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我が家の3.11の記憶(計画停電)

 おはようございます。

 前回は2011年、地震直後の日に起きたことを書きました。

 今回は、震災後に行われた計画停電の話です。

 未就園児のいる我が家が計画停電が行われた約1か月、どう過ごしたのかを書きたいと思います。

 町から物資が消えた

 地震の次の日、普段通り過ごしていると、インターフォンが鳴りました。

 お隣さんです。

 「買い物に困っていない?」と心配して声をかけてくれました。

 私は地震が起きてからずっと家を出ていなかったので、事態が分かっていませんでした。

 その時点で近隣のスーパーやコンビニなどで、生活必需品が買い占められていました。

 お隣さんは当時幼稚園の年長さんと小学校2年生のお子さんのお母さんでした。

 今思うとご自身のお子さんもまだ小さいのに、うちを気遣ってくれていたんだなと思います(頭が下がります)。

 うちは結婚当初から、週末にまとめて買い物をしていたので、たまたまですが今すぐに買い物をしなくても大丈夫でした。

 お隣さんに大丈夫であることと、お礼を伝えました。

 その後、夫と相談して夫の実家(県外)に、必要になりそうなものをお願いして物資を送ってもらいました。

 時に家族が遠くに住んでいると、物資の手配を頼みやすく、助かることもあります。

 その後も食品などの不足は続き、スーパーの開店前に家族全員で並んで買いに行ったりしました。

 計画停電が決まる

 計画停電は、震災が起こった2日後に実行が決定し、翌日から始まりました。

 我が家は、オール電化でした。

 電気はもちろんのこと、停電中はお湯が使えません。そして、コンロも使えません。

 大ピンチでした。

 停電が夕方からだと、お風呂や夕飯を作ったり、食事を温めることが出来ないのです。

停電が本格的に始まる前に物資が届く

 計画停電が始まったころ、夫の実家から物資が届きました。

 【届いた物資】

 ◆電池式ラジカセ

 ◆電池(単1から5)

 ◆懐中電灯数個

 ◆ロウソク

 ◆ガーデニング用ライト

 ガーデニング用ライトは昼間、太陽光をあてていると、夜の間辺りを照らしてくれます。

 お義父さんが、使えそうだからと2つ入れてくれていました。土に刺す部分を外して逆さまに置くと固定のライトになります。

 昼間、外に置いて日光を貯めて家の中で使いました。

 これは想像以上に、大ヒットでした。

 かなり広範囲を照らしてくれるので、すごく役立ちました(お義父さん、ありがとう)。

 停電に暮らしを合わせて過ごす

 オール電化住宅に住んでいるので、とにかく電気が使える間に使うしかありません。

 あくまでも私達家族が住んでいたエリアでの話ですが、朝は普通に使えていました(場所によって違ったと思います)。

 1回の停電は約4時間でした。

 1日に2回、計8時間停電する日もありました。

 【ご飯の時間帯と重なるとき】

 あらかじめ、作っておきました(カレーとか、鍋とか)。元々、携帯用のガスコンロと土鍋がありました。食べる直前に温めなおしてご飯を食べていました。

 携帯用のガスコンロ、無かったら大変でした。 

 冷蔵庫は停電中は開け閉めをしないようにして何とかそのまま使っていました(私が子どもの頃、防災を学んだ経験のある実母に相談して、対応しました)。

 【停電が2回あるとき】

 夕方以降に停電がある場合も同じなのですが、昼過ぎにお風呂に入ってました。子ども達、明るい中でのお風呂に喜んでいました。

 計画停電の最中でも子ども達が元気だったのが救いでした。

 夜、停電の場合はガーデニング用ライトや、懐中電灯の中でラジオを聞きながら過ごします。

 個人的には手動式より、電池式ラジオおすすめです。

 非常時は常に情報がほしいものなので。

 子ども達は部屋全体はいつもよりは暗いので、すぐ眠くなっていました。

 この当時21時就寝だったのですが、この時は20時過ぎにはぐっすりでした。

 暗いと体内時計がおやすみなさいと言うのかもしれませんね。

 園児や児童の子がいる方が大変そうに感じた

 計画停電で感じたのは、うちは未就園児で、停電に合わせながら生活をすることが可能だったので、ある意味普通に過ごせていました。

 どちらかと言うと、幼稚園や小学校に行くお子さんがいるご家庭の方が大変だったのではないかな、と思います。

 当時年長さんだったお子さんがいる人に話を聞いたのですが「卒園式の日も計画停電があり、謝恩会などなく悲しむ間もなかった。」と、言っていました。

 子どもと一緒にいない時間に地震が起きた

 うちは未就園児だったので、子ども達と私は地震が起きた時に一緒にいることが出来ましたが、地震が起きたのは丁度幼稚園のお迎えに行くタイミングでした。

 小学校のお子さんも低学年の子は下校し始めるかどうかの時間です。

 地震が起きた際、お子さんはもちろんのこと、親御さんもお子さんの無事がわかるまで、すごく不安だったと思います。

 子どもが小学校に入ってからは、学校や通学路で地震があった場合をどうするのか、子ども達と通学路を通るときは確認するようになりました。

 幼稚園は、近くのマンションの屋上に逃げることになっていました(屋上は我が家も含む近隣住民にも開放してくれるとの話で安心でした)。

 海と向き合いながら生きる

 後々、公園遊びで知り合ったママさんと話をしていたら、園バスで帰宅途中に地震が起き、バスが渋滞に巻き込まれてお子さんが帰ってくるのが大幅に遅れたそうです。

 幼稚園は海から近く「良い園だから選んだけれど、地震の時は心配だった。」と言っていました。

 住んでいた町は景観を守るため、海沿いには高い建物がありません(私が住んでいた海から5キロ離れたエリアには5階以上の建物がありました)。

 海と一緒に生きるのは常に牙を向かれることがある。

 それは忘れてはいけないと思います。

 私自身も、地震があるまではそれほど意識が高くありませんでしたが、震災を機に常に海と向き合いながら生きる気持ちが強くなりました。

 備えておけばよかったこと

 我が家は、屋根が傷む、耐久性とコスパの観点から、太陽光パネルは導入していませんでした。

 オール電化住宅の場合は、停電に備えることを考えるなら、ポータブル電源などあったほうが良かったなと思います。

 改めて必要だと感じたこと

 ◆通学中や習い事での行動を子どもと確認する。

 ◆オール電化の場合は、停電に備えポータブル電源を確保する(現在住んでいる家はガスが通っています)。

  最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 次回はうちで今もやっている「日ごろの備え」について書こうと思います。足りない部分が多くて参考にならないかもしれないですが(ーー;)

 noteに書くことで、確認をしていきたいと思います。

 よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

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