towering walls (2024年3月の日記)
園芸や農業、さらには民族植物学チックな植物利用などをひっくるめて、植物に関することは生涯をかけて勉強しようと決心しているわけだけど、これの他にも一生学び続けようと思っている分野があって。
そのことについては、まだまだ公の場でアウトプットできるようなレベルになんて全くもって達していないんだけど、高校生ぐらいの頃から、自分自身でさえも興味がふつふつと膨らんでいく過程をはっきりと認識できないまま、けどいつの間にかギラギラとしたものが胸の内にあって、本を買っては学び、ネット上で場所を見つけては学び、というのをここ10年ぐらいゆらゆらと続けている。
学び始めた当時の感覚は、メイドインアビスのリコが、まだまだ未熟な少女なのにも関わらず、吸い込まれるようにしてアビスの大穴の探検へと繰り出していったような、そんな感じなんだと思う。
胸の内のギラギラしたとした感覚に身を任せて俺も学び始めたはいいものの、俺一人の生涯でどこまで進めるだろう、という思いがよぎったりもする。
そもそもが、数世代かけてやっと数cmの知識が積み上げられるようなものなのかもしれないけど。
で、そんな分野に関する本で、高校生の頃からとても大切にしている本があって、しかしそれは分厚くて大きな上下巻。
まだ高校受験を乗り越えただけで、何の下地も持ち合わせていないガキにとっては、明らかなオーバースペックだったなと今になって思う。
これまでの10年の間は、そこに聳え立つ知識の壁に何度も食らいつきながら挑戦してみるものの、上巻を読み終えることさえ難しく、たとえ上巻を乗り切ったとしても、下巻でまたすぐに挫折する、というのを繰り返してきた。
つまりは、本を手に入れてから10年近くなるのに、まだ完全に読みきったことはなくて、さきの数年間に関しては、その本を手に取ることさえしていなかった。
それだけ、壁は高かった。
しかし、その代わりと言ってはなんだけど、ネット上にある最高の学びの場所を紹介してもらって、そこで食い入るように学んだ。
食い入るように学び、言葉の定義を理解し、仕組みを一から理解することで、下地を重ね合わせていった。
するとどうだろう、ここ1ヶ月でその本に挑戦する機会がまたやってきたとき、過去に屹立していて、今回も途轍もないパワーを使って乗り越えようとすることになるだろうと想定していた見上げるような壁は、ガードレールほどの高さにまで下りてきていて、めちゃくちゃ拍子抜けしてしまった。
思わず「はぁ???」って声が漏れてしまったよ。
ガードレールをひょいっと飛び越えるくらいの易しさで、その本の文字や図を追うことがでるなんて、過去の自分じゃ全くもって考えられなかった。
学びを続けていても目に見える変化や結果が得られない時、つい片膝をついてしまいそうな瞬間がやってくるんだよな、だるいけど。
片膝どころじゃなくて、もう全てを放棄して毛布にくるまって、暴飲暴食しちゃいたくなる瞬間もやってくる。
だから今回、姿勢を正して歩み続けていれば、目の前に聳え立っている壁はいつか必ず、難なく乗り越えられる高さにまで変化するんだと実感できたことは、とても大きな出来事だった。
ま、毛布にはいつでもくるまりたいんだけどね。
寒いし。
末端冷え性だし。
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