
全国共通、思春期あるあるだと思う。
けど、文化系やオタク、スクールカーストが
高くない人がそのままワーキャー出来るわけではなく、上の人に目をつけられないように気を遣い、マイノリティなりの振る舞いをしないといけないのが息苦しかったし、やっぱり変だったり

トイレから花火とか石鹸投げる男子もいたし、窓ガラスたまに割れてたし…。
最近思い出したネタがある。
おそらく前年度の卒業式に風紀&素行の問題で出席できなかった元卒業生が、卒業式が近いある夜(?)体育館に忍び込み、綺麗にセッティングされていたパイプ椅子など、会場をグチャグチャにしたのである。当初は犯人が分からなかったので警察が来た。ピアノ伴奏をしていた私は「やってないと思うけど念のため、ごめんね」と警察のおっさんに言われながら、手にインクをつけて、板に押し付けた。
所謂、指紋採取…⁈
今思えば多少荒れてたのかな…。

私はピアノを習っている&美術部だったので
どちらかというとマイノリティ側だった。
その中でも、今でも交流が続く友達もいるし
同じ美術部の同級生の中には技術磨いて美術系高校に進学する子もいた。(どうしてるんだろ…)
楽しかった面もあった。

スポーツや強さ、文化や知性も対等だったら
過ごしやすかったのに。

長年「お隣である福岡は紅白出演アーティストや芸能人がバンバン輩出されるのに、なんで佐賀は少ないんだろう?」と思っていた。

勿論、冒頭にも書いた通り、佐賀県出身の有名人もいるし、近年はキングダムの原先生とか…。

今も思ったけど
「ワンピース」
「進撃の巨人」
「鬼滅の刃」
「スラムダンク」
めっちゃ有名な
ジャンプorヤングマガジン系漫画の数々。
全部これ九州出身の先生方では…。
九州男児傾向…が作風にも結びついているのか。

話が脱線したが
福岡はよかろうもん精神で前に出る気質があるが(そのせいで飲酒運転も多い)、佐賀は分相応を求められる雰囲気がある気がする。
私の住んだ町だけかもしれんけど。

「調子乗んな」「あいつ調子のっとー」という
言葉を、少なくとも福岡市内の高校に進学した時点から、ほぼ聞かなくなった。
(福岡にも多少あると思う。)

私なりの結論としては、エガちゃん、どぶろっくレベルの、奇天烈、もしくは下ネタ歌ネタを続けていく気概ある人のみが、佐賀県の外に出て、全国区で活躍できるのでは?というのが私の持論である。

文化面だけでいうと 佐賀県出身者が記載されたWikipedia「文化人」欄を見ても、みんな幕末〜明治から昭和世代で止まっている。

なのでTwitterの海で、何気なく「笹井宏之短歌賞」を知り、笹井宏之が佐賀県で生きていたのには、とても驚いた。

佐賀に歌人がいたのか。
しかも将来が期待された人が。
穂村弘さんなど短歌界のすごい人?
とも交流があったんだ。

生きていれば42歳。
彼が健康で、短歌もノリに乗ってくるような状況であったなら、佐賀を出たのだろうか。

私はまだ彼の作品は
有名な「えーえんとくちから〜」を含む
数首の短歌と、最後のブログに書いていた詩
しか知らない。

まだ知り得たとは言えない状態なのだが
繊細な印象を持った。
また最後のブログに書いていた詩の最後
急に現実が顔を出すけど祈るような想いの一文には、圧倒された。↓

http://sasai.blog27.fc2.com/blog-entry-165.html

そして悲しくもあるかのだが
「肉体は無くなったとしても、素晴らしい作品は残り続ける」
ことを急にリアルに感じた。

彼が書いていたブログを引き継いで、
ご両親が今も時折、更新されている。
どんな気持ちなんだろう。

私は、親よりも長く生きたい。

笹井宏之さんの歌集を買って読むことが
「楽しみなこと」に追加されたこの頃です。


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