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Instagramから離れて感じた恐怖

以前はInstagramのアカウントを2つ持っていた。
知り合いを広くフォローするアカウントと、本当に仲の良い人だけの小規模のアカウント。現在は小規模の方のアカウントだけを残している。
一日にInstagramを見れる時間の制限を1分にしているので、可愛い猫の写真を数匹分眺めるとあっという間に1分が終わる。

そんな生活をここ最近しているが、なんだか怖くなった。急に繋がりが絶たれて孤独になってしまったような感じがしたのだ。

なんでそんなふうに感じてしまうのかを考えてみた。

私がInstagramを始めたのはたしか高校3年生の時。
そこから短大に進学し、入学式で会った人ととりあえずインスタを交換するという流れに乗った。サークルに入り、知り合いも増えればフォロワーもどんどん増える。よく知らない人でも、Instagramでなんとなく人となりが見えた。LINEやTwitterもやっていたけどやはりSNSの中心はInstagramだったように思う。世間の流行の大きな波に私ももれなく乗っていた。

ただ、ほとんど見ない生活をして気づいたこと。
私はInstagramでしか誰かとの繋がりを感じていなかったということ。
あまりに当たり前に生活に馴染み過ぎていたこと。
Instagramを生活からほとんど無くしてみて感じた恐怖はそこから来ていた。馴染み深いものやいつもの習慣がなくなった時の喪失感という方が正しいかもしれない。

みんながやっていて、みんなと簡単に繋がれて、みんなの様子が写真付きでわかる。

もちろん良い話のネタにもなる。
「この前載せてたご飯めっちゃ美味しそう!」
「この前出かけてたところどこ?」
でもこの質問がだんだん怖くなってきた。
私と共に時間を過ごしたわけでもない人に私のことを簡単に知られてしまうのが怖くなった。写真を載せてるのは自分なのにね(笑)

Instagramのほとんどない世界に生きてみたくなった。
私にとっては当たり前のように生活に馴染みすぎていたもの。
19で一人暮らしを始めてから新しい人間関係を築くきっかけとしても大きく役立ってくれた。それなしの生活が考えられなくなっていた。
でもそんな私の中の当たり前を疑いたくなった。

実際、本当に仲のいい人とは直接LINEして会う約束を取り付けたりする。簡単に会えない距離でもなんだか連絡が取りたくなって電話してみたり、どうでもいい内容のLINEを送ったりする。
私が大事にしたい人ってきっとそういう人のことだよな。
インスタなんかなくたって会いたくなったり、声が聞きたくなったり、面白かった動画のURLを送り付けたくなるんだよな。
何年も連絡していなくたってフッと思い出して連絡する人なんだよな。

Instagramが生存確認みたいになっているのが嫌になってしまった。
私が写真を上げなくても、私は今ここに生きている。
めちゃくちゃ元気に生きている。
それで十分だよね。


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