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育児本に頼りすぎると…

こんにちは!

今日も育児と仕事に奮闘中のパパセラです!

今日は『育児本』についてのお話。
育児本や子供の発達についての書籍を読んで学習をしていると、知識は増えていくのは当たり前のことなのだが、ここで注意すべきことも見えてくる。そんなことを今日は書いてみる。

〈知識が増える=ノリが変わる〉

ここ数ヶ月、育児や子供の発達について自己学習を進めており、それなりに知識がついてきたように感じる。そもそも学習や勉強をすると人はどのように変化するのであろうか。勉強するということは新たな知識が加わることで、新たな言語を使うことになる。つまり言語偏重がおこる。

理学療法士の業界でもある話だが、研修会に参加した翌日、同僚同志の会話で急に、

「APAが働いていないから〜」
「後脛骨筋がディープフロントラインで〜」
「呼吸時にZOAが〜」

といったように習いたての専門用語が飛び交うのだ。今までこういった言語を使わなかったものが学習を進めることで言語が変わる、すなわち言語偏重が起こっているのだ。そして、言語偏重が起こると何が起こるのか。それは、周囲との言語のギャップが起こるということだ。つまり、

ノリが変わる

ということだ。自分のグループの中で、やたら専門用語を使う人がいたら少し煙たがれるだろう。それは『勉強⇨言語偏重⇨ノリの変化』が起きて、それが悪い方向に向いてノリが悪くなっていることも考えられる。

〈勉強の注意点〉

先に述べたように、勉強(知識が増える事)は周囲とのノリが変わるという事だ。そして、周囲との齟齬が生まれるとノリが悪くなり関係がギクシャクしてしまうということだ。その言語が周囲に溶け込んでいないと環境との関係がおかしくなってしまうのだ。

新たに言語を使うことや、言葉遣いが変わるということは周囲からすれば違和感しかない。周囲も同じように言語偏重が起こっていると、そのような個人だけのノリの変化は起こらない。今の学校教育などがそうだ。皆が同じカリキュラムで学習を進める。しかし、自己投資としての学習は、周囲とは異なることを学ぶことが多いため結果としてノリが悪くなることも多い。日本のような同調圧力が強い国では特にそういう傾向が強いのではないだろうか。

〈育児の勉強よりも先に…〉

育児についての勉強は義務付けられていることではない。だからこそ、育児について勉強を進めると、どこかで言語偏重によるノリの悪さがどこかで出てきてしまうのではないだろうか。特に家庭内でこれが起こってしまうとさらに良くない。ママやパパとのやりとりにも齟齬が生まれたり、子供も何が良いのかわからなくなってくる。

勉強を進めると、自分が得た知識が全て正解という感覚に陥ってくる。まるで普遍的な真理のようなものを得たかのように。しかし、普遍的なものはあくまで大部分の共通点を集めたものに過ぎないので個別性というものには対応できない。だから、知識を押し付けてしまうとノリを押し付けるということになり、それに賛同できない相手からは反発がうまれる。

育児において、全てが本や理論通りに進めようとすると必ずどこかで齟齬が生じる。それは、「育児本通りに子供は育たない」からだ。育児において、そのような情報に従う前にまずすべきことは、

家族の想いを知る

ということではないだろうか。そのために、子供と真摯に向き合い我が家ならではの答えを探していく。その中で本から得た知識を上手く使うことで我が家でのノリが生まれていく。そうすることで「悪いノリ」から「良いノリ」へ家族を巻き込むことができるのではないだろうか。


今回は「育児本」についての話を書いてみた。

最近では育児に前向きな方が増えてきており、育児についての情報も増えてきている。その情報をうまく使うためにも、情報に踊らされ過ぎずにまずは我が子と、パートナーとしっかりコミュニケーションを取ることが大事ではないだろうか。その結果、さまざまな方法論が活きてくると感じた。

ではまた!!


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