見出し画像

エヴァを愛した12年とこれから

私は新世紀エヴァンゲリオンが大好きだ。

以前、シンエヴァ1回目を見終わった時に記事を載せ、そちらにも記載したことと思う。そして今回はエヴァの内容ではなく、エヴァのことが好きな気持ちを述べる、という記事にしたい。

もう一度言う、何度でも。私は新世紀エヴァンゲリオンが心から大好きだ。日本のアニメ史に名を刻む、偉大なるその作品を愛せたことを誇りに思っている。

私がエヴァと出会ったのは12歳の頃だ。

人造人間エヴァンゲリオンに搭乗することを許された、唯一のチルドレンたちより少し歳下の頃だ。あの頃、シンジくんたちを大人っぽく見ていたことがとても懐かしい。

ちょうど破が公開される、1年ほど前の事だったように思う。父が何を隠そうエヴァの大ファンで、有無を言わさずアニメ版を観させられたのが始まりだ。アニメ版、旧劇場版、そして新劇場版序を経て、難解な表現やストーリー性を完全に理解せぬ幼心でも、酷く胸に焼き付いたことをよく覚えている。何だかよく分からないけど、とてつもなく面白い、それがエヴァだ。誰しもを惹き付ける独特の魅力があることを、1度でも観た事がある人は知っているだろう。

現在の私は24歳、今年で25の代である。
劇場版Qを映画館に見に行った後、待つこと8年。
遂に今年、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||が公開された。
公開日である3/8から現在7/14に至るまでで7回、映画館に足を運んだ。

7回という回数を多いと思う人もいれば少ないと思う人もいるだろうが、私は多いとも少ないとも思っていない。気が付けば観に行っていた、それだけのこと。

何故7回足を運んだのか。
勿論大きな理由として「面白いから」は含まれる。
エヴァが面白くて大好きだから、何度も観たかった。
観れば観るほど理解が深まる、味わいのある作品だからだ。(どこが良いと言われたらここには到底書ききれないため割愛させてもらう。)
だが、DVDが出れば自宅で何度でも観られるのも事実で、7回目を観終えた今、それとは異なるもう一つの理由に確信を得た。

私は、エヴァとのお別れが寂しい。

待っていた時間が長かった。待っている時は早く観たいと待ち遠しい気持ちしかなかった。延期される度に「またか」という気持ちになったりもした。24年中の8年は長い。

しかし終わりを迎えた今、待っていることが幸せだったことに気がつく。エヴァンゲリオンが終わっていない世界に私は救われていたようだった。

シンが公開された直後は「終わりが始まった」と思っていた。しかし終映間近の今は「終わりが終わる」という真の喪失感に駆られている。
映画館に足を運べば、何度でも終わりを始められるのだ。映画館に何度も足を運び、シンエヴァを鑑賞することは「エヴァとの別れ」からの逃避だった。まさに、終わりへの儚いレジスタンス。現に今、今日で最後にしようと思っていたからか一層の寂寥感を募らせている。

何だか、私はまだエヴァの存在する世界に残されているような気持ちになる。ネオンジェネシスを経て、エヴァのいない世界を段々と受け入れつつも、どこか取り残されている感覚もあるのだ。No.6に告げた「もう一人の君は、ここじゃない居場所を見つけた」というシンジくんの言葉が、私にも伸し掛る。ここじゃない居場所、カヲルくんに言わせれば寂しいけれどそれもいいのかもしれないが...

人生で、こんなにも別れが寂しい作品に、幾つ出会えるだろう。1クールをリアルタイムで観ていたアニメやドラマが終わってしまった、あの悲しさとそれは比ではない。それくらいの作品に、あと何度出会えるのだろうと考えた時、もう二度と出会えないかもしれないと感じた。

「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」
思えば私はエヴァという作品と共に成長していた。
大好きな作品は勿論他にもある。だが一緒に成長したという愛着はエヴァにしかないものだ。

友情と恋心はチルドレンたちに、
愛情の何たるかをミサトやユイに、

そして生きることを、
人間の弱さを、
自由の意味と難しさを、
知恵をもつ生命の美しさと穢れを、
エヴァンゲリオンという作品全てに。
私は学び得たと思う。

さようならはまた会うためのおまじない。
エヴァは終わってしまったけれど、またいつか会えることを信じて。おまじないを信じる子どものように、願い続けたい。

おやすみ
おはよう
ありがとう
さよなら

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?