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我が子の世界ってどうなってるの

こんにちは!

もうすぐ育休が終了し、仕事が始まるパパセラです。

子供が3人になると中々時間が作れずで、新たな時間管理方法を模索中です😂


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本日は、『子供の世界』についてのお話。

といっても「子どもの気持ち」とか「子供の感情」とかではなく、もう少し学問的なお話です。皆様は『現象学』といった学問はご存知だろうか。『現象学』を一言で説明しようとすると私には難しすぎるのだが、ある書籍の言葉を借りると『自明なものの学』と呼ぶらしい。私自身、哲学や現象学自体に精通しているわけではないので学問的な解釈に間違いがあるかもしれないが、子供の行動の理解、また子供の世界の理解、成長の一助に繋がるのではないかと思い、このnoteにまとめることとする。

※以前に現象学と身体科学との関連を発表した事があったので、そのスライドの一部を参考までに載せてみる。

※今回はかなり堅苦しい内容なので、おそらく「スキ」の数はそこまで上がらないだろう。だが、そんな不安に挫けず書き進めるので、最後まで読んでいただければ是非「スキ」をいただければ幸いです。笑

〈現象学とは〉

現象学という学問について知るきっかけになったのは、同期の理学療法士のススメだ。普通に理学療法を勉強していても中々出会うことの無い学問のため、その同期も中々マニアックな奴だった。

現象学をWikipediaやネットで調べてみても小難しい事が書いており、私の頭ではパンクしてしまうので、個人的に分かり易いと感じた書籍を参考にしてみる。

さて、現象学を一言でいうと、

自明(当たり前)なものの学

ということになる。

私たちは日々いろいろな経験をしており、その経験は普段意識されることなく無意識に通り過ぎていく。いわば当たり前に起こる出来事や経験は意識される事がないのだ。その自明性(当たり前)のある出来事に関してメスを入れ解明しようとする学問が『現象学』というものだ。

人が何か行為をするときに意識する時は一体どれだけあるだろうか。

そこに椅子があるから座る
そこに壁があるから避ける
そこにゴミがあるから片付ける

こういった行為を全て意識している人は中々いないだろう。椅子は椅子、壁は壁、ゴミはゴミ、全部自明(当たり前)なのだ。しかし、子供はどうだろうか。

そこにあるのは椅子の形をしたジャングルジム
そこにあるのは壁の様な落書き帳
そこにあるのはゴミの形をしたお菓子

と、子供は無意識に感じ取っているかもしれない。大人と子供の世界、当たり前の世界は大きく異なっているのかもしれない。

では我々が経験している世界はどういった構造になっているのだろうか。

〈生活世界とその構造〉

我々が普段から見たり聞いたりして経験している世界を現象学的にいうと「生活世界」と呼ばれる。この「生活世界」は自分が実際に経験している事項のことだが、それだけでなく、もっと広い概念で捉えられる。では我々が経験している経験はどういった構造なのか。

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①直接経験している出来事
②(直接経験していないが)経験する事が可能な出来事 = 地平

この様に、実際に経験してなくても経験する事が可能な出来事『地平』も我々の世界に含まれているのだ。どういう意味なのか?

始めて訪れる街で普段通りに歩く事ができる
テレビで見た食べた事がないカレーでも味の想像ができる など

この様に、実際に経験してないことでも我々の中では当たり前の様に経験できるという事だ。これは『地平』の広さによって個人の差が大きくなるだろう

要するに、

その人が経験できる世界はその人によって様々で、私が当たり前に感じている出来事は当たり前の様で実は当たり前でないのかもしれない

という事だ。

〈生活世界からみる子供の世界〉

大人同士でもこの『地平』に差があるのに、子供で考えたらどうだろうか。子供の経験している世界は、我々大人が思っている以上に我々とかけ離れているかもしれない。そして『地平』もある要素が関わってくる。その一つとして『能力性』という物がある。この能力性というのは、『Aという出来事ができる』という働きの事だ。だからある出来事を経験しようとしたら、無意識的に『できる』と判断していることになる。

大人にとっての「椅子」は休憩する物であるので遊ぶ事はできないが、子供にとっての「椅子」はジャングルジムなので当然遊ぶ事ができる。

こういった『生活世界』の不一致から子供の言動が分からなくなるのではないだろうか。「子供が何を考えてあんな物で遊んでいるのか分からない」というのも当たり前なのかもしれない。

しかし、我々も同じ様に子供時代を経験し同じ様な『生活世界』にいたはず。子供から大人になるにつれ、いつの間にか子供の持つ『生活世界』が書き換えられ続けて、今の『生活世界』が出来上がったのだ。

〈我々大人が我が子にできる事〉

という事で、子供の世界を『現象学的』に考えてみたのだが、結局のところ大人が子供の世界の経験に到達する事は難しい。大人には常識や偏見などが加わり、本当に純粋な状態で物事を見る事は難しいからだ。だから大人が子供にできる事は、

できるだけ子供の『生活世界(特に地平)』を広げる手伝いをする

ことではないだろうか。子供が経験する事ができる世界を広げて様々な事を感じてもらう。その中で、大人の常識や偏見は最初は要らない。子供達が経験している『生活世界』に無理やり踏み込もうとしない、邪魔をしない。いたずらだってそうだ。いたずらから別の『能力性』が生まれるかもしれない

親と子供の『当たり前』が違うのは当たり前

もし新たな世界が広がったときに失敗して挫けそうになったときに、別の世界の見え方があることを教えてやれば良い。そうする事で、『地平』の一要素である『能力性』も養われ子供達の世界も広がっていくだろう。


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今回は『子供の世界』について『現象学』という学問の思考過程に基づいて考えてみた。中々難しい学問でもあるので、子育てに活かせるかどうかは理解度に影響すると思うが、私自身がためになったと感じたので、ここで書かせていただいた。もし少しでも子育ての一助になれば幸いだ。また、今回『地平』という用語を用いて子供の世界を『能力性』という構造で理解してみたが、『地平』には『射映構造』という要素も含まれている。物事をいろいろな角度から見る、といった様な要素だ。機会があれば『射映構造』からみた子供の世界も検討してみたい。

ではまた!!


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