📚違和感の深掘り 〜『なんとかならない時代の幸福論』を読んで〜
こちらの記事は、
ブレイディーみかこ氏と鴻上尚史氏の対話形式で書かれている一冊
ブレイディーみかこさんといえばあの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を書いた著者である。
長くイギリスに住むブレイディーさんの『イギリス的視点』と専門家である鴻上氏のhttps://us02web.zoom.us/j/84746505205
について様々な話題を記してある。
本日は私が興味深かった3点を紹介する。
①『世間と社会』
皆さんは『世間』と『社会』の違いについてスパッと答えれますか?
著書では
自分に利害関係のある人たちを『世間』、自分に利害関係のない人たちを『社会』
と呼んでいる。
日本は『社会』に関する信頼がとてつもなく低く、ほとんど無関心である場合が多くないでしょうか。
例えば街で困っている人がいても助ける人は国民の何%だろうか。
おそらく、「自分には関係ないや」と気にも留めない。または「めんどくさいことに巻き込まれたくない」と目を背けることが多いだろう。
イギリスではモヒカンのイカツイ兄ちゃんがお年寄りに席をゆづるし(偏見の意は何もありません)大きいスーツケースを持っている重たそうに運んでいる人を見かけたら誰でも手を差し伸べる。
現在〜これからの日本においてもはや『世間』力は弱まるだろう。人口の減少ともに多くのコミュニティーは弱体化し、外国人の流入により多様性は激化するだろう。そうするともはや『社会』と繋がらなくてはならない時代になってくるのではないか。
②エンパシーとシンパシー
この違いもスパッと答えられますか?
シンパシーというのは、感情的に同情したり、同じような意見を持つ人に共鳴したりすること。でもエンパシーはそうじゃなくて、対象に制限はない。自分と同じ意見を持ってない人でも同情できない人でも対象になり得る。
どちらの方が良い悪いではないが、
今の日本の社会はどうしてもシンパシーがいきすぎているような気がしている。
例えば、自分と合わない意見や腹が立つ事柄や人に対して一斉に攻撃的になってはいないだろうか。メディアやSNSでの誹謗中傷はその典型的な例だと思う。その打撃を打ち続けて人の人生を再起不能にしてしまう。
一方、エンパシーは能力だからいくらでも伸ばせるし、伸ばし甲斐がある。
相手の考えや価値観を理解する力、相手の立場に立って想像する力をもっともっと我々日本人は持たなくてはならないのではないか。
そのために教育がある。
僕自身、『エンパシー』をテーマに実践していきたいと思います。
③イギリスの『演劇教育』
イギリスの中学校ではカリキュラムの中に演劇が組み込まれている。
では、なんのために行うのだろうか。
役者を育成するため?
いや、もちろん違う。
エンパシーを鍛えるためである。もっと広く言うとコミュニケーション力をつけるためでもある。
演劇をしていく中でその演じているキャラクターが実際にどう思うか、その台詞を発していると自然と考えるようになる。その思考を繰り返す中で演劇なので相手とのやりとりがあるわけだから相手のことまで考える力を養うことができるのではないか。
余談:授業で演劇(stage play)を行った話
先日、中学生の英語の授業で演劇を取り入れた。
今年度扱ったトピックから一つ選び、5分程度の物語を作成する。
その際に台本んまで全て英語で作成させ、ナレーター・セリフなど細かく描写するよう指示を出した。
あるグループは『宗教』を選択し、イスラムの人を題材に演劇を作った。
他者を理解する姿勢や、受け入れるべきであるというメッセージが込められていた。(全て自作で作ってしまう彼らを誇りに思う)
演劇を行った生徒だけでなく、鑑賞していた生徒も何か感じ取ってくれたのではないか。
なんとか『演劇』を形にして、英語の授業での定番化できたら良いと思います。
なので僕もやろうかな。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
新米教師Kanchanもまた一年たち、様々なトライを今現在し続けています。
引き続き宜しくお願いします。