本音を無視できなくなってきた
昨日はつぶやき投稿でした。
いつも通りの文字数多め投稿ではなく、つぶやき投稿するときは、なかなかしんどい時であったりします。
あぁ〜、もう今日は投稿やめとこうかな、って思う日だったりします。
それでもつぶやきなら書けるわと思って書く(Google keepで下書きします)。
で、note開いた時に、3500回スキされました!が出てきて、ひじょう〜にうれしかったです!
さて今日は新月ですね。
しかも11月1日、朔日の新月。
よりいっそう月が見えない、星空がよりいっそう濃くなるような、そしてこれから少しずつ月の光が射すような、そんな新月だろうか。
そんな日は、できれば何も予定を入れずに過ごしたいけど、珍しく所用が立て続けに入って、ようやく落ち着いた時間を迎えます。
その時間が、なんと、、、、ジャスト新月タイムになってる。偶然って、おもしろい。
* * *
ここ1年の私は、いわゆる“新月のお願い”を、特に意識して書いてきませんでした。
ハマってかならず書いてた年もあったんだけど、「こうした方がいい、ああしたほうがいい」というお願い事に関する情報を仕入れてきたせいか、のびのび書けなくなってたみたいで、楽しく書けてなかったんです。
それで、「たまたま今日は新月だ、書きたいことあるな」、ぐらいのスタンスに変えていました。
1つでも2つでも、小さいことでも大っきいことでもなんでもいいわ、ぐらいで。
新月、満月という月の満ち欠けは意識してますが、日々の自分の体のバイオリズムの方を、もっと気にして生活してきたこの一年でした。
結果、その方が、心と体が少しずつ一致してきた気がします。
自分の本音を無視しなくなってきた気がします。
もっというと、本音に気づくようになってきた、本音を封じ込めないようになってきたのかなと。
本音を無視できなくなってくると、その次の行動をどうしよう、なんて言おうとか、今までとは違う葛藤も出てきたりするけど、「こう変わりたいなぁ、こうなりたいなぁ!」と思ってる姿になるには、やっぱりこの選択を選んでいくしかない。
新月だからか?
なんだか決意めいたものが、書いてて出てきました。
自分の“こうなりたい”を目指す上での、過渡期なんだろうな。
過渡期も楽しめたらいいな。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今思う、“こうなりたい”に到達して、そしてまた新しい“こうなりたい”が見たいし、目指してみたいです。
#毎日note連続投稿中 #246本目