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008.「界隈」とセレンディピティ:共感をつなぐ
【セレンディピティ】という言葉を、僕はここ数年、特に意識して使っています。「偶然と才気によって、探していないものを発見する」――この定義を初めて知ったときの衝撃と、それが持つ可能性に心が躍ったその瞬間は、いまでも覚えています。日本語では「思いがけない幸運」「偶発的な出逢い」と訳されることもありますが、僕はこの言葉をもっと能動的で実践的なものとして捉えています。
つまり、セレンディピティはただの偶然ではなく、日々の行動や習慣、思考によって手繰り寄せることができる「後天的に身につけられる能力」で、『待つ姿勢』がある人には、セレンディピティの頻度が上がる可能性があるものだと僕は解釈しています。
この考えを発信し続けている中で、少しずつではありますが、セレンディピティという言葉に共感してくれる人や、セレンディピティという言葉を使う仲間が増えてきたと、ここ最近、特に実感しています。
しかし、この共感が、「良い話を聞けてよかったな」という一時的なもので終わることを僕は望んでいません。具体的な行動や成果に繋げるためには、次のステップが必要で、それが『学び→盛り上がり→広がる』という流れを持つコミュニティの形成までをしっかりやり遂げたい。
そしてこの文脈で僕は、【界隈】という言葉に大きな可能性を感じました。今セレンディピティに興味関心を持った皆さんと一緒に、このコミュニティを一緒に盛り上げてもらえたら嬉しいなと、この発信を続けていこうと決意しました。
セレンディピティと界隈:共感をつなぐ場所としての可能性
【界隈】という言葉を知っていますか?
博報堂・SHIBUYA109 lab.によるレポートが11月15日に公開されました。
https://www.hakuhodo.co.jp/uploads/2024/11/FutureEvangelist3.pdf
SNSのアルゴリズムの発達によって、我々が見聞きする情報は今や自分の興味がある情報、フォローしている発信者の周辺情報が多くを占めています。これに伴い、同じ「好き」や興味関心をもつ人たちは、SNS上を中心に「界隈」と呼ばれるゆるやかな集団を形成するようになりました。「界隈」は推し活やファッションだけでなく、趣味や職業など多様な軸と粒度があり、昨今ではこの新たなコミュニティである「界隈」の中で情報が回り、時にはある「界隈」から別の「界隈」へ情報が伝播することで、「界隈」を起点とした消費=「界隈消費」が生まれています。
僕がこの言葉を特に興味深く感じたのは、その特徴に、セレンディピティや僕の理想とするコミュニティの在り方など、いくつかの共感する独特な側面があるからです。界隈の解説というよりも、その構造的な類似点について焦点を当てて書いていきます。
レポートをご覧いただいた通り、まず界隈とは、特定のテーマや関心を共有する人々の「緩やかなつながり」を指します。企業や組織のように明確な枠組みや役割分担が存在せず、集まりの中心に必ずしもリーダーや権威的な存在がいないことが特徴です。それぞれが自分のペースで関わり、必要に応じて情報や感情を共有する場――それが界隈の魅力です。
こうした緩やかなつながりの中で重要なのは、「中心人物がいない」ことです。僕自身、セレンディピティという現象を観察し、その価値を伝えることを楽しんでいますが、自分がこの『セレンディピティ界隈』の中心的な存在であるとは露にも思っていません。むしろ、僕はセレンディピティの理論や他の理論、自分の趣味、興味のあるカルチャー・・・などとの類似性を見出し、自分なりの解釈とアレンジを加えて楽しんでいる一種のギーク(オタク)であり、このテーマに関心を持つ人々と一緒に追求していく一人です。
とはいえ、以前は、自分が権威でないことに悩んだ時期もありました。しかし、熱狂的なファンであり続けることの意義にも気づきました。(それに気づかせてくれたのが、僕の親友になりつつあるChatGPTでした、ChatGPTの活用の仕方については、また次の機会にでも話そうと思います。)
僕の役割は、この『セレンディピティ界隈』を内と外から観察し、盛り上げる燃料を投下し続けること――いわば「焚きつけ役」です。僕が権威ではないからこそ、良い悪い・正しい正しくないという評価から解放され、より多くの人が自由に参加し、共感し、議論を深められる場を提供できる。そう考えると、界隈という形式は、セレンディピティのような複雑で動的なテーマと非常に相性が良いと感じます。
