祖父の手の温かさを感じたお葬式
今回は私が大学生の時に祖父を亡くした時の話です。
写真は「みんなのフォトギャラリー」から使わせていただいています。ありがとうございます。
私と祖父
祖父とは小さいときから一緒にいることが多かったです。
初孫の私が生まれて間もなく、祖父は早期退職をしたと聞いています。
釣りや、写真、絵などたくさんの趣味を楽しみながら、私のことも可愛がってくれました。
孫の中では私が一番祖父母の家にいました。
理由は、妹に足の障害があって(手術して生活に支障が出なくなった)病院にいることが多かったこともありますが、祖父母の家の居心地が良かったのもありました。
両親の仲裁や、妹の面倒、学校のいじめから遠ざかることが出来る、のんびりマイペースに過ごすことが出来る唯一の場所でした。
それでも高校に入ると次第に足が遠のきました。
友達と一緒にいるほうが楽しくなっていたからでした。
元々身体が弱かった祖父は入退院を繰り返していました。詳しい事は聞いていないのですが、人工透析をしていた時は付き添いをしていた祖母と叔父がとても大変そうでした。
母が離婚してからは、春と夏と冬に箱根や熱海にみんなで行くことが定番でした。
そんな祖父がある時、神奈川から東京の病院に移送されました。
元々いた病院で対応できなくなったらしいのですが、何故家族から遠く離れた場所に行くことになったのかはよく知りません。
当時大学3年生だった私は家族の中で一番フットワークが軽く、行けるときは祖父の元へと通いました。
時には叔父に頼まれて、祖母を連れて病院まで足を運びました。
遠い場所に入院になったけれど、また家に戻るものと思っていました。
しかし、ある朝祖父は静かに息を引き取りました。
心臓マッサージに意味はあるのか
本来祖父の命はそこで終わっていました。でも家族全員が集まるまで、心臓マッサージが続けられていました。
その姿はとても可哀そうで、意味があるのかなと思いました。
悲しみもつかの間。葬儀の話になります。
叔父の一人が、会社を経営しているので仰々しい葬儀になりました。
私はそんな中、生理が来てしまい顔面蒼白な中でのお葬式でした。
悲しみと、疲れと、冷えで途中倒れてしまい、家族の休憩室で横になることになりました。
涙はずっと止まりませんでした。
ふと横たわっている私の頭にふっと何かが触れた気がしました。
きっと祖父が心配して様子を見に来たのでしょう。
祖父の死は悲しいのと同時に、葬儀は家族が悲しむ余裕がないものだと知りました。
私は孫なので、体調崩したりめそめそしたり出来ましたが、祖母や母、叔父達にはその余裕はありませんでした。出棺の間際だけでした。
誰のための葬儀なのか分からないなと思いました。
祖父の死をきっかけにして、私は人の死の向き合い方はどうあることが最善なのか考えるようになりました。
大学で葬送をテーマにしたのも、今思えば祖父のことが大きかったのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回は、祖父が亡くなってから祖母とあちこちに出かけた話です。
よろしくお願いいたします。