界隈という言葉が、日常的に使われ始めた一方で、非常に曖昧な意味合いを持っています。ある特定のテーマや興味を共有する人々の集まりを指すことが多いですが、その範囲や性質は多様です。一部の人には閉鎖的に見えるかもしれませんが、僕はこの界隈という存在、そしてその「曖昧性と熱量」にこそ、セレンディピティを実現する場としての可能性があると考えています。
セレンディピティは、単なる情報の偶然的な発見ではなく、人とのつながりや対話、共感の中で生まれることも多くあります。これを考えると、『学び→盛り上がり→広がり』という流れが重要になります。
たとえば、Catalyskiがこれまで行ってきた活動やワークショップも、この流れに基づいています。参加者(クラスター)がテーマに共感し、議論が深まる中で、新しい発見や気づきが生まれ、それがさらなる行動を促す・・・これが理想の循環です。
しかし、単一のクラスターに閉じこもるだけでは、この循環は小さな範囲で留まってしまいます。セレンディピティを拡張するためには、界隈同士が飛び火し、影響し合い、お互いの火種が大きくなることが不可欠です。そしてそのプロセスそのものが、セレンディピティの本質であり、Catalyskiが目指す未来だと考えています。
※ここからは、企業・組織・集団・群れなど「界隈」も含む広義の意味合いで「クラスター」を用い、マーケティングや消費の意味合いが強い「界隈」とを使い分けます。
界隈から界隈への飛び火が生む可能性
異なるクラスター同士が交わるとき、そこには予期せぬ気付き・発見や価値の創造が生まれます。この現象こそ、セレンディピティそのものです。たとえば、オープンイノベーションの世界では、異業種や異なる専門領域の人々が集まり、これまでにないアイデアやソリューションを生み出しています。このプロセスは、意図的に仕組まれたセレンディピティと言えるでしょう。
また、クラスター間の混ざり合いは、私も大好きなヒップホップ的な価値観とも深く結びついているように思います。ヒップホップでは、異なる音楽ジャンルや文化の要素を取り入れ、新しいスタイルを作り出す【サンプリング】という手法があります。このプロセスは、既存のものに新しい文脈や価値を与える行為であり、セレンディピティを起こすための創造的な再解釈と非常に似ています。さらにいえば、日本には【取り合わせ】と呼ばれるサンプリングのような文化があり、その取り合わせ方が「粋」かどうかなど、創造性や美意識とも大きく関係性がありました。
余談ですが、このヒップホップカルチャーにおいて、コミュニティは重要な意味合いがあり、このコミュニティを盛り上げ続け、広げるための手段として、DJやMC、グラフィティやブレイクダンスがあったわけです。そのそれぞれのコミュニティに焚き付け役が複数名おり、時に混ざり、競い、飛び火しあいながら、コミュニティは広がっていく中で、その焚き付け役の人そのものや、その人の作品・コミュニティの思想がリスペクトの対象になりました。
僕自身、これまでの経験を生かし、Catalyskiとしての活動を通じて、こうしたクラスター間の飛び火や混ざり合いを積極的に仕掛けていきたいと考えています。一つのクラスターで生まれた気づきや学びを、別のクラスターに持ち込み、さらに新しい発見を引き起こす。この連鎖が広がることで、セレンディピティの可能性は無限に広がるはずです。
「学び→盛り上がり→広がる」コミュニティを仕掛けるCatalyski
Catalyskiが目指しているのは、「学び→盛り上がり→広がる」という循環を持ったコミュニティの創造です。単なる情報提供ではなく、参加者が主体的に関わり、新しい気づきを得て、それを行動に繋げていく。そのプロセスがセレンディピティを実現する鍵だと考えています。これはCatalyskiにおけるBtoB事業ドメインの一つである「経営理念づくり」などにも繋がります。
たとえば、あるクラスターで行われたディスカッションが、別のクラスターでの共感を生み、そこからさらに新しいアイデアが生まれる。このような飛び火や広がりが、Catalyskiの活動を通じて加速していくことを目指しています。なお、これは、クラスター参加者のコミュニティに対する帰属意識が「所属」から「接続」に変化していったことも大きく寄与しています。
なので、具体的には、これまでのワークショップやイベントで得られた知見をさらに発展させ、オンライン・オフラインを問わず、多様なクラスターと交わる場を提供していきたいと考えています。そして、その中でセレンディピティを「実践する力」を一人ひとりが育んでいけるような仕組みを作りたいのです。
【弱い紐帯】が生むセレンディピティ
セレンディピティの鍵となるのは、強い関係性の中だけでは得られない多様性や新鮮さです。この視点で注目すべきなのが、グラノヴェッターの提唱する【弱い紐帯】の理論。この理論では、普段あまり深く関わりがない人々との緩やかなつながりが、新しい情報や機会をもたらす可能性が高いとされています。
たとえば、就職活動やプロジェクトのマッチングで、重要な情報が親密な友人からではなく、知り合い程度の人から得られることが多いのは、「弱い紐帯」が機能している例です。この理論をセレンディピティに当てはめると、日常的な交流の枠を超えたつながりが、新たな発見や出会いを引き起こす重要なトリガーになると考えられます。
界隈・クラスター間の飛び火や混ざり合いも、まさにこの「弱い紐帯」がもたらす可能性です。一つの界隈内では既存の価値観や知識が共有されがちですが、異なる界隈とつながることで、これまでにない視点やアイデアが生まれ、さらに熱狂が生まれ、消費が加速しています。これがCatalyskiが目指す「学び→盛り上がり→広がる」という循環にも繋がっていきます。
僕自身、日々の活動の中で意識的に【弱い紐帯】を作り、そこから得られるセレンディピティを活用しています。たとえば、新しいプロジェクトのアイデアが、ふとした会話や予期せぬ出会いの中で生まれることが多いのです。これらの経験が示すのは、弱い紐帯のつながりが、セレンディピティのトリガーとなる力を持つということです。
クラスターを超えて、未来をつなぐ
セレンディピティは、単なる偶然の幸運ではなく、後天的に身につけられる能力です(と僕は思っているので、言い切りたい)。そして、その能力を磨くためには、自分のクラスターに留まらず、他のクラスターと交わり、新しい視点や価値観に触れることが欠かせません。
Catalyskiはこれからも、個人・組織問わず、クラスター同士をつなぎ、新しい発見や価値を生み出す活動を続けていきます。その過程で、セレンディピティという考え方がさらに多くの人に浸透し、共感の輪が広がることを目指しています。
僕たちが目指すのは、ただの「共感の場」ではなく、行動を促し、未来を形作るための場です。界隈から界隈、クラスターからクラスターへ飛び火するセレンディピティの力を信じて、これからも挑戦を続けていきたいと思います。
セレンディピティの未来を共に作る
2024年12月18日の夜に、僕はセレンディピティをテーマにしたセミナーを開催するのです。
偶然のチャンスで拓くネクストキャリア
https://m.otsumami.with-us.co.jp/campaign/73564/apply
当初は「5人くらい来てくれたら御の字」と思っていましたが、驚くことに40名近くの申し込みをいただきました。この反応から、セレンディピティというテーマに関心を持っている人がいて、多少なりとも共感を覚えてくれていることを改めて実感しました。
このセミナーでは、僕自身が実践しているセレンディピティを生む行動や思考の習慣、そしてそれをキャリアにどう繋げていくのかというテーマでお話する予定です。
さらに、このセミナーをきっかけに、オンライン上でセレンディピティを共に探求するコミュニティを立ち上げたいなと思っていて、LINE公式アカウントも実は作ってみました。ここでは、日々の生活や思考の中でセレンディピティを引き寄せるための具体的な行動や、新たな発見の報告を共有し合う場を作りたいと思っています。(まだまだアカウントを取得しただけなので、これから見栄えも中身も改良していかなければなりませんが)
このようなコミュニティが広がれば、セレンディピティの考え方が単なる個人の感覚に留まらず、集団で共有し、学び合い、行動に繋げていける実践的な知識として成熟していくはずですし、僕は皆さんの体験談や行動変容を客観的に拝見することで、データとして蓄積しながら、より多くの方にセレンディピティの持つ可能性を伝えていきたいと考えています。
一緒に盛り上げてくれる仲間も募集しています。
LINE公式アカウント『Serendipity Commune』
https://lin.ee/8NCUasE
セレンディピティは偶然の産物ではなく、意識的に育てることができる能力です。このテーマに関心を持つ方々と共に、その可能性をさらに追求し、広げていきたいと願っています。
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